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1-3 拉致
武田春樹が待ち合わせ場所に指定されたカフェに入って行った途端、店の奥から待ちかねたように手が振られた。背が無闇に高いので、よく目立つ。
珍しいことに、相手は一人ではなかった。向かいの席に座っているのは、どうやら女性のようだ。
「何の用だ? センセイ」
「お呼び立てして、どうもすみません。危急な用事でして」
呼び出した相手──彼の知り合いである高校教師の芦田風太郎は、いつものわざとらしい笑顔を浮かべていない。それだけで、ただごとではないのが見て取れる。
連れの女性が春樹を見上げた。春樹達より少しばかり年下、二十五~六歳のきりっとした顔立ちの美女だ。思いがけず、春樹の見知った女性だった。
「……縁 さん」
「お久しぶりね。春樹さん」
「やはり、お二人は顔見知りでしたか」
風太郎が言った。
「彼のお祖母様には懇意にしていただいてるもの。彼のことは子供の頃から知っているわ。一時はお祖母様の後継者とも目されていたけど、まさか刑事になっているとは思わなかったわね」
「俺には祖母程の力はないし、器量もない。俺なりに考えた結果ですよ」
春樹は何処か苦そうに答えた。
「しかも、“武田”の春樹さんが、“芦田”の風太郎さんとお友達になっているなんて。正直、驚いたわ」
「「友達じゃありません。知り合いです」」
春樹と風太郎は同時に同じ言葉を口にした。
「仲のいいこと」
縁と呼ばれた女性は、皮肉めいた口調で感想を述べた。
「驚いてるのは俺の方ですよ。このセンセイと、何処で接点を持ったんです? “芦田”と“武田”以上に、“芦田”と“天地”が一緒にいることの方が意外でしょう」
「僕は実家とはとっくに縁を切ってますがね」
風太郎が口をはさんだ。
「わたし達の方で、以前から観察対象にしていた人物がいるのよ。今はまだ高校生だけど」
縁は言った。
「まだ彼がどうなるかは判らない。危険な存在になるか、そのまま普通の人間として一生を過ごすか。──ただ、彼の通う学校にこんな胡散臭い教師がいたら、注意せざるを得ないじゃない?」
「僕は彼には普通に生きて欲しいんですが、縁さん達にはどうにも信用していただけません」
「まあ、当然だろうな」
「武田さんまで言いますか」
「で、風太郎さん。わたし達をここに呼びつけた理由を、そろそろ教えてくれないかしら?」
縁は風太郎に厳しい眼を向けた。
「……実はもう一人、呼んでいる人がいます。彼が来るまで待ってくれませんか」
「その『もう一人』って、ひょっとして俺かな?」
不意に、違う方向から声がした。いつの間に来ていたのか、釣り気味の眼をした若い男がそこにいた。彼は風太郎ににっと笑いかけた。
「……木野君」
「よっ、あっしーお久しゅう。あれ、武田さんもいるんだ」
芦田風太郎の元教え子、木野友則。春樹が彼に会った回数はそれほど多くないが、彼が稀有な演劇の才を持っていることは知っている。風太郎が、彼に絶大な信頼を寄せていることも。
「こっちのおねーさんはお初……でもないか。少なくとも一回は俺らの公演、見に来てるよな?」
友則はさらりと意外な言葉を口にした。
「……よく判るのね」
「舞台の上からは、意外と客席って見えてるんだぜ。おねーさん美人だから、余計印象に残っちまうしな。確か俺が高校二年の時、賢と次美が初舞台を踏んだ公演だ」
「大した記憶力だわ」
縁の答は、友則の記憶が正しいことを示していた。
「ところでさぁ、あっしー。用があるなら手短に頼むな。俺今日は忙しいから」
「おや、何か予定でも?」
「おいおい、こないだ会った時言っただろが。今日は賢の誕生日だから、俺んちでバースデーパーティーやるって。俺料理作らなきゃいけねーんだよ」
「大江君の? ……今日でしたか……!」
風太郎の顔色が変わった。
「ちょ、ちょっと待って!」
縁も気色ばんで尋ねる。
「今日は誕生日なの? 大江賢治君の?」
「そ。今日は大江賢治、十八歳の誕生日だけど……」
二人のただならぬ様子に、友則の笑みが消えた。瞬時に鋭い表情になる。
「──何かあんのか? 賢に」
その時、友則の携帯が鳴った。発信者の名前を見る。彼の幼馴染にして喧嘩友達にして親友、戸田基樹。
「戸田か。どうした?」
『木野! 大変だ!』
電話の向こうから、切羽詰まった声がした。
『賢が、誰かに拉致られた!』
☆
──昨日から、母さんがおかしい。
大江賢治は困惑していた。最近態度が変だと思っていたが、輪をかけて今日はおかしい。俺を極力外に出さないようにしている。不用意に外出しようとして、えらい剣幕で怒られること、今朝から数度。
(今日は出かけなきゃいけないんだけどな)
そりゃ、変な奴に出くわして心配なのは判らなくもない。しかし、バースデーパーティーに主役が欠席するのはなしだろう。
賢治はこっそり自分のスマホを取り出した。誰か迎えが来れば、突破出来るだろうか。
──十数分後、賢治の家のインターホンを鳴らしたのは、金髪に近い薄い色の癖っ毛をした青年と、ストレートロングの黒髪をハーフアップにまとめた美少女だった。星風高校演劇部OB、戸田基樹と河村朝子である。
「おーい、賢、迎えに来たぞー」
「玄関先で失礼いたします」
基樹が奥に向かって声をかけ、朝子が賢治の母にむかって微笑みかける。頃合いを見計らって、賢治は玄関に姿を見せた。
「賢治! 何処へ行くの!?」
「何処へって、戸田さんと朝子さんが迎えに来てくれてるのに、行かないわけにもいかないだろ」
「今日は家にいなさい! ……ごめんなさいね、戸田君、河村さん。せっかく来てくださったけど、今日はお引き取り願えないかしら?」
結局、二人とも閉め出されてしまった。
「なるほど手強い」
「心配……と言うより、何かを恐れてるみたいな感じね」
そこへ、LINEに連絡が入った。賢治からだ。
『戸田さん、朝子さん、来てくれたのにすみません』
『気にすんな。俺もここまでとは思わなかった』
『これからどうするの? このまま家にいるの?』
『俺も引きこもりたいわけじゃないんで。どうにか目を盗んで脱出しますんで、外で待っててください』
「……あいつも苦労すんな」
スマホの画面を見つつ、基樹は言った。朝子はというと、どこかへ電話をかけている。
「何してんだ河村」
「ちょっと大江君ちの家電へ。少しはアシストになればいいけど。……あ、奥様でございますか?」
朝子は立て板に水の如く、架空の商品のセールストークを並べ立て始めた。舞台で鍛えた演技力の賜物だ。なるほど、母親を電話口に釘付けにしておく作戦か。
一~二分程しゃべっているうちに、賢治がこっそり出て来て二人に合流した。朝子は話を切り上げ、電話を切った。基樹が朝子に親指を立てて見せる。
「河村、GJ」
「ありがと。ああいう変なセールス電話、家にちょくちょくかかって来るのよ」
「それにしても、自宅で隠密行動取ることになるとは思いませんでしたよ」
賢治は肩を落とした。三人でぶらぶらと歩きながら、友則の家を目指すことにする。
「何だってあんなことになってんだ、おまえんとこの母親」
「正直、俺にもよく判らないんですよね。でも……何か最近の母さん、俺を恐れてる」
恐れている。それは、基樹と朝子も薄々感じたことだった。だが、一体何を?
「昨日絡んで来たっていう、変な奴が原因か?」
「いえ……それより前からです」
恐らくポイントは十八歳の誕生日──すなわち今日だ。今日を乗り切れば、状況は変わるのだろうか。
「パーティーやってる間くらいは、そういうのを忘れて楽しめばいいわよ」
「そうですね」
朝子の言葉に、賢治はにっこりと笑った。
その時。
後ろから伸びて来た手が、いきなり賢治の口を塞ぎ、抱きすくめた。
「!?」
いつの間にか後ろに停まっていたライトバンに、一気に引きずり込まれる。すかさずスタンガンでも押し当てられたような、火花が散りそうな衝撃が賢治を襲った。賢治は意識を失った。
一瞬と言っていい程の早業。基樹と朝子が手を出す隙さえなかった。
「賢治!!」
「大江君!!」
ライトバンは走り去って行く。
「河村、警察呼べ! 俺は木野に連絡する!」
「判ったわ!」
電話のコール音を聞きながら、基樹は考えていた。──さっきまで、賢治の背後には人影など見えなかった。では、賢治をかっさらって行ったあの腕は──
(一体、何処から湧いて出た?)
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