大人の味

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 昨日までの彼らであれば、口と腹を存分に冷やした後は、雑木林を遊び場に暴れまわるのが日課だった。最近の流行りは剣術である。手頃な木の棒を片手にし、大木を宿敵の魔王とでも名付け、思い思いの剣技を一方的に浴びせかけるのだ。それに飽きたなら草むらや木の虚(うろ)に手を突っ込み、どちらが大物を捕まえられるかを競い合った。時々マイナーチェンジが施されはするものの、おおまかに分類すると2パターンの遊びに夢中であったのだ。  トウマたちはこの日も変わらず雑木林へとやって来た。しかし、お馴染みの場所であるにも関わらず、どちらも様子がおかしい。気もそぞろで動きに精彩を欠き、会話もどこか噛み合わない。機嫌が悪いのかと言うとそうではなく、どちらも半分夢を見ているようにボンヤリとしていた。熱中には程遠い心地のままで、特別な収穫もなく、ただ時間だけが過ぎていく。  そうして迎えた日暮れ時。トウマはいつものT字路でシンジロウに別れを告げると、寄り道せずに帰宅した。玄関で靴を脱ぎながら慎ましい気に挨拶を告げると、母が台所から声だけで返事をした。 「お帰りなさい。ご飯ならもうすぐ出来るわよ」  食卓には既に2人分の食事が用意されていた。父の皿が1つも無いのは、今日は帰りが遅くなるとの連絡があったからだ。  テーブルの中央には大皿の素麺があり、それを挟むようにして小分けされた母子の料理が並ぶ。牛肉コロッケに豚のしょうが焼き、冷やしトマト、そして豆腐の味噌汁。比較的トウマが好む献立であるが、今一つ食欲が湧かなかった。  まるで胸元に蓋でもされたかのようで、好物を眺めても心は踊らず、変わりに溜息が漏れる。そんな息子の様子に母は気づいておらず、詰めの作業をテンポ良く進めていた。 「トウマ、今日はこれも食べて。残しちゃダメだからね」  目の前に置かれた小皿はシンプルなサラダだが、トウマはつい目を剥いた。千切りのキャベツとピーマンに白ドレッシングのかけられたものだが、それを見るなりゲンナリとしてしまう。彼は野菜が、特にピーマンが苦手であり、昨晩も満腹を盾にして食べ残したのだ。 ーー今日はお腹痛いって事にして、逃げちゃおうかな。それかコッソリ捨ててしまおうか。  母は再び台所に戻っており、息子の姑息な企みに気づく気配はない。窓をソロソロと開け放ち、網戸も同じく避けておく。後は皿の中身を放るだけで良い。  そんな底の浅い謀略を紡いでいると、不意に昼間の光景がフラッシュバックした。そよ風に揺れる髪、目映い笑顔。そして、大人と同じでカッコいいという言葉。それは尾を引くように長く、しばらくの間脳裏に居座った。  それから改めて小皿を見る。最も苦手とする料理は、大人であればすべて食べきってしまう。少なくとも彼の両親はそうだ。 ーー大人と同じ、大人と同じ。  念仏のように言葉を吐き出すと、体内の血液はフツフツと煮えたぎり、にわかに爆発的なエネルギーが生じた。闘争本能そのままに皿と箸を力強く掴み、躊躇せず一気にかきこんだのだ。 「ちょっとトウマ。いただきますをしてからに……」  つまみぐいを窘めようとした母は絶句した。何せ息子は食卓という場に相応しくない死闘を、鬼気迫る顔で繰り広げていたのだから。穏和でマイペースなトウマから想像も出来ない豹変ぶりには、産みの親もただ唖然としてしまう。  一方のトウマだが、序盤は威勢が良かったものの、すぐに頑強な壁にぶち当たる。臭いだ。口一杯に含んでしまったが為に、噛み締める前からすでに強烈な青臭さに襲われたのだ。鼻孔は散々に攻め立てられ、涙腺が崩壊するのも時間の問題となる。折れかける心。それを奮い立たせたのは、暴走のキッカケと同じ人物だった。 ーーエリカちゃん、僕に力を貸してくれ!  涙混じりの瞳に意思の光が宿る。そして一気呵成。顎をフル稼働させ、前歯奥歯の垣根無しに野菜を寸断し、擂り潰した。今度は苦味満載の汁で口中が溢れかえるが、コップに並々と注いだ麦茶を活用することで、見事全てを胃の中へ押し込むことに成功した。 「はぁ、はぁ。僕はやったよ」  息をついている所へ大きな拍手が鳴り響く。一部始終を見守っていた母が息子の健闘を称えたのである。そしてひとしきり褒めちぎると、今度はその無作法ぶりを叱った。マナー違反であるし、そもそも危険だと言うのだ。  その間、母の言葉はあまりトウマの心に響かなかった。彼の意識に残るのは、かつて無い程の達成感だけだ。
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