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1-4 血筋
「……で?」
木野友則が口を開いた。
一同は友則が一人暮らししている部屋に場所を移していた。基樹と朝子、そして次美も来ている。皆、一様に憔悴した表情をしており、次美に至っては今にも泣き出しそうだ。友則だけが、強い眼差しを放っていた。視線の先には、元顧問の教師がいた。
「一体何が起こっている? あんたは事情を知ってるんだろ? え──芦田先生」
口調は冷静だが、怒っている。普段風太郎のことを「あっしー」と呼ぶ友則が、彼を「芦田先生」と呼んでいる。これは尋常ではない状況なのだが、それと判るのは恐らく仲間内だけだろう。
「そっちのおねーさんもだ。あんたは賢のことを知っていた。前に俺らの公演に来たのは、賢を見に来たんだな?」
縁は答えない。
「──“秋月の女”」
友則はキーワードを投げかけた。風太郎がわずかに反応する。
「次美によると、昨日賢に絡んで来た男は賢をこう呼んだそうだ。恐らく賢を拉致ったのはそいつだろう。あんたら、そいつのことも知ってんだろ。──賢は確かに美人だが、どう見たって男だけどな」
「大江賢治は、俺やこのセンセイと同じくらい特異な血筋の生まれなんだそうだ」
煙草の煙と共に、武田春樹が言葉を吐き出した。
「春樹さん!」
「なるほど、“秋月の女”なら確かに特異な血筋だ。……だが、“秋月”は文字通り女系じゃなかったか」
「本来ならそうですが。彼はイレギュラーです」
風太郎が答えた。縁が咎めるような視線を向ける。
「あなた達、判ってるの? 彼らは確かに関係者だけど──一般人よ」
「何が起こってるか、知る権利はあると思いますがね、俺は」
春樹は動じない。
「それに、少なくともこのセンセイは、木野友則って男を戦力として見ていますよ。でなければ、最初から俺達と一緒に呼び出したりはしない」
「彼は何の霊力も持っていないわ」
「いえ、木野君は立派な戦力ですよ」
風太郎はきっぱりと言って、彼の生徒を見渡した。
「……これから話すことは、にわかには信じられない類の話です。信じるのも信じないのも皆さんの自由ですが、大江君がさらわれた前提でもありますので、頭には入れておいてください」
いつもの授業を始める時と同じように、教師は語った。
「この国には、霊的な力を強く有する家系というものがいくつかあります。受け継がれている力をどう使うかは、その家系によって違います。人を救う、人を害する、家や土地を繁栄させる──例えば、そちらの彼女ですが」
と、縁を指す。
「彼女は、天地縁さんといいます。“天地”は──簡単に言うと、拝み屋や陰陽師といった系統の方々の総元締めのような存在です。歴史が古い血筋ということもあり、この国を守護する一端を担っています。彼女は、その次期ご当主の妹さんです」
「天地縁さん……か。判った、俺あんたのこと『ゆかりん』て呼ぶな」
いきなり突拍子もないことを口走った友則に、縁は目を白黒させた。
「ゆ、ゆかりん?」
「諦めてください、縁さん。木野君が宣言した以上、あなたは彼にそう呼ばれます」
教師は授業の口調のまま言った。フォローをする気もないようだった。
「武田さんもそうです。彼は現在警察官ですが、霊能者を多く排出する“武田”の家の出です。見えないものを“視る”力に長けていまして、それに関して言えば、恐らく彼はこの国でもトップクラスに入るでしょう」
「買いかぶりすぎだ」
春樹はぼそ、とつぶやいた。
「で、あっしーは?」
友則が訊いた。
「この流れで言えば、“芦田”もその系統なんだろ?」
「確かに“芦田”もその一つですが、僕の家のことは後で話します。先に“秋月”についてお話します」
自分の家についてはあまり触れたくはない……ということか、と友則は思った。まあ、俺がそう思うことも感づいてるだろうけど。
「”秋月“は、先程武田さんも言っていましたが、本来女系の一族です。──鬼女の一族とも言われています」
そして、風太郎は“秋月”にまつわる伝説を語った。”秋月“の初代の当主となる女性は、一人の男を愛した。しかしその男は女を裏切り、他の女と逃げた。当主は怒りと悲しみのあまり鬼と化し、男を殺してその首を抱え、何処へともなく去ったという。
それ以来、”秋月“は女系の一族としてその土地に君臨することになるのだが、同時に鬼女の因縁も抱え込むことになる。“秋月”の因縁を知る者の間には、こんな話が伝わる──「秋月の女は、十八歳になると鬼になる」と。
十八歳。まさに今日、大江賢治が迎えた年齢だ。
「大江君のお母さんの旧姓は、『秋月』なんですよ」
風太郎は言った。
「秋月美恵子。彼女が“秋月”の出であることは、縁さん達も確認しています。“天地”の調査能力は信頼出来ますからね」
「わたし達の家も、伊達に長く続いているわけではないので」
縁は少し棘のある声で言葉を返した。
「“秋月”は土地に根付き、その土地を繁栄させる方向で力を使うタイプの一族ですが、それでも全員が土地にとどまるわけではありません。大江君のお母さんのように、一族を離れる人もいます。その場合、力が発現することはまれです。彼女達のほとんどは通常の暮らしを送りたい人達ですからね、鬼女の力なんてあっても邪魔なだけです」
判る気がする、と生徒達はうなずいた。
「その場合でも、力そのものがなくなるわけではありません。現れないだけで、力は母から娘へ受け継がれます。──その中で、唯一の例外が大江君です。どういうわけか、“秋月”の力を受け継いだのは、妹さんではなく彼でした。恐らく、お母さんも薄々は気づいているでしょう」
「質問」
友則が手を上げた。
「はい、木野君」
「賢がその“秋月”の力を受け継いでるってのは、確かな話なのか? 力を受け継いででても、普通なら表に出て来ないんだろ?」
「大江君は、お母さんとそっくりでしょう」
風太郎は答えた。
「“秋月”は、美女を生む家系とも言われていましてね。“秋月”の女性達は、皆良く似ているんですよ。力と共に、美しい顔立ちも受け継ぐんです」
「あー……そりゃすぐ判るな。──賢のおふくろさん、賢のことになるとえらく面倒臭い人になると前から思ってたが……やっと理由が判った」
「大江君、お母さんが自分を恐れてるようだと言ってたわ。……この為だったのね」
朝子も言う。
「僕としては、大江君にはこういったこととは無縁に生きて欲しかったんです。君達と一緒に演劇をやって、普通に一人の男性としての人生を歩んで欲しかった」
教師の表情で、風太郎は言った。
「しかし、こうなってはそれも難しくなりました。──彼を連れ去ったのは、恐らく“芦田”です」
「え?」
皆が風太郎を見た。
「そう──僕の実家です。僕はもう十年近く前に実家とは縁を切っていますが、それでも判ります。……あいつの気配だ」
眼鏡を通しても、風太郎の眼が昏い光を放っているのが見て取れた。いつもの教師の仮面に隠れた、彼の本性がわずかに顕れていた。
「三枝さん。昨日君達の前に現れた男は、『焔』と名乗ったのでしたね?」
次美はビクッと震え、答えた。
「は、はい」
「センセイ、生徒が怯えてるぜ。抑えろ」
春樹が釘を刺す。
「……すみません。戸田君、河村さん、大江君が連れ去られた時、何かおかしなと言うか、不自然なことはありませんでしたか?」
基樹と朝子は顔を見合わせた。
「……あったな」
「……ええ」
二人でうなずき合う。
「賢は後ろから捕らえられて車に引きずり込まれた。だけど、その直前まで、賢の後ろには誰もいなかったんだ」
「一瞬のうちに誰かがそこに現れて、大江君をさらって行ったみたいだったわ。誰もいないと思っていたから、わたし達も大江君自身も油断していた。そこをつかれたのよ」
「そう言えば、昨日の人も……」
次美も声を上げた。
「さっきまでいなかったのに、いきなり目の前に来ていました。いなくなる時も、何だか消えるようでした」
「ありがとうございます、三枝さん。それでますますはっきりしました。大江君を連れ去った男の名は芦田焔──僕の従兄です」
改めて言われ、一同の間に静かに衝撃が走る。
「“芦田”はね、本来わたし達や春樹さんのところとは敵対関係にある家なの」
風太郎に代わり、縁が言った。
「端的に言えば、呪術者の家系。人には言えない、後ろ暗いことを請け負うような……ね」
「つまり、暗殺者の家ってことか」
友則が切り込む。
「それ以外にも、色々としてましたがね」
言葉を濁すように、風太郎は答えた。
「ゆかりんが警戒してんのは、潜在的に鬼女の力を持つ賢と呪殺者の家系の出であるあっしーが一緒にいるからか?」
「まあ、そんなところね。あと、ゆかりんはやめて」
「諦めてくださいと言ったでしょう、縁さん。……“芦田”の家にいる頃から、僕と焔は犬猿の仲でした。僕は家を出ましたが、焔は今も“芦田”の一員です。僕の知っている限りではあいつは上昇志向の強い奴でしたし、プライドも高い男でした。僕もよくマウンティングされましたよ」
昔を思い出し、少し嘆息する。
「あいつの得手は隠形です。人の五感に隙間を作り、身を隠す。ちょっとやってみましょうか」
風太郎は十円玉を取り出し、無造作に指で弾いた。十円玉はテーブルの上に落ち、ちゃりん、と音を立てる。
「え……!?」
十円玉が立てた音が消える前に、芦田風太郎の姿がそこから消えていた。
「何処にも行ってないぜ」
春樹が言った。
「センセイは、そこから一歩も動いちゃいない」
「やはり、君の目は誤魔化せませんか」
声と共に、瞬時に元の場所に風太郎の姿が現れた。
「今のが隠形?」
「そうです。今はコインの音に隠れました──音に気を取られた一瞬の隙間に。僕の腕ではこの一瞬が必要ですし、武田さんのようなよく“視える”人が見ればすぐに見破られますが、あいつはもっと上手く隠れます」
「それでいきなり出て来たように見えたのか。……これ以上ってことは、何処にいるかつかむのは難しいし、目の前にいても逃げられちまうわけだな」
「その通りです」
友則は、鋭い目を風太郎と縁に向けた。
「呪殺者の跡取りが、潜在的に鬼の力を持った賢を拉致った。しかも奴は賢に『おまえの主になる』と言ってる。……これ、正直嫌な予感しかしねえんだけど。普通なら出て来ない賢治の力とやら──無理やり引っ張り出す方法が、あるんだな?」
「……あるわ」
答えたのは縁の方だった。
「どうせろくな方法じゃねえんだろ。賢は、どんな目に合うんだ」
「それは……」
縁は、彼女には珍しく少しだけ口ごもった。
「……殺されるのか?」
「殺されはしないわ。──少なくとも、直接的にはね」
縁は答えた。
「“秋月の女”を鬼女として覚醒させて使役する事例は、“天地”の記録にも何例か残っているわ。『七夜籠』と呼ばれている、一種の儀式……と言っていいものかしら」
「七夜籠?」
「捕らえた女性を、一つところに閉じ込める。期間は七日七夜。その間……」
縁は言いにくそうに言葉を切った。
「どうした?」
「……“秋月”は女系の家よ。七夜籠も、されるのが女性であることが前提」
「おい……それって」
「そう──七夜籠の間、囚われた女は徹底的に犯される。身も心も、全てを男に蹂躙され支配される。絶望に心が殺されることで、鬼になるのよ」
「そんな……」
次美が、小さく声を上げた。
「賢治君は男の子だけど……同じように、女として扱われるでしょうね──悪い意味で」
友則が唇を噛んだ。重い沈黙が、部屋を包んだ。
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