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服を見てから食事をして、それからゲームセンターで思い切りはしゃいで、笑い転げて、誰も見ていない場所でこっそり手を繋いだ。
「勇星、カラオケは? そういえば勇星の歌声って聞いたことない」
駅前アーケードの中を歩きながら、俺は勇星に問いかけた。
「自信はねえよ。カラオケじゃ声の出し方も違うしな」
「聞きたい」
「ダメダメ」
勇星が俺から離れて、二、三メートル先を歩いて行った。そこで振り返り、スマホを俺に向ける。
「ゲット」
突然カメラのシャッターを切られ、勇星のスマホに間抜けな顔の俺が保存された。
「何だよ、急にっ」
「音弥くんの生写真が欲しかったからよ。後でタブレットにも保存しとこう」
「意味分からん」
ニッ、と勇星が子供っぽい笑みを浮かべる。
「音弥くんはガブリエル」
「は、はぁ?」
「まだ駆け出しのソプラニスタ」
「………」
賑やかな町。行き交う人達も活気づいた店も、全てが勇星を中心にじんわりと溶けて行く。俺の目には、嬉しそうにスマホを操作する勇星の顔しか映らない。
エロくて自分勝手で言葉遣いが悪くて。
だけど、
「……駆け出しも何も、俺にそんな才能ないってば……」
子供達に囲まれた時の笑顔。俺の前でだけ見せる男の顔。それから、指先を振る時の真剣な眼差し──
「俺が見初めた男だぞ。自信持て」
勇星は美しかった。勇星は自由だった。勇星は優しく、そして輝いていた。
「そうだ。誕生日プレゼントの礼に、これやるよ」
勇星がポケットから銀色の何かを取り出した。旅行中の夜の海でも使っていた、「ラ」の音が出る金属だ。勇星がいつもそれを持ち歩いているのだと、今知った。
「で、でもこれって勇星が使うやつだろ。貰えないよ、大事な物なんだろうし」
「全部の音は俺の頭の中に入ってる。だから、この音叉は音弥くんにやる」
「………」
「これから始めの音を取る時は、音弥くんが皆を導いてくれ。使い方は取り敢えず指で弾いたりして、衝撃を与えて……」
俺の手のひらに落とされた銀色の不思議な宝物──音叉。俺はそれを握りしめ、涙が滲むのを必死に堪えながら勇星を見上げた。
「ありがとう……。……大事にする」
「ていうか涙腺弱すぎだろ。泣くと不細工になるから堪えた方がいいぞ」
「う、うるさいっ!」
慌てて目元を拭いながら怒る俺を見て、勇星が可笑しそうに笑った。
貰った大事な音叉をポケットにしまい、俺もまた含み笑いをして鼻をすする。
「勇星」
「うん?」
歩き出したその一歩は、俺にとっても大切な一歩だ。
「セックスしようよ」
躓きそうになった勇星が、茫然とした顔を俺に向ける。それは出会ってから約四か月の間で初めて見る顔だった。
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