骸の氷

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 今から見れば昔の話、時は平安時代。彼は千丸という氷職人である。  氷職人とは、単純に溶けきる前に氷を運ぶことを生業とする者である。  適切な氷室で雪解け水をじっくりと凍らせ、オガクズ、ススキを掛け、保冷性を高める。そうして秋になって切り取り京まで運ぶと、それを天皇や貴族層が砂糖水をかけたりして氷菓子を作る。  京のお偉いさんが秋の暑さにかき氷で涼を嗜むために、彼はいるもんだ。だからそれなりに身分も高い。  氷を運ぶときは細心の注意を払う。運ぶときは分厚い木箱に入れて運ぶが、暑さに耐えきれるわけではない。炎天下を歩いてしまうと異常な早さで氷が解けてしまうから、あらかじめ木陰が多い道順を決めておいて日向に行かないよう歩く。  彼はその道を運氷道と呼んでいた。少し安直だろうか。  さて、今日から出発だ。一年ぶりにお目にかかる氷は、いや、初めてお目にかかる氷は不純物が一切ないような透き通るもので、氷の向こう側が歪んで見えるくらいだ。  そして秋にも関わらず、その氷室では足を踏み入れただけで肌にひんやり冷気が刺激してくる。  早速、切り取る作業に取り掛かる。  流石に運んでいる途中に解けてしまうから、全て解け切ってしまわないくらいにできる限り大きく切り取る。  切り取った氷を木箱に入れ大八車に積むと、駆け足で進み始める。氷職人は脚が肝心だ。  しかし氷というものは中々重たい。坂道とかは非常に疲れる。疲労で汗もかく。  千丸の後ろには冷たい冷たい絶品の贅沢があるというのに、自分はこんなに暑い。少しでもいいから冷気がやってくればいいのに。そんなことも考えながら、ただひたすら運ぶ。  森林を抜けると集落に入る。ここは木陰が少ないから一気に駆け抜けなければならない。  千丸が走っていると後ろから数名の農民が付いてきた。何かと思い走りながら振り返ると、農民は器用に腰を低くし手で受け皿を作り、木箱から滴り落ちる水滴をすくって飲もうとしている。 「ちょいと、ちょいと。ちょいと止まっておくれんかね」 「お前さん、氷運んどるんじゃろ?少し味わわせてくれんかね」  農民は卑しく蔓延り、千丸の邪魔をしようとしてくる。こちとら仕事なんだ、一歩たりとも無駄にしたくないんだ。  千丸は彼らの言葉を聞き入れず、走り続けた。 「うるせい、我はその水さえ飲む暇がねえんだ。邪魔ぁせんでくれ」  それでも農民は珍しい氷に大喜び。  集落を過ぎ去るとようやく彼らもいなくなった。
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