6-2 本心

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6-2 本心

 大江賢治は元の部屋に戻り、ドアを閉めた。 「……それにしても」  よく考えてみたら。 「全部木野さんの手の内って感じなんだけど」  まあ、いいか。そのおかげで、俺は道を踏み外すことはなかったのだから。  寝室には、まだ次美が眠っている。賢治はそっと彼女の頬に口付けた。 「ただいま」 「あんたらが賢のことを警戒していた理由が、良く判ったよ」  結局春樹が運転することになった車の後部座席で、木野友則は言った。隣に座った縁をちらりと見る。 「最後に賢がやったあれ。あれが大江賢治の本来の能力だろ?」 「──そうよ」  不承不承、と言った風に天地縁は肯定した。 「他人の霊力を喰って、自分のものにする力。確かに脅威だ。手当たり次第喰われれば、こっちの被害が甚大になる上に、あっちの力はどんどん強くなる」  だから“天地”は賢治を監視していた。 「恐らくあの力が最初に発現したのは、母親の胎内だ。あいつのおふくろさんの中にあった“秋月”の力を喰ったんだ。次にあいつが力を使ったのは、彩佳ちゃんが産まれた直後辺りだろうな。二人の“秋月の女”の力を喰って、あいつは男でありながら“秋月の女”になった」  それが焔のような奴を引き寄せたんだから、良し悪しだ。 「大江君の“秋月”の力があれ程までに強かったのも、そのせいですね」  助手席に座っていた風太郎が口を挟んだ。 「ああ。もともと二人分だったからだ。ま、賢の中で力が育ったのもあるだろうがな」 「賢治君が自分の能力に何処まで自覚的だったのかは判らないわ。恐らくお母様や妹さんの力を吸収した時は、自分が何をしたのかも判っていなかった筈よ。やったことを覚えてもないでしょうね」 「賢の“秋月”の力を目覚めさせると、連鎖的に本来の力も目覚めてしまう可能性がある。だからあんたらは、賢の力を目覚めさせるわけには行かなかった」 「誰かさんのおかげで、それも台無しになったけれどね」  縁は友則を横目で睨んだ。 「よくもわたし達を出し抜いてくれたわね」 「きゃあ、ゆかりん怖ーい」  友則は茶化すように笑った。 「まさかあれで七夜籠が成立してしまうなんて、思ってもみなかったわよ」  賢治と次美が二人きりで過ごした一週間。あれが友則の仕掛けた七夜籠だった。 「俺も、上手く行くかは五分五分だと思ってたよ。まあ失敗してもせいぜい賢と次美の仲が修復するくらいだから、やってみるだけやってみようかな、と」 「そんなにお気軽にとんでもないことをしないで欲しいわ」 「お気軽にとんでもないことをするのは、木野君の通常営業ですからね」 「センセイが言うか」  ぼそ、と春樹がツッコミを入れた。 「焔の奴にも言ったけど、七夜籠ってのは女の中に男の精と暴力と欲望を注ぎ込み、ありとあらゆる負の感情──呪いで満たし切ることで成り立つ術だ。少なくとも俺はそれが本質だと思った。だけど、あいつが賢の中に注ぎ込んだのは、歪み切っているとは言え──半分は愛情だった」  半端なんだよ、あいつは、と友則は言った。その愛情や欲望すら、賢治を満たす程ではなかった。もしもあのまま七日七夜が過ぎても、多分賢治が“秋月”の力に目覚めることはなかったろう。その代わり、力に目覚めるかどうか限りなく不安定な状態であり続けていただろう。 「だからね、俺は満たしてやろうと思ったんだよ。どうせなら、負の感情ではなく、純粋な愛情で。それが出来るのは、次美しかいなかった。ちょうど彩佳ちゃんからも頼まれてたしさ、こじれた二人の仲をどうにかしてくれって」  二人を焚き付け、一つ部屋に放り込み、愛を確かめさせる。二人がまだ想い合っていることは判っていたし、わだかまりさえ解ければ後は早いだろうと思っていた。まあ、二人が清い関係だったことは予想外だったけど、それもいい方に作用したのではないかと思う。初めてはやっぱり特別だ。 「これは呪いじゃなくて祝いだ。字面が似ているように、二つは表裏一体だ。でもそれで満たされて鬼になるなんて、ひねくれ者揃いの俺ららしいじゃねえか」 「賢治君を鬼にして、もしも彼が自分を取り戻さなかったらどうする気だったの」 「その心配はしてなかったなあ」  平然と、友則は答えた。 「だって、賢は次美と結ばれて満たされてるんだ。大事なものを得た奴が、そうそう自分を見失ったりしねえよ」  愉しそうに、不敵な男は笑った。  この辺でいいや、と友則は自分のアパートの少し手前で車を降りた。 「じゃ、武田さんにあっしーにゆかりん。送ってくれてさんきゅ。またな」  ひらひらと手を振って、友則は去って行った。 「……普通の人間にも関わらず、祝いによって七夜籠を成し遂げ、しかも“秋月の女”を制してみせるなんて、何て男なのかしら、木野君は」  縁の言葉には、何処か感嘆の響きがあるように思えた。 「あなた方は、僕が星風の教師をしているのは大江君がいるからだと思っていたかも知れませんが」  風太郎が言った。 「僕は最初から、木野友則という天賦の才能の持ち主の、その才能を育てる一助になりたいと思って星風演劇部の顧問になったんですよ」  友則と賢治が出会ったあの中学の文化祭に、風太郎が足を向けた理由なんて、何となく程度のものでしかなかった。ただ、賢治がそこで友則と演劇という存在に出会ったように、風太郎もまたそこで木野友則という才能に出会ったのだ。 「その割には、あなたの生徒は自由過ぎるくらいに突っ走っているようだけど」 「突っ走るのは、子供の権利ですよ」  教師は微笑んだ。 「それを見守るのが、大人の義務ですが」 「……ところで、センセイ」  春樹が話しかけた。 「あいつ、最後に一つだけ嘘をついたな」 「彼は嘘はつきませんよ」  風太郎は答えた。 「彼は、そちらに賭けたんです」  住んでいるアパートの前まで来て、友則は誰かが待っているのに気づいた。夜目にも判る、薄い色の髪。やたら癖のあるその髪の持ち主を、友則は一人しか知らない。彼の幼馴染で喧嘩友達で、無二の親友。  戸田基樹がこちらを向いた。 「首尾は」  開口一番、これだ。それでこそこいつだけど。 「上々」  友則もそれだけ答えた。 「賢治は?」 「鬼になりかけた……が、引き戻した」  基樹が小さく安堵の息をついたのが判った。 「俺は本気を出したよ。でも、次美も本気を出したと思うし、あっしーも本気を出してた。俺一人の力じゃ、多分、ない」 「そうか。……じゃ、一発殴らせろ」 「おう」  基樹の言葉を、友則は平然と受け止めた。次の瞬間、基樹の拳が友則の顔面を捉えていた。渾身の力で繰り出された一発を受けて、友則は二、三歩よろけて尻餅をついた。 「はは……やっぱおまえのパンチが一番効くわ」 「当然だ。何年おまえとやり合ってると思ってる」  友則は立ち上がって服の埃を払った。 「おまえが鬼だ」 「俺もそう思う」  辛辣な言葉を肯定する。 「でもさ、自分の中に鬼を抱えて、それでも平然と笑って立ってるような奴でいて欲しいんだよ、俺の劇団員は」 「エゴだな」 「エゴだよ。それは俺が一番良く判ってる」 「賢もいい迷惑だ」 「それでも、俺について来るだろ、あいつは」  その身に鬼を抱えてるくらいがちょうどいい。内なる鬼を自覚して、きっとあいつはもっと良い俳優になる。闇と華と色気のある俳優に。それが賢治に七夜籠を仕掛けた真の理由だと明かしたら、果たして賢治は俺を殺しに来るだろうか。 (それに、焔をぶちのめすには、ああするしかなかった)  焔は俺達の敵だった。奴を最も効果的にぶちのめす方法は、奴の上を行ってみせることしかない。即ち、愛情と祝いで賢治を満たして、鬼にしてみせることだ。  賢治が鬼になれば、焔を殺しに行くだろう。捕食されるだけだった賢治が、逆に捕食する側に回れるのだ。さらに、鬼になった賢治を目の前で正気に戻して見せられれば、奴の呪術者としてのプライドは粉々になる。奴は賢治の男としてのプライドを粉々にしたんだから、当然の報いだ。 「もう一つ言わせてもらうぞ。……おまえ、死んでもいいと思ったろ」  見透かしたように、基樹は言った。七夜籠が成功して賢治が鬼になれば、友則が矢面に立つ。最初から友則はそのつもりでいた。それが彼に七夜籠をかけた者の責任だと思っていた。縁や風太郎にはああ言ったけれど、正直賢治が正気に戻るかどうかの保証はなかった。自分の渾身の演技で戻って来なければ、それまでだ。 「……思った」  それでダメなら、仕方ないと思った。自分にとって、あれは舞台だった。百二十パーセントの演技が出来て、舞台の上で死ねるなら、それも本望だと思ったのは確かだ。 「莫迦じゃねえか」  吐き捨てるように、基樹は言った。 「俺らをここまで引っ張っといて、こんなとこで勝手に死んでもいいと思ってんのか。俺や河村は危ないからって蚊帳の外に置いといて、一人でカッコつけてんじゃねえよ。おまえがここで死んだらな、河村も! 賢も次美も! 悲しむんだよ! 判ってんのか!」  そして基樹は小さい声で、 「……俺だって悲しい」  と付け加えた。  友則は。 「……だな」  泣きそうな顔で笑った。 「で、何を演った」  百二十パーセントの演技で、何を演じた。 「俺」 「あん?」 「賢治と初めて会った時の、中学生の時の俺」  基樹は不意を突かれたように目を瞬かせた。 「それは……賢治も落ちるな」 「だろ?」  一転、得意げな表情になる友則を、基樹は白い目で見た。 「俺がホントに怒ってんのはな」  心底不満そうに、基樹は言った。 「それが見られなかったことだ」  この、三歳の頃からの腐れ縁の喧嘩友達にして親友が、俳優・木野友則の一番最初のファンであることは、他ならぬ友則が最も良く知っている。 「見せてやるよ、そのうち」  友則は、木野友則の笑顔で宣言した。 「今度は、二百パーセントの演技を」  約束する。  そうだ。百二十パーセントで満足してちゃいけない。二百パーセント、そして、それ以上を目指さないと。 「さて、焔は“天地”に捕まったし、賢治と次美の仲は修復したし、賢治はこっちに戻って来たし、パーッと祝杯でも上げるか! ビールとチューハイ、どっちがいいかな」 「……おまえ、自分の年齢判ってるか?」
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