1.名もない少女

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 日光の樹海の真っ只中でコンドウは頭を抱えていた。大丈夫ですか、と声をかけてくる部下の手を払い除ける。  「くそっ!どうなっている!」ずきずきと痛む頭の、こめかみを擦りながらコンドウは大きく悪態を吐いた。撲られたのか、余りの衝撃のせいで踞ったまま立ち上がれない。  「…拘束具を外した折り、コンドウ様に躍りかかったのかと」  部下の一人が上擦った声で報告してくる。だがそんなことはコンドウにも分かっていた。問題はそこではない。  「何故襲いかかる事が出来たかが問題だ!この能無しめ!少しは考えろ!」コンドウは大声で喚く。その声が響き、頭を叩く拍動が強くなった。  申し訳ございません、と頭を下げる部下を見やる。  剃り上げた頭、黒いサングラスに隠れて、苦々しい表情が浮かんでいた。その顔がまたコンドウを苛立たせる。  「おい、お前等!」そう声を張り上げながらコンドウは辺りにいる部下も叱責した。「原因はなんだ!あれの背中には拘束印が刻んであるはずだろう!それでどうして監督員の俺の命令が聞けないんだ!」  原因を問われた部下達は、まるで個性を殺すように坊主頭にサングラス、黒いスーツという出で立ちだったが、中身まで無個性なように揃いも揃って黙っている。  コンドウは激しく舌打ちをした。「お前等の仕事はあれの暴走抑制だろうが!」自分の声が頭に響くが、コンドウは黙っていられない。  「探し出せ!絶対に逃がすな!あれが他国に知られれば最悪の状況になりかねん!」  リュウは目の前にびっしりと並ぶ牙を前に固まっていた。その牙の間から涎が垂れている。  「──うわぁああぁぁぁあっ!!!」リュウは堰を切ったかのように叫び声を上げた。途端に腰砕けになる。  尻餅をつき、それでも懸命に脚を動かし、どうにか距離を取ろうとする。リュウの努力の割りに引き下がれなかったが、それでもそれ(●●)の全体が把握できるようにはなった。  幹のように太い脚。その先につく鋭い鉤爪。分厚い胴体。そこに飾りのように小さな前足が生えている。だがそこにも鋭利な爪。巨大な口には冗談ような牙がこれでもかと並んでいる。その上で、体格に似合わない小さくつぶらな目が両側からリュウを凝視していた。  オオトカゲ。リュウはか細い声でその生物の呼び名を口にした。  全身を覆う鎧のような鱗は生半可な武器を通さず、その巨体と太い尾はあらゆるものを薙ぎ倒す。  数こそ少ないが、恐ろしい噂の絶えない肉食獣。リュウも話にしか聞いたことがなかった。滅多に出会うこともないし、自分には関係ないとさえ思っていた。  それが目の前にいる。リュウを朝食にしようと涎を垂らして。  殺される。殺される殺される殺される殺される殺される……………っ!  リュウの脳内はパニック寸前だった。  その時、視界の右から何かが猛烈な速度で走り込んできた。そのまま巨竜の丸太のように太い左後ろ足に激突する。  釣られるようにリュウが視線を動かすと、オオトカゲの鉤爪の横で人がひっくり返っていた。真っ黒い布を頭から被っていて、布の端から細く白い脚が覗いていた。  「いてて…」くぐもった女性の声がした。そして、頭巾のようになっているのか、頭の部分の布が捲れてその顔が顕になる。  眉の上でぱっちりと切られた黒い髪、白い頬、黒目がちの眼。頭を擦る白く細い腕。どう見てもリュウと同じ歳か、それよりも幼い、少女だった。
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