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日本は、アジアの極東に位置するその国は第三次世界大戦勃発と共に地図上からその姿を消した。アジア圏から数発の核ミサイルが落とされたのだ。世界大戦の引き金になったとも言えるこの惨事により、日本の領土は人が住めない地域となったと報道された。当時すでにアメリカに居を移していたわたしは、その冗談みたいな情報を鵜呑みにすることができず、日本にいるはずの母に何度も連絡を取ろうとした。しかし電話が繋がることはなく、送ったメールも返ってこなかった。
日本行の飛行機は全て運行を停止し、船が出ることもなかった。グーグルアースにはしばらく懐かしい景色が写っていたが、それもやがて見れなくなった。
わたしはその後しばらく鬱々とした日々を過ごした。日本の生存者は絶望的であるという報道を見る度に気が狂いそうになった。その後何度も会社からカウンセリングを進められ、何とか仕事に復帰することもできたが、今でも思い出すとどうしても心が欠けそうになってしまう。
「…そうだね。うんごめん…」歯切れ悪く楓が返信をしてくる。空気が悪くなるのを感じたわたしは空元気な返信を返した。
「ううん。それよりさ、この体に慣れるためにリハビリしなきゃいけないみたいなんだよね」また沈み込みそうになった気分を払拭しようと、大袈裟に話題を変える。
「それはそう。その体の神経を発達させる必要があるもん」
「先生もそんなこと言ってた」
すると楓は、自分の専門だからか得意になって解説を始めた。「そもそもクローン体には刺激が入らないように制御されてたはずだもの」
「…どういうこと?」
「つまり、脳を成長させないってこと」楓はさっきまでの空気を忘れるようにぺらぺらと喋る。わたし達にとって先の戦争のこと、特に日本の話はとても繊細な、出来れば触れたくないものだった。
「このあは“自分”って何だと思ってる」
「“自分”…?」
「そう“自分”。要は意識だよ。デカルトが“我思う、故に我在り”って言ったっていう、あの“意識”ね。簡単に言ってしまうなら、いくつもの選択肢から特定の解を選び出す際に発生する、脳内活動の発露」
「発露…」楓が何を言っているのか分からなくなってきた。
「生じた問題に対する特定の偏りを伴った電位分布がその人の個性を示している、なんて話もあるけど、要は脳内における神経伝達、シナプスのスパイクに依存するものだよね」
「う…ううん……」
「そしてそれが生じる入力は、突き詰めてしまえば体外からの刺激。つまり私達の五感、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。これらのセンサが反応することに起因するんだよ。だからそれらを断ってやる。クローン体への入力を極力ゼロにする。それによってクローン体の“意識”が芽生えないようにしてるわけ」
「意識が芽生えたらよくないの?」混乱したまま訊ねる。
「当たり前じゃない。意識が生まれてしまったらそれはもう別の人。同じ遺伝子、同じ体でも全くの別人になってしまう。だから、意識の芽生えた個体への保険加入者の意識の植え付けは違法行為でしょ?殺人罪に当たるんじゃなかったかしら」
「殺…人……」
「まあ別の見方をすると、そこまで倫理観が緩くなったってことでもあるよね。これ以前には受精卵を一つの命としてたもの。ESにおいては、受精したとしてもクローン体は命とは見なさない、としているから」
わたしは小さくなった自分の体に思いを馳せた。まだまともに動かすこともできないからどういう容姿をしているのかも分からないが、もしかしたらその中に、クローン体の“人格”が残っているのかもしれない。そう思うと、知らずに人の領地を占領してしまったような、居心地の悪さを感じた。
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