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5-3 隠形
矢が放たれても、友則はその場を動かなかった。霊力を持たない彼には、矢の存在を感じることすら出来ない。何のリアクションもないのは当然ではあった。
だが。
炎の矢は、友則に命中する前にまるで花火のように弾け、残らず消滅した。
「なに!?」
「あれ、何かやった?」
友則は涼しい顔をしている。
「ああ、そーいや言ってなかったっけ。俺さ、こう見えてめっちゃ臆病なんだよね」
全くそう見えない態度で言う。
「おまえの得手とする隠形は、おまえの専売特許というわけじゃない」
ふわり、と友則の傍らに今まで存在していなかった人影が現れた。芦田風太郎だ。眼鏡は今は外している。
「単におまえ程巧妙に隠れることが出来ないというだけだ」
また一人。武田春樹が。
「現に、ここにいるおまえの従弟は、コインの音に隠れて見せた」
天地縁が。
「コインのわずかな音に人が一人隠れられるなら、」
一人。また一人。
「俺一人の陰に一体何人隠れられるんだろうね?」
気がつけば、周囲はすっかり包囲されていた。その数、十数人。
「まさか……この人数を隠す為に、自ら囮になったと言うのか」
「これくらいの人数いなきゃ、安心しておまえの前なんか出られないっしょ」
俺フツーの人だし、とへらへら笑いながら、友則は言った。
「あ、念の為に言っとくけど、俺らの話、ここにいる人達全員最初から聞いてたから」
さらりと爆弾を落とす。
「別にどうってことないだろ? おまえの性癖が、殺し合う程嫌いな従弟その他の皆様に知られるくらい。賢治食って散々いい思いしたんだろが、この程度の恥くらいかいて当然だ」
友則は笑みを消し、焔を睨み付けた。
「賢治も次美も、他の皆も、すっげえ苦しんだんだ。こんなのあいつらの苦しみの欠片程もない。せいぜいここにいる皆さんに、存分に軽蔑されろ」
「木野君、僕の身にもなってくれないか」
風太郎が、氷点下の眼差しを従兄に向けながら言った。
「犬猿の仲とは言え、実の従兄がいい歳をして十五歳も歳下の男の子に入れあげた挙句、思い余って拉致監禁強姦のフルコースをやらかしたストーカーだと衆目の前で明かされるのは、なかなかに辛いものがある」
「親族の方には、ご愁傷様としか言いようがないねぇ」
従兄への当てこすり全開の恩師の言葉に、友則は愉快そうに返した。
「ま、確かにこれは俺の領域の案件だな――ただの性犯罪だ」
この場で唯一の警察官が言う。
「そうそう、武田さんがいたねえ。この人の眼が良く“視える”ことはおまえも知ってるだろ。この人は、おまえが賢を閉じ込めてたあの部屋を視てる。何が見えたのか――おまえにも見当つくんじゃね? 痕跡は周到に消してたみたいだけど、それでも“想い”の残滓は残ってたそうだ」
賢治に対する恋情の残滓。それは、例えば激しい行為の末に意識を飛ばした賢治の身体を抱きしめ、愛おしげに口付ける姿を取って春樹の眼に映っていた。そういうものを視ていたが故に、春樹は友則の仮説を肯定したのだった。
「何にしろ、拘束させてもらうわ、芦田焔」
縁の全身が、何処か硬質な“気”で覆われた。細い指を組み、印を結ぶ。口の中で咒を唱える。彼女の足元から、ぞわそわと蟲のようなものが湧いて出た。蟲は複数の列を為して焔を取り囲み、その体に巻き付いて行った。
体を束縛する蟲の鎖。しかし、焔は怯まなかった。見えない炎が上がり、蟲が焼き払われる。鎖が切れて落ちた。次の瞬間、焔の姿が消えた。隠形。
「往生際の悪い男ね」
「悪くなきゃ四年も賢を追い回しちゃいねえよ」
縁は春樹を見た。
「春樹さん、追える?」
「もちろん」
春樹は即答した。縁は先程の蟲の一匹を、焔の服の間に紛れ込ませている。その為の蟲の鎖だ。だが、マーキングされたことに気づかれるのも時間の問題だろう。
一同は追跡を開始した。恐らく、焔はまだ遠くへは行っていない。
芦田焔は、病院の外に停めていた自分の車に辿り着いていた。
(あの男……!)
木野友則のことなど、今まで気にも留めていなかった。無論、大江賢治の周囲にいる人物はそれなりに注意を払ってはいた。賢治があの男に信頼を寄せていることも、知ってはいた。
だが、所詮は単なる学生だ。仲間内で他愛もないじゃれ合いしかしていないような奴でしかないと、つい先程までは思っていた。
自分は何故、奴の長々とした語りを聞き続けていたのか。――引き込まれていたのだ。口調に、声音に、表情に、身振りに。目を、耳を奪われた。結果、自分の賢治に対する執着心まで暴き出されてしまった。
――あの男、危険な存在なのかも知れない。
何も霊力を持っていないからと油断していると、足元をすくわれるタイプの男だ。重要かつ意外な切り札を最後の最後まで隠し持っていて、ここしかないというところで出して来るような。芦田風太郎や天地縁であれば、性格も力量もある程度判っている。だが、木野友則という男には、二人とは性質の違う何処か底知れないものを感じた。いずれにしろ、賢治を手に入れるにあたっては障害になる人物だ。注意しなければならない。
車を出してすぐ。
ヘッドライトの中に、不意に人影が飛び込んで来た。
反射的にブレーキを踏む、……その前に車が止まった。
ライトに照らされた人影がこちらを向く。
「……!?」
良く知った顔だった。それどころか、ここ何日も求めてやまなかった顔だ。――こんなところにいる筈のない人物だった。
「……見ぃつけた」
大江賢治は、にっこりと笑った。
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