その指先と夕涼みの日

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その指先と夕涼みの日

『七月五日 明日は待ちに待った夕涼みの日です。夜空にたくさんの星が輝いたら、それは神さまからみんなへのプレゼントなのかもしれません』。 「天にまします我らの父よ、願わくば御名(みな)をあがめさせたまえ」 「御国(みくに)を来たらせたまえ。御心(みこころ)が天になるごとく、地にもなさせたまえ……」  朝の恒例となっている主の祈りも、もはや口に出して「言っている」だけだ。どうしても俺の意識は、隣に立つ勇星に向いてしまう。 「……国と力と栄えとは、限りなく汝の物なればなり。アーメン」 「アーメン」 「さてと! 今日は忙しくなるぞ!」  海斗が頭にタオルを巻き、Tシャツの袖を更に捲り上げて気合を入れる。  梅雨が明け、七月六日──土曜日。いよいよ今日は「七夕・夕涼みの日」だ。  土曜の今日は幼稚園は休みだが、夕方六時から園の庭に皆で集まり、花火や遊びや歌を楽しむことになっている。大人気のスーパーボールすくいや、輪投げやヨーヨー釣りもやる予定で、今日だけこの庭はちょっとした縁日会場となる。 毎年子供達が楽しみにしている「夕涼みの日」。俺もこの行事が好きで、今日のために花火もスーパーボールも駄菓子もたくさん買い込んできたのだ。 「そんなモン俺の時もあったっけ。全然覚えてねんだけど」  勇星がだるそうに言うと、見谷牧師が「それなら、子供達と一緒に楽しむといい」と笑った。 「音弥。果物の手配はどうなってるかな?」 「五時になったら、青果店に受け取りに行きます。今年はスイカの他にも色々サービスして貰えたんですよ」 「その分、体でサービスしたのか」 「そんな訳ねえだろっ! アホか!」 「やめなさい勇星、そういう発言は。音弥も汚い言葉は駄目だぞ」 「あ、……う、ごめんなさい」  見谷牧師に呆れられてしまい、顔が真っ赤になる。 「おーい。笹の葉、外に出すの手伝ってくれ!」  海斗が礼拝室から顔を出して言った。 「い、今行く!」  慌てて礼拝室に駆け込み、赤くなった顔を冷まそうと思い切り深呼吸をした。勇星といるとどうにもペースが狂ってしまう。水着を買いに行ったあの夜から今日まで、何とか何も起きずに済んではいるが……。 「気を付けて持てよー」  子供達の短冊が取り付けられた三クラス分の笹を、海斗と分担して持ち上げる。すると礼拝室に入ってきた勇星が、海斗の肩を叩いて声をかけた。 「外で全部やるんだろ。歌の伴奏はどうするんだ?」  笹の葉の間から顔を出し、海斗がそれに答える。 「ピアノとかオルガンは流石に運べないから、伴奏無しのアカペラになると思うけど」 「………」  勇星の顔が嫌そうに歪む。 「地獄絵図だ、そんなモン。耳がぶっ壊れる」 「仕方ないよ。子供達の歌は音程より大声が大事だしね」 「……確か、ハーモニカがあったな。いや、ピアニカの方がいいか……」  ぶつぶつ言いながら礼拝室を出て行く勇星。俺と海斗は顔を見合わせ、首を傾げた。
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