3-3 不在

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3-3 不在

「禁術?」  葛城総合病院の廊下を歩きながら、戸田基樹は訊いた。 「ああ。要するに、文字通り“禁止する術”だそうだ」  木野友則は答えた。 「刃を禁ずれば切れなくなり、火を禁ずれば燃えなくなる。今回焔は賢の手足を禁じた。部屋から出ようとすれば発動するように」 「出ようとすると手足が動かなくなって、閉じ込められるというわけね」  河村朝子も言う。 「賢はそれでも出れないか、試したりしたらしいがな。──あと、かけた本人である焔が来た時にも発動してたそうだ。余計な抵抗をされない、生きた抱き人形の出来上がりだ」  賢をダッチワイフ代わりにしやがって、と友則は腹立たしげに独りごちた。 「おっと、ここだ」  ある病室のドアの前に立ち、ノックする。中から、はい、と声がした。 「よう、賢」  ドアを開ける時には、いつもの友則の表情になっている。 「あ、木野さん。ようこそ……って言うのも変かな。戸田さんも、朝子さんも、座ってください」  賢治は微笑んで三人を迎えた。その笑顔は、以前と変わらないようにも見える。 「元気そうね、安心したわ」  朝子は持って来た花を、ベッドサイドにあった空の花瓶に活けながら言った。 「体の方はほとんど本調子です。舞台にも立てますよ」  何日も監禁され犯されながらも、賢治の身体には意外な程にダメージは少なかった。性病の心配もなく、身体的な問題はないと言っても良かった。故に賢治が今この病院にいるのは、焔が再度彼を奪い返そうとすることを鑑みて保護しているという意味合いが強い。カウンセリングも受けてるんです、と笑う賢治の態度に、何か無理をしていると三人全員が感じていた。  見舞いに持って来た菓子をつまみながら、それでも他愛もない話をする。 「先生や縁さんに色々聞きました。芦田先生には、縁を切ったとは言え従兄が申し訳ありません、と土下座するような勢いで謝られましたよ」 「別にあっしーが責任感じる必要はないと思うけどなあ」 「俺もそう言ったんですけどね」 「──賢。おふくろさんには、何処まで話した?」  不意に、友則が訊いた。賢治の動きが、一瞬、止まった。 「……母さん、ですか?」 「ああ。おまえがいなくなる前の態度からして、おふくろさんはおまえが“秋月”の力を継いでいることを感づいてる筈だ。多分、ずっと前から」  賢治は笑顔を崩さないまま、少しうつむいた。 「……会ってませんよ」 「え?」  朝子と基樹が賢治を見た。賢治は笑顔を崩さない。 「来てないんです、母さん。ここへは一度も」 「……賢……おい」 「あ、着替えとか身の回りの物とかは、父さんと彩佳が持って来てくれるんで。二人とも、腫れ物に触るような感じなんで、ちょっと居心地悪いけど」 「大江君……!」  賢治の表情が見えない。笑顔を作ってはいるが、何処か虚ろな眼で言葉を紡いでいる。 「母さん、いつも俺に『男らしくしろ』って言ってたから。来ないのは、きっと、俺が無理矢理、」  ──“女”にされてしまったから。 「判った、賢治、もういい」  最後まで言う前に、友則が遮った。静かだが、有無を言わせぬ声で。賢治は我に返ったように言葉を止めた。 「……すみません、俺一人でべらべらと」  友則は何処か殺風景な病室の中を見回した。恐らく母親が来ていないというのは本当だろう。更に、友則の洞察力は嫌なことを感づいてしまっていた──多分もう一人、この病室を未だに訪れていない者がいる。  身体的な傷は軽いが、精神的な傷はかなり深い──というのが三人の共通の見解だった。賢治の病室を出て廊下を歩いていると、三人の前に一人の少女が立ちふさがった。 「木野さん!」 「……彩佳ちゃんか」  賢治の妹、大江彩佳だった。 「お兄ちゃんが見つかって、家に警察の人が来た時、言ってた。お兄ちゃんは、何者かによってセイテキボウコウを受けてた、って」  病院内の喫茶スペースで、彩佳はぽつぽつと語っていた。 「お父さんもお母さんも、わたしには聞かせたくなかったみたいだけど……こっそり聞いちゃった。──わたしももう中学生だよ。お兄ちゃんがどんなことされたか、何となく、判るよ。冗談で『お兄ちゃんはそこらの女の子よりキレイなんだから、変な人には気をつけないと』なんて言ってたけど……まさかホントになるなんて思わなかった」 「判るわ。わたし達もそうだったもの」  朝子が言った。 「お母さん、お兄ちゃんに会いに行かないの。前からお兄ちゃんとはなんかギクシャクしてたけど……お兄ちゃんと会うのが怖いみたい」  彩佳は“秋月の女”の存在を知らない。賢治の母親が真に恐れているのは、賢治の中の“秋月”だ。母親が何を思って賢治に男らしさを押し付けるような育て方をしたのか、今なら判る。彼を、“秋月の女”にしたくなかったのだ。そして彼女は、“秋月の女”になったかも知れない息子と向き合えないでいる。 「お兄ちゃんはお兄ちゃんで、戻って来てからずっと何もなかったように笑ってる。でも、あれはホントの笑顔じゃないよ。お兄ちゃん、一度も泣いてないんだよ。辛くないわけないのに」  昨日賢治を見舞った風太郎がぼそりと漏らした言葉を、友則は思い出した。──大江君には、僕みたいな人間にはなって欲しくはないんですけどね。 「それだけじゃないだろ?」  友則はそう、水を向けた。 「彩佳ちゃんには、もっと気になることがあるんだよな?」  彩佳はうなずいた。 「……次美ちゃんも、お兄ちゃんと一度も会ってないの」  やはり、と友則は思った。病室にあった、空の花瓶。あれは賢治の家で目にした記憶がある。恐らく彩佳が持って来たものだろう。花瓶だけで中身の花がなかったのは、花を持って来る人物がいるのが判っていたからだ。次美が賢治を見舞うのに、自分達より早く来ないわけがないし、花の一つも持って来ないわけがない。……しかし、花瓶は空っぽだった。花を持って来るべき人物が、まだ病室を訪れていない証拠だ。 「あの病院に入院した次の日に、一回次美ちゃん来たの。でも、お兄ちゃんが『今はまだ顔を合わせたくない』って……それ言ったら、次美ちゃん、すごく寂しそうに笑って、『じゃ、仕方ないね』って言って……病室の外までは来ても、中には絶対入らないの」  彩佳は泣きそうな顔で言った。 「わたしね、お兄ちゃんと次美ちゃんが仲いいのとっても好きだった。お似合いだって、ずっと思ってた。二人で笑ってて欲しいって思ってた。こんなことでお兄ちゃん達が別れちゃうなんて……イヤだよ」 「そうだな。……俺も嫌だ」  思いがけず友則の口から出たこれは、──本音だ。基樹も朝子も、そう感じた。  次美は、賢治が犯されているところを見ている。賢治も、次美に見られたことを知っている。それが二人の間に溝を作ってしまったのだろう。以前の二人の仲の良さを知っている彩佳には、会おうともしない今の二人を見ているのは辛いだろう。それは、友則達も同じだ。 「彩佳ちゃん、俺達も賢と次美の為に出来るだけのことはするよ。約束する。また何か話したいことがあったら、このおにーさんおねーさん達がいつでも聞いてやっから」  友則の言葉に、基樹と朝子も微笑んでうなずいて見せる。彩佳の前に置かれたオレンジジュースのグラスに、つい、と水滴が伝った。 「……ありがと、木野さん。お兄ちゃんを、よろしくお願いします」  彩佳はぺこり、と頭を下げ、帰って行った。 「……約束、しちまったな」  基樹が友則を横目で見た。 「守るさ。可愛い女の子との約束なんだから」      ☆  同じ頃、賢治が監禁されていた日本家屋の前に、武田春樹の姿があった。見張りに立っていた“天地”の一員が軽く頭を下げた。 「芦田焔が戻って来た様子は?」 「ありません。獲物を取り返されたので、ここからは完全に撤退したようです」 「そうか。……入らせてもらうが、いいか」 「縁様から聞いております。どうぞ」  春樹は玄関をくぐった。廊下を抜け、賢治が閉じ込められていた一番奥の部屋に入る。 (──綺麗だな)  それが第一印象だった。  一週間近く、ここに人が一人閉じ込められて何度も犯されていたにも関わらず、部屋の中に残された“想い”が少なすぎる。どうやら、この部屋の主が立ち去る時に綺麗に掃除して行ったようだ。染み付いた“想い”を祓い、自らの痕跡を残さないように。 (──だが、俺の眼を舐めるなよ)  加害者であれ被害者であれ、どんなわずかな“想い”も見落とさず、見届ける。それが刑事としての武田春樹の信条だ。  部屋の真ん中に敷いたままになっている布団に近づく。何かが残っている可能性があるとすれば、ここだ。被害者である賢治が、犯され続けたまさにその場所。  布団に手を置き、半目になる。視界が春樹の身体を離れ、この六日間の痕跡を探った。残っているものは少ないが、丁寧に拾い上げる。そのほとんどは被害者の“想い”だ。身体を弄ばれる屈辱感と羞恥。自分を犯す男への怒りと恐怖。ろくな抵抗も出来ない無力感。肉体的な苦痛。無理矢理高められる性感。そのうち、春樹の眼に気になるものが映った。 (……これは……どういうことだ?)  春樹をして思わず戸惑わせる程の、少なからず意外な感情の余韻。だがそれは確かに、ほんのわずかだけ残った、加害者の“想い”の断片だった。
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