3.evening

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 「なぁ聞いてる?」  え、何。  「やっぱ聞いてなかったな」  目をやると呆れ顔の邦明がいた。  辺りが静まり返っている。見回してみると、空港だった。沢山の人が行き交っている。なのに不気味なほどに物音ひとつしない。だけど何故かそれを異変(おかしい)とは感じなかった。  えっと、何だっけ。  何年ぶりかに会う彼に、わたしはあの時と同じ言葉を返した。  「何だっけじゃないだろ。ちゃんとお母さんに謝れよ」  若さゆえの張りのある肌の彼の、唇が生々しく動く。  …分かってるよ。  そう言ってわたしは不貞腐れる。そして笑ってしまう。あの頃のわたしは彼の前ではこんな顔もしていたんだ。その事が妙に愛おしく、同時に寂しく感じる。  新卒で就職し、配属先がアメリカと決まって出立するその日、わたしは母と喧嘩した。  きっかけは確かとても他愛のないことだった。何だったかは覚えていないが、そんな、思い出すことすら出来ないようなことが理由だったからこそ、その後に胸に突き刺さった棘が思いの外大きく、そして抜けないものになったんだと思う。  喧嘩してそのまま飛び出して、いらいらが収まらないまま空港に着くと、そこに邦明が待っていた。  高校の頃から一緒にいる彼は、進んだ大学は別々だったのに疎遠になることもなく、彼が就職してからも関係が続いていた。  一足先に社会人になっていた彼は、新米のわたしがその初めから海外に行くことを心配していた。  邦明が溜め息を溢す。だからわたしは言い訳を並べるように早口になる。  大丈夫だよ。向こうには楓もいるんだし、一人じゃないんだから。  「それはもう何度も聞いたよ」  あ、わたしがいないからって浮気とか駄目だからね。特にアメリアとか。あの子めちゃくちゃ可愛いから、二人きりで会うとかも駄目だから。邦明なんてすぐ絆されちゃうし。  「そんなこと考えたこともないよ。ブライヒさんは、タイプじゃないし」彼は彼女のことを余所余所しく呼ぶ。  ひどい。わたしの友達なのに。  「どうしてほしいんだよ」彼は困ったように笑って、そしてすぐ真面目な顔になる。「お母さんにはちゃんと謝っとけよ」  …また、今度ね。  「そんなんだから後悔するんだろ」  ─え?  空港の、窓の外に閃光が走った。構内も一瞬眩しい光に包まれる。  何事かと窓の外を見ると、遠くの方に黒いキノコのようなものが立ち昇っていた。  「─俺を見つけてくれ─」  目の前の彼を見る。すると先程までより萎れて見えた。肌に張りはなく、三十代後半のような風貌。見たことのない彼。なのにどこか既視感がある。  「─後は■■■■が何とかしてくれるから─」  上手く聞き取れなかった。いつの間にか騒音に囲まれている。  墜ちている。その事にようやく気付く。辺りを見渡すとそこは飛行機の機内だった。  これはどういうこと?  邦明に問いかけた。けれどそこに彼はもういなかった。けたたましい警報が鳴り響いている。  ふと右隣、目の端に誰かが映った気がした。慌てて目をやると、窓の向こうから大人のわたしが見返してきた。  怯えてる。違う、戸惑ってる?  その顔は、気付けばマークの顔だった。
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