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「改まって話とは何でございましょうか」
紅色の艶やかな着物を纏った淡雪は、尚親の居室に入りながら尋ねた。既に脇息にもたれて座っていた尚親は、言い難そうな顔をしながらも、ぽつりぽつりと口を開く。
「そなたの居室の奥の間に、加野通好の娘が入ることになった」
「通好殿の娘? 殿の側近の通孝殿とは?」
「いや、実の兄妹ではない。通好の妹の娘で、通孝とは従兄妹同士であったが、この度養子縁組をして通好の娘となった」
(養子縁組?)
「儂はいらぬと申したのだが……これから側室として上地家に入る」
「側室!? 私がまだ上地谷に来たばかりだというのに……通好殿はもう私を追い出そうと!?」
「案ずるな、形だけだ。儂はそなただけを妻と思うておる。桔梗にもそう申し伝えるつもりだ」
「桔梗?」
「あぁ。奥の間の庭には昔から綺麗な桔梗が咲くのだ。あの部屋は別名『桔梗の間』、故に側室は『桔梗の方』と呼ばれるだろう」
尚親はそう言いながら、不安を取り除くように淡雪の肩へそっと手を置いた。
「そなたはわしの正室だ。堂々としておれば良い。桔梗のこと、宜しく頼むぞ」
* * * * *
首筋にぐちょりとした寝汗を感じて、瞼を開いた。ベッドの棚に置いてあるスマホ画面を見ると、まだ朝の5時半だ。
――私という者がありながら、尚親様は易々と側室を受け入れる気か!!
――宜しくとは何だ!? 何故私が側室如きと宜しくせねばならぬ。宜しくするのは尚親様の方ではないのか? あぁ……口惜しい!!
煮えたぎるような淡雪の嫉妬が、響介の覚醒をむりやり促した。夢に尚親が出てきたのは久々だったが、寝起きは最悪だ。いつもより嫉妬の感情が倍増していたかのように思える。
尚親の側室が夢に出てくるのは、響介にとってこれが初めてでは無かった。しかし最近では、淡雪が上地谷を追い出されて以降の夢が多く、自分の子どもと引き裂かれて嘆き悲しむ感情に苛まれることの方が多い。
今回の夢はまだ子どもも産んでいない、尚親と結婚して上地谷に入ったばかりの頃のものだ。どうして今頃になってこんな夢を見たのか。
「あの三沢とかいう一年坊主のせいか?」
あいつが「自分も前世では直緒と夫婦だ」なんて言い出すから……そこまで考えて響介はハッとした。いや、ちょっと待てよ? 側室も夫婦と言えば夫婦ではないのか。
(もしかしてあいつ……前世は桔梗の方か?)
だとしたら、平然とあの場であんな事を言ってのけたのも頷ける。それが本当だとしたら、やっかいな奴が近くにいたものだ……こんな偶然、世の中に頻発するものなのかと、後頭部を掻き毟った。
尚親の記憶を持つ直緒の存在が身近にいただけでも凄い偶然だと思えるのに、まさか側室の記憶を持つ者まで近くにいるとは……。事は簡単に運ばないかもしれないと、軽く眩暈が襲った。
しかし恐れることは何も無い。夢の中で尚親も言っていたが、正室は淡雪なのだ。側室が何だと言うのだ。
響介は再びスマホをいじり、メール受信箱を覗く――新着は無し。
「元正室からのメールくらい返せっての!」
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