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第50.1小節目:狐の嫁入り
8月の半ばごろ。
夏休み真っ只中の今日、amane演奏組の市川、沙子、おれは学校のスタジオで練習をしていた。
おれの作った新曲も、それぞれの手にだいぶ馴染んできたみたいだ。
演奏を終えると、夏制服姿の市川がにっこり笑う。
「いい感じになってきたね! うーん、由莉の歌詞も楽しみ!」
「そうなあ」
市川の言葉に応じるように、沙子がそっとつぶやく。
「あれ、沙子さん、今『そうなあ』って……?」
市川がわずかに怪訝そうな顔をするのを無視して、沙子はスマホの時計を見た。
「あ、ごめん、うち、ダンス部の時間だ」
「え? あ、うん。あれ、私の質問は……?」
市川は質問に返事がなかったことに、むー、と若干下唇を突き出しながらも、沙子にそっと手を振った。
「それじゃ、また次の練習の時に」
沙子は手早く片付けを終え、ケースに入れたベースをかついでシュタッと右手をあげる。
「ほい、行ってらっしゃい」
おれが言うと、
「……行ってきます、拓人」
と0.数ミリ頬をゆるませて言って、沙子が去っていく。(なんぞ?)
「ふーん……?」
ジト目で見てくる市川の視線をかわす。
「なんすか……」
「別にー」
口をとがらせながら、市川はギターを肩からおろす。
「私もそろそろ出なくちゃ。今日、ちょっと家で観たいテレビあるんだ!」
「あ、そうなの? 何?」
「YUIさんのライブ! 5時から、wowowでやるらしいんだよ」
へえ、市川さんの家wowow入ってるんだ……。
「録画とかしてないのか?」
「それがね、来る時にスマホ見てて知ったんだよ。今日はお母さんも出かけてて頼めないし……」
「ほーん……。じゃ、早く帰んなきゃじゃん」
「そういうこと!」
市川はアコギをギターケースに入れるために屈みながら、こちらを見上げる。
「……小沼くんも、一緒に帰ろ?」
「お、おう」
小首を傾げる天然あざといその仕草に、まんまとおれはドキッとし、カッコ悪くどもりながらも、スティックをカバンに入れ込んだ。
「小沼くんはYUIさんだと、どの曲が好き?」
「そうなあ……」
なんて、他愛のない話をしながらの新小金井駅までの晴れた道すがら。
ピチョン、と自分の鼻先に一滴のしずくを感じた。
「ん……? 雨?」
「あ、ほんとだ」
市川が手のひらを上に向けて、天をあおぐ。
「うわー、天気予報では晴れとしか言ってなかったのにな……」
「予報は予報だからねえ……」
なんて、言っている間に。
ポツリ、ポツリ、だったはずの雨粒は、その間隔を急速に縮めていき、やがて、
「……いや、これ、夕立だ!」
豪雨となっておれたちに襲いかかって来た。
「うわー、すごい!」
とにもかくにも、走り出す二人。
せめてもの抵抗としてカバンを頭の上にかざしてみるも、まったく意味をなさない。
「市川、あっち!」
おれは近くにあった稲荷神社を指さして、人がギリギリ二人入るくらいの祠の屋根の下に駆け込んだ。
「もー、いきなり来たねー、びしょびしょだよ……」
「そうなあ……」
と、そちらを見かけて、
「あっ」
サッと、その顔をそらした。
「ん? どうしたの小沼くん?」
「あ、いや、あの、ほら、市川、あの……服が……」
だ、だって、漫画とかで読む限り、このシチュエーションは、どう考えても市川のシャツが濡れて、あの、なんか、ほら、そういうなんか、あれが透けているパターンだろ……!?
おれが狼狽していると、何かを察知したのか、
「ああ、なるほど、そういうことか。あはは、小沼くんは紳士だね」
市川は小さく笑ってから、ふむ、と声を出す。
すると、雨音にまぎれて、後ろで衣ずれの音がし始めた。
「んしょ、んしょ……」
「い、市川……!?」
何!? おれの後ろで何が始まってるの!?
耳まで熱くして、生唾を飲み込む。
ややあって、
「……小沼くん、こっち向いて大丈夫だよ?」
と言われた。
「ひゃ、ひゃい……」
そう言って、意味わかんないくらい緊張しながらそっと振り返ると、
「じゃーん、どうかな?」
ニットのベスト(サマーベストっていうのか?)を着た市川がその裾を握りながら、にへへ、と笑っていた。
「うちの高校、結構冷房効いてる時あるから、カバンに入れてたんだー。よかったね、小沼くん?」
「そ、そうですね……」
よかったのか残念なのかは、天使小沼と悪魔小沼の間でちょっと議論が分かれるところであるが、(『何言ってるの、小沼くん?』『たくとくん、何言ってるのぉ?』)これで普通に話すことが出来る。……あとベストがめちゃくちゃ似合ってる。
と、とりあえず、普通の話、しないと……!
「えっと、市川、雨がこのままだとライブ間に合わないかもだな……」
「……そうなあー」
「……ちょっと、市川さん?」
「えへへー……」
市川は照れたように笑ってから、背中に手を組んで、空を見上げる。
「まあ、すぐに過ぎていってくれたら間に合うけどな」
「だよねー……」
とはいえ、目の前では白糸のようにザーザーと絶え間なく空から雨が続いている。
雨に打たれて、土の匂いが、葉っぱの匂いが、空気を伝っておれの身体にそっと染み込んで来た。
なんか、綺麗だな……と、微妙に状況にそぐわないことを思いながら、おれも空を見上げてぼーっとしていると。
カラカラカラカラ。
と、頭のすぐ上で鈴の鳴る音がした。
「え、何して……」
そう言いかけながら市川の方を向いて、おれはそっと口をつぐむ。
見やると、市川が目をつぶって手を合わせて、真剣な顔で神様に何かを祈っていた。
だけど、おれが口をつぐんだ理由は、その祈りを邪魔してはいけないと思ったから、だけではない。
濡れた髪が一筋張り付いた頬。
しずくを弾くきめ細やかな肌と、長いまつ毛、端正な顔立ち。
その横顔につい、見惚れてしまっていたのだ。
ぼおっと見ていると、やがて市川がその目を開いて、
「天気のこと、お祈りしてみた」
と言った。
「せっかく神社に来たし、ね?」
こちらを横目で見て、ニコっと笑う。
「お、おう……」
「ん、どうしたの、小沼くん?」
「いや、べ、別に……」
まさか、今さら、こんなタイミングで、市川に見惚れていたなんて言えるはずもない。
「そ、そんじゃ、おれも祈ろうかな」
ごまかしも含めて鈴紐に手をかけると、
「お、小沼くんは、祈らなくて大丈夫だよ!」
と手首を両手でぎゅっと掴まれた。
「え、なんで?」
手首に伝わる感触をなるべく意識しないように、そっと尋ねる。
「多分……逆効果になっちゃうから」
「ええ……おれ、そんなに運悪そうか?」
「そういうことじゃ、ないんだけど……」
なぜか頬を紅潮させて、それでもおれがお祈りしようとするのを固辞する市川。
「はあ……? まあ、別にいいけど」
「うん、ありがと……」
そう言って、市川がそっと手首から手を離す。
そして、改めて、屋根の外へと向き直った。
すると。
「……あ」
雨脚は急速に弱まっていき、
「おお、やんだな」
やがて雨は完全に上がり、水たまりが西日を反射する。
「よかったな、これでライブ、見られるな」
「……そうだね」
見やると、市川は、なぜか神妙な顔をして腕を組んでいた。
「市川、どうした……?」
「んんー、ここの神様はすっごく意地悪だなあ、って」
そう言って、頬を膨らませる市川。
「いや、『天気のこと、お祈りしてみた』って言ってただろ? 雨やんだんだから、よかったじゃん。むしろ効き目抜群過ぎるというか……」
「ううん、違うよ、小沼くん」
市川は拗ねたようにこっちを見上げながら、言う。
「だって、私が祈ったのは、真逆のことだもん」
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