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数年後の秋。
炎天下が肌を蝕み、こんな暑さには氷菓がたまらなく美味しい。
僧はこの時期が訪れる度に、京での悲惨な事件を思い出す。あの運び屋は今、どうして生きているのかと。
すると遠くから、車輪が地面に触れる音が響いてきた。大八車に怪しい木箱、それを運んでいるのは間違いない、千丸だった。
千丸はやつれた顔つきで今にも倒れてしまいそうだ。
木箱からは水滴が落ち、氷を運んでいることが理解できた。
「おぉ、運び屋。久しく見るな。今も氷を運んでおるのか」
「あぁ、安呂岳の氷さ」
「あ、安呂岳の。それは危険じゃ、お主が一番よく知っているだろう。何処へ運ぶんだ」
すると、千丸はけたけた笑っていた。
「僧よ、我に目的地はない。これは憎悪を染みこませているのだ。我が通る運氷道にこうして女の憎悪を振り撒き、その憎悪で武士に呪いをかけるのだ。武士を根絶やしにするまで、女の憎悪が消えることはない」
僧が、彼の通った道を振り返ると、人には見えない邪気が漂っていることがわかった。毎年こうして氷を積んで道を渡り、女の憎悪を伝える霊道のようなものを生み出してきたのか。
果たしてこの道を通った武士がどうなるのかは分からないが、供養してやらねば、このままでは千丸の命も危うい。
「因果かね・・・」
あの時、ちゃんと引き止めていれば、彼はこんな運命を辿らずに済んだのだろうか。
すると千丸は黙ってその場を去ろうとした。僧はもう少し知りたいこともあり千丸を引き止めようとする。
「待たれ・・・」
千丸の腕に触れた瞬間、冷気が肌を刺激した。彼の腕は死人より冷たかったのだ。
千丸は立ち止まり、訳を話すことにした。
「氷の様であろう。我の後ろには常にあの女がおるのだ。いや我の全てを女の骸が覆っておるのだ。そのせいか、我にはもう秋の暑さを感じることができんのだよ」
立ち去る千丸の背中をただ黙って見守るしかなかった。女の憎悪の水が消えるのは何時になるだろうか。少なくとも、まだ消えていないことが分かった。
千丸が運ぶ木箱から、ひんやりと冷たい目をした女が、けたけたと笑いながら顔を覗かせていたから。
僧が千丸を見たのはこれが最後であった。
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