1.名もない少女

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 「─ホントにごめんなさいでしたっ」  ノジマの前でリュウが頭を下げていた。お下げのように括ったちょんまげがその動きに合わせて揺れている。  ひび割れた黒い道(ドーロ)から脇へ避けた藪の傍で、ノジマは馬車から引っ張り出したパイプ椅子に座り、依頼書の束に目を通しているところだった。その視線をリュウの方に向けてやる。  「ごめんで済む問題じゃないだろ」溜め息が出る。「馬がいない馬車って、もう何なんだよ」  ノジマ達の(ねぐら)にもなっている馬車の、今朝まで馬が二頭繋がれていた先頭の方を見やる。当たり前ながら、何度見てももうそこに馬の影もなかった。  「いやぁ、だってー、ほらー、歩き詰めで喉渇いてんじゃないかなーとか、思うじゃん?」  「それで近くの水場に連れていって?目を離した隙に?」  「だって、川ん中に旨そうな魚がよ…?」  「それでも流石に気付くだろ。馬が動いたんだぞ」  だって音しなかったし。そう不貞腐れるリュウは子ども特有の幼さを見せる。  まぁ今更どうこう言っても馬が戻ってくるわけではない。じゃあ、とノジマは妥協案を考えた。  「じゃあ、朝御飯獲ってきてくれ。俺の分も」  今朝は近くの集落まで行って朝食にありつくつもりだった。だが今回のことでそれが難しくなったのだ。  朝食を食べに行く間これを置いていくことは出来ない。おんぼろでも大切な我が家だ。しかし、だからと言ってこれを引いていくのも現実的ではない。腹に何も入っていない状態で肉体労働とか、考えただけで気が滅入る。だからその妥協案として野生動物を捕獲してくることを要求した。  うぇー、と乗り気ではないリュウが変な声を出す。その腰に差してある刀が体の動きに合わせて揺れた。  その刀はリュウの父親が彼のために鍛えたもの、らしい。詳しい経緯は聞いていないが、彼の父親はヒガシノクニで随一の刀鍛冶だった。その上剣術も極めていたらしく、その腕前はかなりのものだったらしい。  「剣術じゃなくてケンドーな」いつものようにリュウが訂正してくる。  「だからどう違うんだよ」  「よく分かんねぇけどウチのはケンドーなんだって」リュウが頑なに言い分を通してくる。  まぁいいや、とノジマは話を進める。  「とにかく、そのケンドーの腕で猪の一つでも狩ってきてくれ」  「あのな、ケンドーは狩りに使うもんじゃないんだって」リュウが抗議してくるが、ノジマは聞く耳を持たなかった。  「何でもいいから行ってこいって。大剣豪さん」  「ノジマさん、バカにしてんだろ」  ノジマはまた溜め息を吐いた。「あのな、この状況はリュウのせいだろ。猪は言い過ぎたけど、兎でも魚でも何でも獲ってこいよ。それくらいできるだろ」  うぇー、とまたリュウが例の声を出して駄々を捏ねたが、言っても仕方がないと観念したのか、分かりましたよ、と踵を返して藪の中へと入っていった。  ノジマはその背中に、迷子になるなよー、と声をかける。
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