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【第2話:教えない】
急に慌ただしくなった屋敷の中、オレは他人事のように呑気にその様子を眺めていた。
もともと第二王女のスノア様が来るのはわかっていたので、ある程度準備は終わっていたようだが、今日の食事の準備や客室のシーツ交換、出迎えの為の着替えなどで大忙しだ。
「もぅ!」
ふと隣に目をやると、ミミルが頬を膨らませて腕を組んで立っていた。
「ミミル? どうしたんだ? 着替えてこなくていいのか?」
「だって! 今日はお兄ちゃんの旅立ちの日なのに!」
そう言って、更に頬を膨らませる。
「そ・れ・に! 今日はトリスお兄ちゃんの旅立ちの日だから、もう一番良い服着てて着替えなくていいもん! 気付いてなかったの!」
あ、藪蛇だった……。
「そ、それはまぁ、もちろん気付いていたさ」
「ぜ~ったい嘘だもん! お兄ちゃん嘘つく時は癖でわかるもん!」
なに!? オレ、嘘つく時の癖があるのか!?
「え、えっと……ミミル? オレの癖ってなにかな~?」
そう言って聞いてみるのだが、
「ぜ~ったい、教えない!」
すげなく拒否されるのだった。
~
「トリス、こんな大事な日にすまないな」
父と兄たちの着替えが終わり、迎えの準備が終わった頃、オレが家を出る準備も終わっていた。
今は屋敷の門の前で、家族みんなに見送られているところだ。
成人の日の旅立ちは、家族だけで見送る慣わしだから、屋敷の使用人たちとは、もう別れの挨拶は済ませてある。
「父さん、気にしないでよ。それに街を出るのはまだ当分先だし、たまには顔ぐらい出すからさ」
今日、この国の風習に則って家を出るのだが、すぐに街を出るわけではない。
まずは宿を取り、冒険者ギルドにて冒険者認定試験を受け、冒険者見習いになるんだ。
しかし、冒険者見習いになってもまだ街を出る事は出来ない。
冒険者見習いでは、簡単な非戦闘系の依頼しか受けれない上に、この街でしか依頼を受ける事が出来ない。
何度も依頼をこなし、初級冒険者と呼ばれるEランク冒険者になって、初めて街を出る選択肢を選べるようになるのだ。
「そうだな。また顔を見せに来い。再来週には母さんも王都から戻ってくる」
本当は他の街に行ってから冒険者認定試験を受けても良かったのだが、そうしなかったのは父さんの言うように母さんの都合に合わせたからだ。
さすがに母さんと別れの挨拶も無しで街を出るっていうのはありえないからな。
「とうとう夢の冒険者か~。トリスなら大丈夫だとは思うが、お前は少し天然なとこや鈍感なとこがあるからな。クエストをこなす時は気を緩めるんじゃないぞ」
「そうだね。それに冒険者は実力が全ての厳しい職業だ。何か困った事があったら、ちゃんと父さんや兄さん、話しにくかったら僕でも良いからちゃんと相談するんだぞ?」
「わかったって。父さんや兄さんたちも、仕事に根を詰めすぎて体壊さないようにな……」
やばい……柄にもなく、父さんや兄さんたちの優しい言葉にちょっと目頭が熱くなってきた。
オレが必死に涙を堪えていると、服の裾をくいくいと引っ張る小さな手に気付く。
「ミミル?」
「トリスお兄ちゃん……絶対に絶対に絶対に、怪我したりしたらダメだよ?」
いや、オレ自身は怪我する気は無いんだが、さすがに冒険者を続けていてずっと怪我一つしないって言うのはハードルが高い気が……。
「本当に、絶対に怪我しないでよ?」
そう言って、まだ幼さの残る瞳で上目遣いに見つめてくる。
「……あぁ! 怪我なんて絶対しないさ!」
良し。かわいい妹のためだ。怪我は絶対にしない方向で。
「じゃぁ、そろそろ行くよ。父さん、ファイン兄さん、セロー兄さん、ミミル。オレの冒険者になるって夢を応援してくれて、ありがとう……」
オレはそう言って皆に背を向け、歩き出したのだった。
~
家を出て1刻ほど、息を整えつつ見上げる看板には『旅の扉亭』の文字が読み取れた。
少し息が切れているのは、遠くに豪華な馬車の姿が見えて、ここまで走ってきたからだ。
見つかって歓迎の席に同席する羽目になると、家を出ずらくなるしな。
息を整え終わると、あらためてこれから世話になる宿に視線を戻す。
3階建ての石造りの建物は、宿としては少しこじんまりとしているのだが、ここは掃除が行き届いていて清潔だし、何より料理が旨い事で有名な宿だ。
これからの日々を思い浮かべ、宿を感慨深く見つめていると、ちょうど宿から人が出てきた。
「あれ? トリスの坊ちゃんじゃないか~? もしかして、成人したのかい!?」
「バタおばさん、ご無沙汰しています! 今日、成人しました!」
これからの日々に期待に胸を膨らませていたオレに話しかけてきたのは、この宿の女将さんだった。
「まぁまぁ! それはめでたいねぇ~! うちに泊まってくれるんだろ?」
「はい! 前に少し話したように、今日からしばらくお世話になろうと思っています」
お互い名前を知っているのは、面識があったからだ。
実はこのバタおばさんは、うちで料理人を務めてくれているオートンさんのお姉さんで、前にオートンさんに連れられて挨拶に来たことがあるんだ。
昔、オートンさんに料理を教えたのがバタおばさんだと言うのだから、そこで出す料理が旨いのは当たり前で、それがこの宿に決めた一番の理由だった。
「そうかいそうかい。一番良い部屋を空けてあるから、そこに泊っておくれ。まぁ他の部屋よりほんの少し広いだけなんだけどね」
そう言ってガハハと笑うバタおばさん。
姉弟揃って恰幅の良いお腹が、跳ねるように揺れている。
「ありがとうございます。でも、オレはもう準貴族ですら無くなったので、普通に扱ってくださいね」
しかし、オレがそう言って嬉しそうにしているのが、バタおばさんは少し不思議そうだ。
成人になって家を出た貴族の子息子女は、準貴族の資格を失う。
つまりオレは、今日を以って晴れて平民となったわけだ。
そして、それがなぜ嬉しいかと言うと、冒険者は平民にしかなれないという決まりがあるからだ。
「宿に荷物を置かせて貰ったら、さっそく冒険者ギルドに行って認定試験を申し込んでこようと思ってるんですよ」
「あぁ、そういう事かい。話には聞いていたけど、本当に冒険者になるのが夢だったんだねぇ~」
「はい!」
オレはちょっと照れながらも元気よく返事をすると、これから暫く世話になる部屋に案内してもらい、さっそく冒険者ギルドに向かうのだった。
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