大人の味

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 翌日。やはりいつものように母から財貨を受けとると、トウマはシンジロウと共に駄菓子屋へと向かった。今日は早めに到着したので、順番も2番目である。 「おう、坊やたち。昨日は悪かったなぁ。今なら全種類あるから、好きな物を言ってくれ!」  シンジロウは開口一番にチョコアイスを頼み、アイス屋から受け取った。一方でトウマはハッキリしない。しばらくの間迷いをみせ、唇をキッと強く引き結ぶと、少しだけ張りのある声で言った。 「おじさん。僕は抹茶味をください」 「ええっ、本当に良いのかい? ミルク味とか、ソーダやらイチゴやら色々あるぞ?」 「良いんです。ください」  訝しがる男をよそに、トウマは抹茶アイスを受け取るなり猛然と走り出した。向かうは児童公園。昨日、エリカと出くわした場所である。背中にはシンジロウの尖った声が突き刺さるが、片時も足を休めたりはしなかった。  息を切らしてまでやってきたものの、辺りに人の気配はない。アブラゼミによる暑苦しい合唱があるだけであり、遠くに目を凝らしても、だれかがやって来る様子は微塵も無かった。  エリカが現れるのを今か今かと待ちわびている間も、アイスは袋の中で溶け始める。仕方なく包みを剥がして頬張った。舌に鋭い苦味が走る。しかし、昨日のように我慢出来ない程ではなく、少しずつ着実に食べ進めていく。 「トウマ! いきなり走んじゃねぇよ!」  待ち人は現れず、変わりにシンジロウがやってきた。彼の手にも抹茶アイスがある。アイス屋に頼んで品を取り替えてもらったからだ。 「あれ、チョコアイスは止めたの?」 「うっせぇ。お前もどうせ、エリカちゃんに褒められたいから抹茶にしたんだろ!」  苛立ちを隠しもせず、シンジロウはアイスにかぶり付いた。昨日味わった苦味と寸分違わぬ威力に、彼は酷く閉口してしまう。2日続けて好物を取り逃がした事で、一口めにして悪態をつき始めるが、すぐに異変を察知した。 「トウマ。お前、なんで平気なんだよ。昨日はあんなに不味そうに食ってたじゃん」 「あのさ、僕は大人になったんだ。もう子供じゃないんだよ」 「お、大人だって!?」 「そう。大人にね」  トウマは得意満面だった。そして、今ここでエリカに会いたいとも思った。今度は2人まとめてでなく、自分だけを褒めてくれるだろうと確信したからだ。  しかし、いくら待てども彼女は現れない。トウマは少し残念な気持ちになりつつも、夏休みはまだまだ長い事を思い返し、胸の焦りを抑え込んだ。そして乾ききったアイスの棒だけを片手に家路を辿るのだった。  次の日。今日は珍しく、トウマ一人で駄菓子屋へと向かった。いつもの場所でシンジロウと合流しそびれたからである。と言っても遅刻した訳ではない。相手が約束を違えたのだ。 「シンジロウ、どこに行っちゃったのかな」  遠回りして探してみようかと思いもしたが、その必要は無かった。シンジロウは既に店の前で待ち構えていたからだ。安堵して駆け寄ろうとするトウマは、途中で歩みを止めた。彼の容貌が昨日までとは大きく変わっていたせいである。  瞳は窪み落ちたようになり、大きく見開いた眼は肉食獣を彷彿とさせた。顔は酷く青ざめ、頬は削げ落ち、もはや重病人にしか見えない。と言っても調子を悪くした風ではなく、むしろ自信に満ち溢れたシッカリとした足取りである。たった1日で何が幼馴染みを変えたのか、トウマには全く想像が出来なかった。 「やぁトウマ君。ご機嫌いかがかな?」  異国情緒を感じさせる仕草と共に吐き出された台詞は、やはり彼らしさからは程遠い。どちらかと言えば粗暴なシンジロウとは結び付かず、混乱は深みへと嵌まっていく。 「どうしたのシンジロウ? まさか病気した訳じゃないよね?」 「ウフフ。気遣いは無用。調子ならむしろ良い、いや、最上と言っても差し支えないほどだよ」 「いや、おかしいよね。昨日あれから何かあった?」 「ゴーヤーだよ」 「ゴーヤーって、まさか……!?」 「私もね、大人になったんだ。チョコだ何だと言ってた時代が遠くに感じてしまう程にね」 トウマはここで理解した、シンジロウが自分よりも遥かに成長してしまった事を。それは皮肉にも「修行」で強化したおかげで推し量れたのである。熟練者が達人の凄みを知るのにも似ており、苦味巧者のトウマは微かな戦慄を覚えてしまった。  そうしている間にも、アイスを待つ列は動き出した。2人は当然のように抹茶味を買い、決戦の地とも言うべき公園へと向かう。 「ではトウマ君。些か不躾ではあるが、太陽の燦然と輝く下で、甘味とシャレこもうじゃないか」 「何言ってるんだよ。いつもの事じゃない」  シンジロウは包みを2本の指で挟み、手首を返す事で鋭く取り払った。それはテーブルでナプキンを扱うかのようだ。冷気と共に顕となった深緑色の本体。まずは一口、とはいかず、鼻先で小円を描くように動かした。テイスティングである。熟練ソムリエのような勿体振った唸り声をあげ、ようやく一口だけ噛みしめた。静かで、ゆったりとした咀嚼。それからゴクリと喉を鳴らすと、顔面を眩しい太陽の方へと向け、腹の底から喝采の声をあげた。 「ト、レ、ビ、ェアアン! 何と素晴らしい、この奥行きのある深み! ホロ苦さの茂みをかき分けると、微かに、しかし確かな甘味があるじゃあないか! これはもはや氷菓などではない。金剛石、いや玉壁の類だ! あぁ、この魅惑の世界を少女エリカにも教えて差し上げたい!」  トウマは話の半分も理解できなかったが、旧友はいま、自分とは違う次元に存在している事は分かった。語彙にしろ立ち振る舞いにしろ、明らかに子供の範疇から飛び出していた。少なくとも、モソモソと食べ進めるだけの自分よりは大人だ、と思える。勝負は明らかに劣勢だ。ならば願うのは無効試合、つまりはエリカがここに現れない事だ。昨日と同じ結末に至る事を、ただ静かに祈るばかりである。  しかし、無情にも例の鼻歌が聞こえてくるではないか。先日と変わらぬ美しい旋律。それが2人の顔色を鮮明に塗り分けた。絶望に染まるトウマ、そしてシンジロウは勝利を確信し、満面の笑みを声のする方へと向ける。だが次の瞬間には、そちらも同じく凍りついたように固まるのだが。 「あれ、また会ったねー。しかも同じアイス食べてるしー」  エリカは1人ではなかった。隣を歩く少年と腕を絡めながら、仲睦まじい様子をひけらかした。ちなみにその少年とはトウマたちから見て2歳上の上級生であり、体も大きく、顔立ちもどこか大人びた人物である。 「あんまり甘い物食べてると、虫歯になっちゃうよー」  硬直するトウマたちに対し、エリカは先日のように眩しい笑みを投げかけた。しかし、記憶に残るそれとは似て非なるもの。彼女は純粋に微笑みかけたのではなく、有頂天ゆえにお裾分けしただけの他意の無いものであった。つまり彼女の関心事は、トウマたちには無いという事だ。事実、傍を通過した次の瞬間には、全く別の話題に切り替わっていたのだから。 「おいエリカ。あんまり引っ付くなよ。暑くってしょうがねえだろが」 「アタシは暑くないもーん。平気だもーん」 「平気だもーんじゃねえよ。いいから離れろ!」 「良いじゃない。これからプールに行くんだから、汗くらい何て事無いでしょ」   トウマたちはいつぞやのように、無言のまま去りゆく背中を見送った。しかし、心の有り様には天と地の開きがある。燃え盛る情熱など微塵もなく、むしろ胸の奥にヒヤリとしたものが重たくのしかかり、一気に氷点下まで押し下げてしまったのだ。  ベチャリ、ベチャリ。既視感を覚えるような音が2つ続けて鳴る。手元のアイスが零れ落ちたせいだが、それを惜しいとすら思わない。やがてどちらともなく移動する事を促し、長閑な村をしばらくの間さまよった。  こうして彼らの夏と抹茶ブームは終わりを告げた。その代わりに得たものとは、たとえ全力で挑んだとしても必ず報われるものではないという、大人の条理である。舌先などよりも、心に感じる苦味の方が遥かに辛い事を身をもって学んだのだった。
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