5-1 初夜

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5-1 初夜

 賢治と次美が一つ部屋で暮らし始めて、一週間。次美がここに居られる、最後の夜だった。  賢治が待つ寝室に、次美が入って来た。洗い髪が艶めいている。ベッドに座り、口付けを交わす。 「……本当に、いいの?」  賢治が訊いた。次美はうなずいた。 「いいよ、賢ちゃんだから。……そっちこそ、大丈夫なの?」 「大丈夫……次美だから」  抱き合って眠ったあの夜から、確かめるように二人はスキンシップを重ねていた。触れ合う。抱きしめ合う。口付ける。多分こんなことが出来るのは、相手が次美だからだ、と賢治は思っていた。他の人間では、恐らくこうは行かない。  触れ合えるようになると、どうしてもその先を考えてしまう。次美はこういうことは初めてだ。初めてはやはり好きな相手と、というのは女の子としては至極当然の思いだろう。  では、賢治は。誰かと肌を合わせることは、彼にとってはトラウマになっている。それでも、賢治は彼女にもっと深く触れ合いたい、という思いがあった。きっと、今しかない。今を逃すと、またずるずると何もない時間を過ごしてしまいそうな気がしていた。三年越しの気まずさの解消が、こんなタイミングだというのもどうかと思うが。  二人とも、友則に「素直になれ」と言われている。その友則が昨日届けて来た差し入れの中にこっそりコンドームの箱を(ご丁寧に使い方の図解付きで)紛れ込ませていたのを発見した時は、さすがに大きなお世話を通り越してセクハラレベルだと思ったけれど。  まあ、そんなことは置いておこう。何となく、賢治も次美も、この最後の夜に自分達はそういうことになるのだろうな、と感じていた。言葉には出していないが、二人の間で交わされた確かな約束だった。最後の夜。そして、初めての夜。  二人はベッドの上で口付けを交わしている。最初は軽く、それから徐々に深く。いつもより背伸びした、大人のキス。合間に吐息が漏れる。  彼女の夜着のボタンを一つ一つ外し、優しく脱がして行く。白く美しい裸体をベッドに横たえると、彼女は恥ずかしげに顔をそむけた。自分も服を脱いで、体重をかけないよう注意しつつ彼女に覆い被さる。  あの屈辱と快楽にまみれた忌まわしい日々で、何か一つだけ収穫があったとすれば、される側の気持ちを体感したことだ、と賢治は思った。今からでも、中三の自分をぶん殴ってやりたい。おまえは次美に滅茶苦茶怖くて惨めな思いをさせたんだぞ、判ってるのか、大江賢治。  だから、今は。まず次美を気持ち良くさせてやりたいと思う。自分はまだちゃんと最後まで出来るかどうか判らないし、何より次美の柔らかくて華奢な身体は、乱暴に扱うと壊してしまいそうだ。  大事にしたい。彼女の、心も、身体も。  耳朶を甘噛みする。彼女がくすぐったそうに身をすくめる。首筋や鎖骨に唇を落とす。焔にされたことを次美にやり返しているようで少し気が引けるが、止めることは出来ない。  彼女の胸に手を伸ばす。彼女の胸の膨らみは、自分の手にすっぽりと収まった。やわやわと揉みしだき、薄紅色の乳首を指で刺激する。もう片方の乳首は口に含み、舌先で転がした。 「あ……」  次美の口から切なげな声が漏れた。彼女の手が賢治の頭に回る。髪や背中に触れられる。包まれてるようだと思う。  さらに彼女の滑らかな肌に手をすべらせ、口付けて行く。気持ち良さそうなところを探って行く。  やがて、手は彼女の一番秘められた場所へたどり着いた。優しく触ってやると、そこはしっとりと湿り気を帯びて来る。 「……賢ちゃん……」  上気した顔で名前を呼ばれる。 「気持ちいい?」  ささやくと、彼女は恥ずかしそうに、だがはっきりとうなずいた。そんな反応も可愛らしい。  脚を開かせ、そこに顔を埋めた。丁寧にそこを愛撫すると、彼女の身体がびくん、と震えた。熱い息をつく。甘い声が上がる。蜜が溢れ出る。  いつしかそこは充分に濡れそぼっていた。指で触れると、湿った感触がした。思った以上に、自分も興奮している。勃ち上がった自分のそれに、避妊具をかぶせた。友則が寄越したものを使うのは癪だが、次美の為でもある。  慎重に身体をつなげる。次美が眉根を寄せた。 「痛い?」 「……大丈夫」  次美は少し微笑んで見せた。 「それより、嬉しいよ」  次美は思い返していた。  ──木野さんにも、河村先輩にも、もちろん賢ちゃん本人にも、決して言えないことがある。  あの、夢。賢ちゃんを見つけるきっかけになった、あの夢。あの時、男に抱かれていた賢ちゃんの表情を──とても色っぽい、と思ってしまったなんて、誰にも言えない。ましてやそれが、無理矢理されてたとは言え、自分ではない他の人間に向いていたことが嫌だと思ったなんて。  あの表情を、わたしのものにしたいと思った。だから、木野さんの口車に乗って、わたしはゲルダになったのだ。  賢ちゃんが、わたしの中にいる。痛みも圧迫感も、何もかも嬉しい。──そして、賢ちゃんは今、あの時よりも色っぽい表情をしている。それがすごく、嬉しい。これは、誰にも言えない、わたしの独占欲。 「動くよ……いい?」 「うん」  賢治は。  次美の表情を見て、愛しさといじらしさが込み上げて来た。彼女とつながっていることが、自分も嬉しいと思えた。──たいせつだと、思った。こんなに柔らかくて、熱くて、気持ちいい。誰にも渡したくない。  どちらからともなく、しっかりと手を握り合った。 「賢ちゃん……好き……」 「俺も……好きだよ、次美」  次美の感触が、賢治を包み込んでいる。少しずつ、律動は早くなって行く。二人とも、息が荒くなる。次美だけでなく、賢治の口からも小さく声が上がる。お互いにお互いを、探り合う。 「賢、ちゃん……気持ち、いい?」  苦しげな息の下から、次美が言った。 「賢ちゃん、にも、気持ち、良くなって、欲しいよ」  ──あなたにも、感じて欲しい。わたしで。わたしもあなたで感じたいし、あなたもわたしで気持ち良くなって欲しいの。  何という、殺し文句。  一方的に与えられた快感なんて、比べ物にならない。  答の代わりに、深く口付ける。全身で相手を感じたい。二人で一緒に気持ち良くなりたい。  交わりとしては、稚拙なものかも知れない。でも、それを補って余りある多幸感が、二人の間にあった。なんて幸せなんだろう。おまえと──あなたと──こうしていることは。 「あ、あ……賢ちゃん……」  彼女の身体が、しなやかにのけぞった。自分の中心にも、熱が集まっている。  満たされる。そう思った。身も心も、幸せと愛情で満たされる。細胞の一つ一つまで。魂の隅々まで。満たされた感覚を共有したまま、二人は絶頂に達した。  次美が、幸せそうに眠っている。賢治は彼女の髪を撫でながら、寝顔を愛おしそうに見つめていた。その額に一つ、キスを落とす。 「ゆっくりおやすみ。朝までずっと」  賢治はそうささやいた。 「……ごめんね」  少し哀しげな瞳で、そう付け加える。  ベッドから抜け出し、衣服を身につける。そして賢治は、そっと部屋を出た。廊下を歩いていると、警備の人間に見とがめられた。“天地”の配下の者が、二人。 「いけませんよ、部屋から出ては」 「すぐにお戻りください」 「うん、判ってます。……でもね」  にこにこと微笑んでいる賢治の眼が、きらりと光った。 「悪いけど、ちょっと寝てて」  言葉を発した途端、警備の二人はその場に崩れ落ちた。賢治は何事もなかったかのように、二人を置いて歩き去って行く。 「さて」  笑顔にも似た表情が浮かぶ。だがその表情は、今まで彼が見せたことのないものだった。何処か狂っていて、昏くて、その癖酷く美しい。 「……あいつは何処にいるのかな」  まあ多分近くに来てると思うけどね、と彼は独りごちた。  賢治は病院の建物を後にした。      ☆  同じ夜。  葛城総合病院の敷地の中に、ちょっとした公園のようになっている中庭がある。昼間は一般の患者達の憩いの場になっている場所だ。  夜も更けた今は、普段なら誰一人いない筈だった。だが。  そこに佇んで、建物を見上げている男がいた。芦田焔。周囲に最大限の警戒を払いつつ、心の触手を伸ばして中を探っている。が、目当ての気配すら感じない。 (物忌の間に入れたか)  この病院の何処かにあるという、霊的シェルター。彼は恐らく、そこにいる。 (だが、いつまでも隔離しておく訳には行くまい)  そのうち、外に出ざるを得ない。その時が自分にとってのチャンスだ。あれは私のものだ。私のものでなくてはならない。  と。焔は何者かの存在を感じて振り向いた。霊力は感じない。普通の人間だ。その人物は、焔に向かってまっすぐに歩いて来た。明らかに焔が目当てだった。 「よう、やっと会えたな」  馴れ馴れしい程ににこやかに声をかけて来たのは、つり気味の眼をした若い男だった。 「おまえは……」 「俺のことは知ってるよな、芦田焔? お初にお目にかかる、木野友則だ」  木野友則は、カーテンコールを受けるように優雅に一礼した。 「こんなところで何をしている」 「それはこっちの台詞じゃね? こんなとこに不法侵入して、賢治探しに来たのかよ。諦め悪いねぇ。……ちなみに俺は」  何処か人を小馬鹿にしたような笑みで、友則は言った。 「芦田焔っていうヘタレ野郎の顔を拝みに来たのさ」
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