第68.7小節目:お料理行進曲

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第68.7小節目:お料理行進曲

「よぉーし、じゃあ、作っちゃおっかぁ!」  黒エプロン姿の英里奈(えりな)さんが腕まくりをする。 「おー」「英里奈ちゃん、やる気満々だね!」「英里奈姫と大天使アマネルの手料理が食べられる!」  2年6組、調理実習の時間である。  名前順の関係で、安藤(あんどう)夏達(かたつ)市川(いちかわ)天音(あまね)黄海(おうみ)英里奈(えりな)小沼(おぬま)拓人(たくと)の4人班で臨むことになった。他の人とほとんど喋ったことないから助かった……。 「献立(こんだて)は、『わかめと豆腐(とうふ)味噌汁(みそしる)』と『豚の生姜(しょうが)焼き』だって!」  黄色地にひよこの絵と『PIYO PIYO』という文字の書いてあるエプロンを着けた市川がレシピの書いてあるプリントを読み上げてくれた。 「米は? 俺、米が食いたい!」 「お米はあの大きな炊飯器(すいはんき)で先生が炊いてくれてるみたいだよ」 「おーっ! サイコーだな!」  安藤、テンション高いな……。何がサイコーなんだ。  そんな安藤に微笑(ほほえ)みを返してから、市川が小さく手を叩く。 「4人全員で両方作っても仕方ないから、2人ずつ、お味噌汁組と生姜焼き組に分かれよっか?」  英里奈さんが応じて「分かったぁ!」と、笑顔で手を()げる。 「ねぇねぇ、たくとくん、どっちにしようかぁ? えりな的に生姜焼きってあんまり可愛くないから味噌汁がいいかも!」  そして、真っ先におれに相談してくる。 「ん? 英里奈ちゃん、まだ組分け出来てないよ?」  市川がちょいちょい、と割り込んだ。 「えぇー? だって、夏達くんって、料理出来ないよねぇ?」 「おう! 出来ない!」  なんで誇らしげなんだ安藤。 「だよねぇ。たくとくんはぁ?」 「おれは美味(うま)いかは分からないけど食べられるものは作れる」  (ゆず)と順番で食事当番やってるからな。 「うんうん。天音ちゃんはどうせ出来るでしょぉ? そして、えりなは出来ません!」  英里奈さんまで出来ないことに胸を張っている。チェリーボーイズってそういうバンドなの? 「そしたら、出来ない組のえりなと夏達くん、出来る組のたくとくんと天音ちゃんっていう組み合わせはあり得ないでしょぉ? ねぇ? たくとくん」 「そうなあ……」 「そ、そっか……。でもさ、私と英里奈ちゃん、小沼くんと安藤くんっていう組み合わせはあるよね?」  市川が困った顔で笑いかけると。 「……それで、たくとくん、味噌汁でいいかなぁ?」 「英里奈ちゃん!?」  理屈を用意できてなかったからって無視するなよ、うちのバンドのボーカルが可哀想(かわいそう)じゃん……。  なし崩し的に分かれた組み分けで、とりあえず調理実習スタートである。(時間も限られているので市川も(あきら)めたらしい)  コンロが端っこに2(くち)、逆の端っこにシンクがあるような一般的な家庭科室の調理台を4人で囲む。  おれと英里奈さん(味噌汁組)が教室のドア側、市川と安藤の2人(生姜焼き組)が窓側に立って作業を始めた。 「そしたら、まずは何をすればいいですかぁ?」 「えーと……」  指示を迷いながらも、これはそんなに難しいことではない。  要するに、お湯に出汁(だし)をとったあとに味噌を溶いて、豆腐と乾燥(かんそう)わかめを入れればいいだけだ。  生姜焼きの方も調味料を混ぜて豚肉と絡め焼くだけだから、そんなに時間がかかるものではない。準備して作り切って片付けするところまで50分間の授業中で行わないといけないということで、こういった献立になっているのだろう。 「それじゃあ、水を500ミリ、鍋に入れて火をかけてもらってもいいか?」 「はぁーい、かしこまりでぇーす!」  そう言って英里奈さんは計量カップに水を入れ始めた。おれは、その(あいだ)に出汁を取るためのかつお節を(はか)る。  ふと見上げると、髪ゴムを(くわ)えて髪をまとめようとしている市川と目が合った。  ……なんと形容したらいいのかも分からないが、とにかく、胸が詰まるような光景が、そこにあった。  窓から入ってくる昼前(ひるまえ)の陽気、エプロン姿、咥えた髪ゴム……とあいまって、その姿になぜか声を奪われてしまう。 『ん、どうしたの?』と、市川は声には出さずに小首をかしげてくる。 「ちょっとぉー、たくとくーん、手を動かしてくださぁーい」 「あ、ああ、ごめん……」  英里奈さんに肩口を揺すられ、いかんいかん、と首を振って作業に戻る。  口をとがらせているかと思って英里奈さんを見ると、またあの意地悪(いじわる)な笑顔を浮かべていた。 「ふひひ」  ふひひって言ってる……。やだなあ怖いなあ……。  しかし、案外大きな問題もなく調理は進んでいった。  生姜焼き組は豚ロースに薄力粉(はくりきこ)をまぶし、生姜をすりおろし、調味料を混ぜ終わったところ。  味噌汁組も、英里奈さんがおれに指示をあおぎながらもかなり主体的に動いてくれて、今も英里奈さんが味噌を溶かしていて、それをおれが横で見守っている状態だ。 「なんか、意外とやる気あるな、英里奈さん」 「でしょぉー? えりなに家庭的な一面あったら最強だなぁって思ってさぁー!」 「自分で言うのはどうなんだという感じもするけど……」  おれが(あき)れ笑いを浮かべていると、ぐっとおれの耳元に唇を寄せてきて、 「『恋』に近づくことは、全力でやらなきゃねぇ?」  と、ささやいてくる。 「そうなあ……」  いい笑顔をしている英里奈さんを見ていると、なんだかこちらも元気付けられる感じがするから不思議だ。  ……などと(なご)やかな気分になっていたその時、ぞくっとするような声音(こわね)が横から聞こえる。 「あの。お味噌汁の味見が出来たらお肉を焼き始めようかなって思ってるんだけど、どうかな? 楽しそうなのは何よりだけど、そのペースだと終わらないよ?」  生姜焼きは焼き始めたらすぐに焼きあがってしまうので、味噌汁の出来上がりと合わせるために焼くのを待ってくれているらしい。  うーん、料理の能力が高いなあ、市川……。あとなんか怖いなあ、市川……。 「天音ちゃんって、時々学級委員長みたいだよねぇ……」  顔をしかめた英里奈さんが小声でおれに伝えてくる。 「いやだからそれ、自分……」 「あ、じ、み、し、て?」 「うへぇー、分かったよぉー」  市川クリステルに()かされて、英里奈さんはプラスチックの小皿に、ほんの少しだけ味噌汁を()ぐ。それを飲むのかと思ったら、こちらを見上げてきた。 「ねぇたくとくん、これ、どぉしたらいいのぉ?」 「いや、飲む以外になくない?」 「えぇ、だって熱そうだよぉ……?」 「ふーふーしなさい……」  おれもゆずに初めて料理を教えた時みたいな気持ちになってしまう。  おれの言ったことを忠実に守って英里奈さんはその味噌汁を息で冷ましてからすすった。 「んんー……?」 「あれ、変な味でもする?」  首をかしげる英里奈さんに尋ねる。  「いやぁ、えりな、普段味噌汁飲まないからこれが合ってるか分からないやぁ……」 「まじか」  出たよ、帰国子女……。じゃあ普段何飲んでんの? ミソスープ?  おれが軽くカルチャーショックを受けていると、英里奈さんが小皿にもう一度味噌汁を注ぐ。 「ん、たくとくん、飲んでみて」 「お、おう……」  小皿をわたすでもなく、英里奈さんが持ったまま口元まで差し出してくる。  なんとはなしに市川の方を見ると、引きつった笑顔を見せていた。怖いよお……。  そんなおれの視線の動きを見たのだろうか。悪魔さんが何かを思いついたようにキラッと目を光らせる。 「あぁー、そっかぁー、このままだと熱いよねぇー? えりながふーふーしてあげよっかぁ?」 「いや、ちょっと、英里奈さん、そういうのいいから……!」  おれが制止するのもかまわず、英里奈さんはあざとくもふーふーとして、おれの口元にまた小皿を差し出そうとする。  その瞬間。 「あっ」  英里奈さんが手を滑らせた。  小皿が床へと落ちていく様がスローモーションに見える。  そして、もっと悪いことに、運動神経の良い英里奈さんがその小皿を反射的に、地面に落ちる前に取ろうとかがみはじめる。  その動線上に、味噌汁の入った鍋の取っ手があり、このままいくと、鍋ごと英里奈さんが味噌汁をかぶってしまいそうだ。 「英里奈さん!!」 「ひゃっ!?」  おれは英里奈さんの両腕を咄嗟(とっさ)につかんで引き寄せる。  カランカラン、とプラスチックの小皿の落ちる音があたりに響く。 「た、たくとくん……?」 「おい!!」  おれの声に、英里奈さんが身をすくませる。 「火も刃物(はもの)もあるんだから危ないだろ! 火傷(やけど)したらどうするんだよ!?」 「は、はい……」  英里奈さんが目を丸くしてこちらを見上げている。  その表情を見て、つい大声を出してしまったことに気づき、 「うぉっ……」  しかも、英里奈さんを抱きとめるような格好になっていることに気づいた。  慌てて、手を離す。 「お、大きな声を出してすまん……。け、けがとかは、ないですか?」 「う、うん……。たくとくん、ごめんねぇ……?」  バツが悪く敬語になるおれに対して、英里奈さんは素直に謝ってきた。 「い、いや、別におれがどうとかじゃなくて、英里奈さんが危ないだけだから……」 「たくとくん、怒るとき、あんな顔するんだねぇ……。ちょっと、なんか、良かったかもぉ……」  おれは気恥ずかしくなり、英里奈さんはなんなのか分からないが向かいでモジモジしはじめた。 「もう、()くに()けないなあ……」  脇では市川の嘆息(たんそく)が聞こえる。 「ほらー、小沼たちがモタモタしてるから、生姜焼き、焼くに焼けねーってよ!」  久しぶりに口を開いた安藤を、 「安藤くん……」「夏達くん……」  女子2人が生暖かい目で見ていた。
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