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「なぁ聞いてる?」
え、何。
「やっぱ聞いてなかったな」
目をやると呆れ顔の邦明がいた。
辺りが静まり返っている。見回してみると、空港だった。沢山の人が行き交っている。なのに不気味なほどに物音ひとつしない。だけど何故かそれを異変とは感じなかった。
えっと、何だっけ。
何年ぶりかに会う彼に、わたしはあの時と同じ言葉を返した。
「何だっけじゃないだろ。ちゃんとお母さんに謝れよ」
若さゆえの張りのある肌の彼の、唇が生々しく動く。
…分かってるよ。
そう言ってわたしは不貞腐れる。そして笑ってしまう。あの頃のわたしは彼の前ではこんな顔もしていたんだ。その事が妙に愛おしく、同時に寂しく感じる。
新卒で就職し、配属先がアメリカと決まって出立するその日、わたしは母と喧嘩した。
きっかけは確かとても他愛のないことだった。何だったかは覚えていないが、そんな、思い出すことすら出来ないようなことが理由だったからこそ、その後に胸に突き刺さった棘が思いの外大きく、そして抜けないものになったんだと思う。
喧嘩してそのまま飛び出して、いらいらが収まらないまま空港に着くと、そこに邦明が待っていた。
高校の頃から一緒にいる彼は、進んだ大学は別々だったのに疎遠になることもなく、彼が就職してからも関係が続いていた。
一足先に社会人になっていた彼は、新米のわたしがその初めから海外に行くことを心配していた。
邦明が溜め息を溢す。だからわたしは言い訳を並べるように早口になる。
大丈夫だよ。向こうには楓もいるんだし、一人じゃないんだから。
「それはもう何度も聞いたよ」
あ、わたしがいないからって浮気とか駄目だからね。特にアメリアとか。あの子めちゃくちゃ可愛いから、二人きりで会うとかも駄目だから。邦明なんてすぐ絆されちゃうし。
「そんなこと考えたこともないよ。ブライヒさんは、タイプじゃないし」彼は彼女のことを余所余所しく呼ぶ。
ひどい。わたしの友達なのに。
「どうしてほしいんだよ」彼は困ったように笑って、そしてすぐ真面目な顔になる。「お母さんにはちゃんと謝っとけよ」
…また、今度ね。
「そんなんだから後悔するんだろ」
─え?
空港の、窓の外に閃光が走った。構内も一瞬眩しい光に包まれる。
何事かと窓の外を見ると、遠くの方に黒いキノコのようなものが立ち昇っていた。
「─俺を見つけてくれ─」
目の前の彼を見る。すると先程までより萎れて見えた。肌に張りはなく、三十代後半のような風貌。見たことのない彼。なのにどこか既視感がある。
「─後は■■■■が何とかしてくれるから─」
上手く聞き取れなかった。いつの間にか騒音に囲まれている。
墜ちている。その事にようやく気付く。辺りを見渡すとそこは飛行機の機内だった。
これはどういうこと?
邦明に問いかけた。けれどそこに彼はもういなかった。けたたましい警報が鳴り響いている。
ふと右隣、目の端に誰かが映った気がした。慌てて目をやると、窓の向こうから大人のわたしが見返してきた。
怯えてる。違う、戸惑ってる?
その顔は、気付けばマークの顔だった。
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