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高校生活最後の三分間
『青山冬馬くん、あなたの高校生活最後の三分間をわたしにください。体育館裏の桜の木の下で待っています。 藤崎千紗』
開きかけの桜の花が、青空の下でそよ風に揺れている。今日はここ、月が丘高校の卒業式だ。わたし──藤崎千紗は、ドキドキしながら桜の木の下にいた。
冬馬くんは手紙を読んでくれただろうか。生徒たちが出て来る前に、そっと靴箱に入れておいた手紙。読んでくれたとして、果たしてここへ来てくれるだろうか?
最後だから、どうしても会いたい。
わたしは、冬馬くんとの今までのことを思い返していた。
冬馬くんを初めて見たのは、この高校の入学式だった。
居並ぶ新入生の中で、冬馬くんはひときわ輝いていて、わたしは冬馬くんに一目惚れしてしまった。冬馬くんに比べれば他の男子生徒や先生方はみんなジャガイモみたいに見えたし、どんなアイドルや俳優よりもカッコいいと思った。
学校の中で冬馬くんを見かけると、つい目で追ってしまって転んだりぶつかったりしてしまったし、家では冬馬くんを想ってボーッとしてしまって母親に怒られたりもした。
冬馬くんの家はこのあたりでは格式のある旧家で、学校にも毎年たくさんの寄付をしてくれるお金持ちだ。でも冬馬くんはそれを嫌い、不良じみた行動をしては親や先生方を困らせていた。
一度、冬馬くんが校舎の裏でタバコをふかしているのを注意したことがある。冬馬くんは軽く舌打ちをして、吸い殻を捨てて逃げて行った。
あれから、タバコはやめてくれたかな。タバコなんて、体に悪いだけなのにな。
でも、冬馬くんは根はいい子なんだ。
前に野球部の三年生たちが、一年の補欠部員をいじめているところに冬馬くんが出くわしたことがあった。冬馬くんは三年生たちに殴りかかり、一人で何人もを相手に大立ち回りを演じた。
当然、学校中の大騒ぎになり、冬馬くんも三日間の停学を食らった。
停学開けの冬馬くんにどうしてこんなことをしたのか訊いてみたら、冬馬くんはぶっきらぼうに答えた。
「別に。あいつらが気に食わなかったから」
でもね、わたしは知ってる。いじめられてた一年の子は、冬馬くんの隣の席にいたよね。その子がいじめられてるのを、見てられなかったんだよね。わたしはますます、冬馬くんが好きになった。
冬馬くんはいつでも素敵だった。体育祭で走ってる姿も、修学旅行ではしゃいでる姿も、文化祭で歌ってる姿も、最高にカッコよかった。そんな冬馬くんだからみんなの人気者で、いつもそばに誰かいたので、わたしはなかなか近づけなかった。
そこでわたしはクラスのみんなの写真を撮るかたわら、自分用に冬馬くんの写真を撮りまくった。冬馬くんの写真だけを集めたフォトブックは、わたしの宝物だ。冬馬くんへの想いを綴った日記と一緒に、机の中に大事にしまっている。
わたしの想いは誰にも秘密にしていたんだけど、わかる人にはわかってしまうらしかった。
ある日、生徒会長の高見さんがわたしを呼び止めた。彼女はちょっとキツい感じがするけれど、学校でも一〜二を争うほどの美人な上、トップクラスの優等生だ。
「青山くんのこと、ずっと見てますよね。もしかして、青山くんが好きなんですか?」
「どうして、それを……」
「女子はみんな知ってます。態度があからさまですから」
わたしは何も言うことが出来なかった。
「忠告しておきますけど、あきらめた方がいいと思いますよ。青山くんのためにも、あなたのためにもなりませんから」
言うだけ言って、高見さんは行ってしまった。わたしは、廊下の向こうへ去って行く彼女の後ろ姿を見送ることしか出来なかった。
彼女も冬馬くんが好きなんだろうか。冬馬くんは女子にも人気があるし、高見さんが冬馬くんを好きであってもおかしくはない。
でも……。
わたしの胸が、ずきりと痛んだ。
高見さんにはああ言われたけれど、わたしは冬馬くんをあきらめることは出来なかった。さんざん考えた末、わたしは冬馬くんに告白しようと決意した。
冬馬くんが三年に進級する直前のバレンタインデー。わたしは空いた教室に冬馬くんを呼び出して、プレゼントを手渡そうとした。
「マジかよ……」
冬馬くんは驚いた声を出した。
「高見から聞いてたけど、本当だったんだな。……悪いけど、あんたとは付き合えねえし、これも受け取れねえよ」
──高見さん、わたしのことを冬馬くんに言ってたんだ。ショックのあまり、わたしは違う方向に思考を飛ばしかけた。
「……あのな、言っとくけど。もし俺が断ったからって高見とか他の奴に何かするようなら、俺、黙っちゃいねえからな」
わたしの考えを見通したかのように、冬馬くんは言った。
「親の力を借りるのはダセーけど、もしそんなことになったら、どんな手を使ってもあんたをこの学校から追い出してやるから。覚悟しとけよ」
きっぱり言われた拒絶の言葉に、わたしの告白は粉々に砕け散った。
──それからも、わたしと冬馬くんの学校生活は何事もなかったかのように続いていた。
でも、わたしの恋心は奥の方でくすぶっていた。今までずっと想って来たのに、すぐに想いをなくせるわけがなかった。あれだけひどいふられ方をしたのに、どうしても冬馬くんを嫌いになれない。
苦しい日々が続いた。気がつけば冬馬くんを目で追っていて、気づかれそうになってあわててそらす、ということを繰り返した。
せめて普通に話すことが出来ればいいのに。そう思っていても、冬馬くんはもう三年生で、受験に向けて大事な時期になっていたし、わたしの方も受験の準備で忙しくなっていた。
卒業したら、冬馬くんももう少し余裕が出来るかも知れない。そしたら、もう一度冬馬くんも向き合ってくれるかも知れない。今はわたし達を隔てているものが多すぎる──。
それだけを糧に、日々を過ごしていた。日記も写真も、たまって行った。
そして、今日。卒業式。
わたしは、もう一度冬馬くんを呼び出すことに決めた。
卒業したら、冬馬くんは東京の大学に進学してこの街を離れることが決まっている。会えるチャンスは、もうそんなに残されていなかった。
三分だけでいい、会いたい。恋人として付き合うとか、そんなことにならなくてもいい。ただ、高校生活の最後の時間を少しでも一緒にいたかった。
そんな想いを込めて、わたしは冬馬くんの靴箱に手紙を忍ばせた。卒業式が無事に終わり、今わたしはここで彼を待っている。来てくれるように祈りながら。
体育館の建物の陰から、人影が見えた。卒業証書を入れる筒を持っている、制服姿の男の子。冬馬くんだ。来てくれたんだ!
冬馬くんは不機嫌そうな顔で近づいて来た。よく見ると、冬馬くんの制服の上着は第二ボタンだけじゃなく、全部のボタンがなくなっている。冬馬くんだから当然なんだけど。
「どういうつもりだよ」
冬馬くんはぶっきらぼうに言った。
「ごめんね、時間を取らせて。でも、三分だけでいいの。最後の思い出を作りたくて、一緒にいたかっただけなの」
「あんたのことは、きっぱり断ったよな」
「わかってるわ。だから、付き合ってなんて言わない。あなたとわたしの間を隔てている壁は、とても厚くて高いものだとわかったから」
「あのなあ」
冬馬くんは、イライラしたように言った。
「あんたは、『禁断の恋をしている自分』ってのに酔ってるだけなんだよ。いい加減目を覚ませよ──藤崎先生!」
◇
結局、月が丘高校の教師・藤崎千紗(29)が元生徒へのストーカー行為で捕まったのは、それからしばらく経った後のことだった。
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