4-1 配役

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4-1 配役

「よっ、賢、元気かー?」  いつもと同じくにこやかに入って来た友則に、賢治は笑顔を返した。 「まあ、元気っちゃ元気ですよ。ちょっと退屈ですけど」 「そっか。あ、これ、Missing Linkのアルバム出てたから買って来た」 「あ、明智さんの?」 「そ。我が盟友、明智悟のファーストアルバム」  去年、加西高校で起こった事件で、友則達と共に加西高校の敷地内に閉じ込められた一人である明智悟が率いるバンドは、あれからまもなくMissing Linkというユニットとしてデビューした。じわじわと人気も出ているらしい。友則とは今も時々SNSでやり取りしているという。 「そっかぁ……頑張ってんだな、明智さん達」  賢治は懐かしそうに微笑んだ。まだ一年も経っていないのに、随分昔のことのような気がする。──それだけ、ここ最近自分の身に起こったことが重すぎたのだ。その重力は、未だに自分を捕らえて離さない。 「ところでな、賢」  友則はぽす、とベッドサイドの椅子に腰掛け、にこやかな表情のまま言った。 「今日は俺、おまえにセカンドレイプしに来た」 「はあ!?」  友則の口から出たとんでもない言葉に、さすがに賢治もしばらく二の句が告げなかった。 「…………それは……面と向かって言う台詞ですか?」  それも被害者本人に。 「言わなきゃ心の準備が出来ねーだろ」 「……グーで殴ってもいいですか」 「その前に質問に答えろ」 「答える前に殴るかも」  賢治は拳を握り込んだ。友則は意にも介さず、質問を放った。 「おまえ、焔に抱かれて──感じた?」  殴りかかろうとした。だが、殴れなかった。  友則の、眼。興味本位でも、冷やかしでもないと、友則は眼で語っていた。それはあくまでも真摯で真剣で冷徹で、──舞台の上に立ち、また演出をつけている時と、同じ眼差しを投げかけて来ていた。この眼の前では、誤魔化しも嘘も通用しない。自分自身をまるごとぶつけないと、対抗出来ない。  賢治は握った拳をゆっくりと開いた。答えるしかなかった。 「……気持ち、良かったですよ?」  友則から目をそらしながら、引きつった笑顔で。 「最初は気持ち悪くて痛いだけだったのに、だんだん身体が馴染んで来て……勝手に快楽を拾って。こういうの、開発されちゃった……って言うのかな。後ろにあいつの入れられて、声上げて、終いには自分から腰振って、あいつをねだるような真似までしてたんですよ、俺」  口元だけに笑みを残してはいるが、顔色は蒼白になり、体は小刻みに震えている。 「すっげえ淫乱でしょ? あいつはさぞかし楽しかっただろうと思いますよ、俺がどんどん墜ちてくから。次美が来た時だってそうだ、俺はあの時自分がどんな表情してたか判らない。男に抱かれてよがり狂って、笑ってたかも知れない!」  賢治の眼から、ポロポロと大粒の涙があふれ出た。友則は舞台に立つ時の冷徹な眼で、それをじっと見ていた。  ──ああ、やっと泣いた。  妹に心配させる程泣けないでいた賢治が、やっと心の奥底に覆い隠していたものをさらけ出して、泣いている。 「こんな──次美に顔なんて合わせられないよ、俺……」  このまま、全ての澱を涙と共に流しちまえばいい。 「木野さん、俺、ホントは怖いんですよ。もしも俺の前にまたあいつが現れて、またあんな風に抱かれたら……俺は、自分からあいつの手に墜ちてしまうんじゃないかって」  仲間も家族も愛する人も全部捨てて、あの男との快楽に溺れてしまうかも知れない。それがおまえの何よりの恐怖か。  友則は一度だけ、眼を閉じた。開いた時には、もう賢治の先輩としての眼になっている。 「ストックホルム症候群みたいなもんだ」  友則は言った。 「おまえは生殺与奪の権を完全に握られていた。手足の自由まで効かなくされて。そういう時、生きる為に状況に適応しようとするのは仕方がないことだと思う」  賢治は聞いているのか判らない。 「おまけに、閉じ込められてた状態では、あの男とやることだけが唯一の外からの刺激だしな。他を遮断されそれだけ与えられてる状況に適応しようとして、身体が反応する方向に向かってしまったんだろう。それにおまえは、元々状況適応能力が高いんだよ。俺と戸田っつー変なの二人と出会って、すぐに馴染んだ奴なんておまえくらいだぞ。適応能力高すぎだろ」 「……木野さんと一緒くたにされると、戸田さん怒りますよ」 「どうせ聞いてねえよ」  やっと返って来た答に、友則はにやりと笑って見せた。 「……ま、こうやって言葉を並べ立てても、おまえにとってはただの気休めにしかならないかも知れねえ。おまえの悩みや怖さを全て救ってやれるとは、さすがに俺も思ってねえよ。でもな、こうやって聞いてやることなら出来るし、聞いた話は誰にも言わない。今聞いた話も含めて」  俺は嘘はつかねーよ、知ってるだろ? 「それに、俺の予想が正しければ、焔はおまえを感じさせるように抱いてる」 「え?」  最後に付け加えられた言葉を聞きとがめ、賢治は不審そうな眼を向けて来た。が、思いがけず真剣な視線を返されて少したじろぐ。 「──賢治、一つ言っとく。今のおまえにとって、肉体的な快楽なんて忌まわしいものでしかないかも知れない。だが、好きな相手に触れたいと思う欲とか、快楽を分かち合う悦びってのは、おまえの中に最初っからあるもんだからな。それは忘れるな」 「……どういう……ことですか?」 「おまえはまだ、次美のこと好きなんだろ? でなきゃ、そこまで気に病んだりしない」  指摘されて、賢治はうつむいた。 「俺はね、次美と一緒の未来を考えろって言ってんの。まずは素直になって会って話せ、すぐにとは言わんけど。彩佳ちゃん、心配してたぞ、二人が会わないって」  友則は立ち上がり、病室のドアを開いた。 「んじゃ。俺の言いたいことは、それだけだ。また来るわ」  ドアが閉められ、部屋には賢治だけが残された。 「……そう簡単には、行きませんよ……」  賢治は、一人つぶやいた。      ☆  三枝次美は、大きな姿見の前の椅子に座っていた。星風演劇部の部室だった。今は夏休み中で、他に誰もいない。  傍らに木野友則が立っていた。夏休み中の部室を風太郎に頼んで借り、次美を呼び出してここに座らせたのは他ならぬこの先輩だった。 「あの、木野さん、一体何ですか……?」 「いやー、彩佳ちゃんが心配しててさぁ。おまえと賢が一回も会ってないって」  友則は鏡に写った次美に向かって、にこやかに語りかけた。 「それは……」  次美はうつむいて答えた。 「賢ちゃんが会いたくないって言ってるんで、仕方ないです」 「賢が、ねえ」 「当然ですよね。わたしは賢ちゃんのあんな姿を見ちゃってる。自分があんなことされてるとこ、絶対見られたくないし」  ──ああ、そんな泣きそうな顔をして。 「賢ちゃんが、わたしの顔なんか見たくないって思っても、仕方ないって」  表情が言葉を裏切っている。 「三枝次美」  ぴしり、と張りのある声が耳を打った。思わず答を返す。 「はい!」 「前を向け。鏡の中の自分を見ろ」  これは、演出家としての木野友則の声だ。鏡の中には、自分の顔がある。迷子の子供のような、自分自身の顔。自分に問え、ということか。 「次美。……賢のこと、まだ好きか?」  声が少し、柔らかくなる。 「……はい」  はっきりと、答えた。 「賢があんなことになっても?」 「はい。好きです」 「賢はあれで、性的なことに対してかなりのトラウマを負った。おまえに手を出さなくなるかも知れねーぞ」 「それは……今までも出してないし」 「へ?」  友則の目が点になった。次美の正面にしゃがみ込む。 「ちょ、ちょっと待て、おまえらそーなの? 清い関係?」  次美は赤くなってうなずいた。 「キスくらいは……しますけど」 「一回も?」 「中学の時に一回だけ……でも、わたしが嫌がって結局何にも……」 「うわ、そーだったか。賢の奴、そっち方面不器用そうだと思ってたけど、予想以上に不器用だったとは……」  友則は天を仰いだ。次美は真っ赤になっている。 「だが、そうか、そんなんでああいうことされちまったんだな、あいつ」  一人で得心する。そして友則は、改めて次美に目線を合わせて語りかけた。 「なあ、次美。俺さ、女の子でも好きな相手と触れ合いたい、もっと言うとエッチしたい欲ってあると思うし、あって然るべきだと思うんだよな。そりゃ、男と女じゃ欲望の表れ方も違うし、リスクは女の方が大きいけどさ。でもおまえらに関しちゃ、もっと素直になった方がいいと思うぞ、俺は」  友則はすっと立ち上がり、言葉を続ける。 「次美だって、賢治ともっと先に進みたいって思うこと、あったろ?」  少しの間があって、次美は消え入りそうな声で答えた。 「……はい」 「だから、」  次美の背後に回り、肩に手を置く。 「次美。おまえに一つ、役を与える」 「役……ですか?」 「ああ。全編アドリブ、一発勝負の役だけどな」  顔を次美のそれに寄せる。共に鏡に眼を合わせて。 「アンデルセンの『雪の女王』、知ってるよな? 少女ゲルダは、雪の女王に連れ去られた幼馴染のカイを取り戻すべく旅に出る。彼女は特別な魔法なんて持ってない。彼女が持ってるのは、カイに対する一途な想いだけだ。だが、それがいろんな人々や動物達を動かし、彼らの協力でついに北の果てまで辿り着いて、カイを取り戻す」  まるで、悪魔の囁きのように。 「次美。おまえはゲルダだ」  友則の言葉が染み込んで来る。 「賢治の身体は帰って来たが、心は未だ北の果てにある。おまえは賢治への想いだけを武器に、氷に閉ざされたあいつの心を奪還しないといけない」  それが出来るのは、おまえだけだ。 「行け、ゲルダ。おまえの男を、取り返せ」  次美が、友則を見た。鏡に写る彼ではなく、自分のすぐ横にある実際の彼の姿を。友則は微笑んで、うなずいて見せた。
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