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人混みの中を、私は一人で進んでいく。逆らうことのできない、その果てしなく巨大な流れを。何百、何千もの「歩行」という単純作業の中を。
人ごみの中を、私は一人で進んでいく。幼い頃は、私の弱々しい右手を引いてくれる人がいた。私は、疑いもせず、その存在に安心していた。でも、右手を強く握ったあの人の右手が何も握っていなかったのを、幼い私は気づいていなかった。
人ゴミの中を、私は一人で進んでいく。それでも、自分の「歩行」を信じて。他者からみた「人ゴミ」に含まれていない、光った存在と見られることを信じて。
試しに、隣を歩いている人に聞いてみる。
「あなたは、どんな人ですか?」
その男性は、少しの間私をじっと見つめた後、ためいきをつきながら、カバンから紙を取り出した。
名刺だった。名前と、勤務先と、役職と、連絡先が、小さな紙にまとまっている。
私は、名刺を持っていなかった。だって、書くことが無いのだから。
ゴミは私なのかもしれない。
人混みの中を、私は一人で進んでいく。その巨大な流れに早く加わりたくて、進んでいく。
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