人混みの視線 <夏のホラー短編>

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人混みの視線 <夏のホラー短編>

690bf878-2ae4-490c-a6e0-bc50452231a3  ある休日。  僕はいつものように、繁華街の人混みの中を歩いていた。  とくに決まった目的があるわけでもない、ただの気晴らしの散歩だ。  部屋の中に籠っているだけでは、自然と(あふ)れ来る無気力感と孤独感に溺れそうになる。  けれども、こうして街を歩いて人混みに紛れることで、自分はこの社会の集団の一人として孤立せず生きているのだと、まやかしの安堵を得られるのだ。  右を見ても左を見ても、何らかの目的を持った沢山の人が絶えず行き交って、濁流を作っている。  大学生くらいの若い男女の集団は、昼食を何処で摂るかをケラケラと笑いながら話し合っている。  ショッピング中と思しき三人組の婦人は、有名な洋服店の紙袋を腕に下げながら、また別の洋服店を指差して意気揚々と入っていく。  二人の子供を連れた少しガラの悪い夫婦は、アレも買ってコレも買ってと好き勝手に喚く子供たちを大声で怒鳴りつけている。  ワックスで髪を固めたサラリーマンは、休日だというのに営業先と思しき電話相手に深刻な顔つきで今からすぐ行きますと詫びている。  長いこと風呂に入っていなさそうな不潔な体臭を放つ老人は、ワンカップ日本酒を手にニコニコとした顔で歩いている。    だが、これだけ多彩な人々がこの道にひしめき合っていても、その感心が、僕に向くことは決してない。  まるで僕が空気であるかのように、無数の無関心の視線が、僕の前を透過していく。    ……やっぱり、僕は孤独だ。  僕も一度でいいから、行き交う人々が次々と眼差しを向けてくれるスターになってみたいと思う。  実際、スターに憧れて大手動画サイトに動画投稿を始めてみたが、全くと言っていいほど再生されず、無関心無風状態だ。  僕には、注目を浴びる素質が、何もかも足りていないらしい。  深く考え込んでしまい、気晴らしだったはずの散歩の足取りがどんどん重くなってくる。  だが、その時。 「見てるよ」  遠くから、そんな声が聞こえた。  男か女か、子供か老人かも判然としない小さい声だが、たしかに僕の耳に届いた。  僕はギョッとして立ち止まり、声がしたと思しき方を振り返って見る。    だが人混みの中に、僕に視線を送る者はいない。  きっと、僕が妙な考え事をしていたから、たまたま耳に入った他の人の会話が自分に向けられたものだと勘違いしてしまったのだろう。  そうに違いないと思い、僕は再び人混みの中を歩き出す。 「見てるよ」  また聞こえた。  しかも、少し近づいてきた気がする。  僕はしかめっ面になって、もう一度振り返る。  たまたまそこを通りがかった夫婦とちょうど目が合ってしまい、そちらも不審がる視線を僕に一度返してから、フッと目を逸らした。  気を取り直して先程の声の主を探すが、僕を怪訝に一瞥する通行人は居ても、僕に声を掛けるような関心の視線を送る人物は見当たらない。   ……勘違いか?  僕は自分の耳を掻いて、歩き出す。 「見てるよ」  確かに聞こえた。  また少し、接近してきた気がする。    ……誰だ? 誰なんだ……!  人混みは今も、僕を無視して濁流を作り続けている。  あの声に関心を払っている者など皆無だ。  ……まさか、僕にしか聞こえてないのか?  恐怖を感じてきて、声がした辺りの道を注意深く調べるが、声の主は一向に姿を現さない。  今度は多くの通行人が挙動不審の僕に注目し始めてしまう始末だ。  ……何なんだよ!  誰かのイタズラか、それとも僕の頭がおかしくなったのか。  とにかく気味が悪いので、その場を立ち去ろうとする。 「見てるよ」  いよいよゾッとした。  声は、徐々に僕に近づいてきている。  背後を見てもやはり何の解決にもならないので、ついに僕は無視を決め込むことにした。  向こうが姿を現す気が無いなら、僕もそれに構ってやる必要はない。  僕はポーチからスマートフォンを取り出して、イヤホンを耳に着け、音楽を流し始めた。  なるべく音量を上げて、あの声が耳に入らないようにする。  これで安心だ。  そして僕は、音楽の世界に浸りながら、人混みの中をゆったりと歩き続けた。  なんとなく、ちょっとした音楽PVの主人公気分で心地いい。  普段は電車やバス移動の時しかイヤホンを使っていなかったが、音楽を流したまま街を歩くのも意外に良い感じだ。  音楽に集中できるおかげで、余計な孤独を感じて思い悩むこともない。  今までは、イヤホンを着けたまま歩くのはいざという時に危険だと思っていたが、実際やってみるとこれは魅力的な体験だ。  今度から散歩のときは、イヤホンを着けていこうと思う。  きっと、人混みの中を歩くのが楽しくなるに違いない。      しばらくして、音楽が終わった。  人混みの中で、静寂が降りた。       そして、僕の耳元で。   「見てるよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお 【完】
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