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2-3 密闘
「やっと見つけた」
街の中で声をかけられ、芦田焔は振り向いた。隠形を得意とする彼だが、始終隠れているわけでもない。むしろ街中にいる時は、姿を現している方が目立たない。それでも、自分の“気”はうまく抑えているつもりだった。
「久しぶりだな、焔」
声の主は、自分と同じくらいに長身の男。子供の頃から反りの合わなかった、彼の従弟だった。
「……風太郎か」
芦田風太郎は普段の温厚な表情をかなぐり捨て、視線で射殺すかのような眼差しで焔を見つめていた。いつもかけている眼鏡もない。教師としてではなく、元“芦田”の血脈に属していた男として、風太郎はそこにいた。
「一族を捨てた者が、私に何か用でもあるのか」
「用でもなければ、おまえなんかに顔を合わせたくもないさ。……僕の生徒を返してもらおう」
「おまえの生徒?」
「とぼけるな。大江賢治のことだ」
焔が何処かに監禁している少年の名前を、風太郎は口にした。──そうだ、まだ十八歳の少年なのだ、彼は。こんな男にいいようにされていいわけがない。
「知らないとは言わせない。おまえは彼に七夜籠を仕掛けているんだろう。彼を何処に隠した? 言え」
焔は、にやりと笑った。
「嫌だと言ったら?」
「おまえを殺してでも取り返す」
風太郎の周囲に風が舞った。否。これは、彼の“芦田”としての力だ。「風太郎」の名が示すかのように、彼の力は風の形を取って顕れていた。
「相手がおまえで良かった。心置きなく殺せる」
風太郎は、生徒には決して見せない凶悪な笑みを浮かべた。
焔はさり気なく辺りをうかがった。通行人の数が明らかに減っている。何人か残っている通行人も、こちらに注意を向けている様子はない。
──人払いの結界を張ったか。
街の中にぽっかりと空白が生まれていた。その空白にいるのは、ただ“芦田”の二人のみ。
焔の周囲の空間が、陽炎のように揺らめいた。
「殺せるなら殺してみろ。だが私が死ねば、あれの行方は永遠に判らんぞ」
「その前におまえをぶちのめして吐かせるさ」
「出来るか? “芦田”を離れて久しいおまえに」
「やってみるか?」
風が渦を巻いた。風太郎の“念”が空気を揺らした。風は、鋭利な刃と化して焔の喉元に迫った。
だが、次の瞬間には、焔の姿はそこにはなかった。風太郎の後ろを取るような位置に、いつの間にか移動している。と。焔の背中に、殴られたような衝撃が走った。
「ぐっ……」
風太郎がちらりとそちらを見る。
「おまえは逃げ足が早いからな。これくらいは想定内だ」
「……やるじゃないか。呑気に教師をやっていた割には」
「教師は教室の隅々まで注意を払ってないといけないんでね」
焔の“気”が凝った。四方から矢となって風太郎を襲う。矢は風太郎に命中する直前、全て四散して消え去った。
二人の視線がぶつかる。焔は、不意に片頬を上げて笑った。不審げな顔になる風太郎に、焔は言った。
「あれはいい体をしているぞ」
その言葉が意味することを瞬時に悟り、風太郎は目をむいた。
「な……!」
「感度もいいし、具合もいい。今はずいぶん従順になった。私の下で、それはいい声で啼いてくれる」
「……貴様!!」
風太郎の気が猛った。
「芦田先生も、セックスの仕方までは教えてはやれまい。私が代わりに一から教えてやっているんだ、感謝しろ。……昨夜も、あれは実に可愛かった。閨でどんな風に乱れているか、教えてやろうか?」
「黙れ!」
殺気は見えない形を取って焔に迫った。
が。
その気は瞬時に散らされる。
いつの間にか、焔は一気に間合いを詰めていた。
手が一瞬だけ触れる。それだけで。
力がその身に打ち込まれる。
「ぐ……っ」
風太郎がうめいた。口から、大量の血が吐き出された。長身が地に崩折れた。
「センセイ!!」
違う方向から声がした。
何処か野生味のある精悍な顔立ちをした、スーツ姿の男がそこにいた。焔は空間を探った。まだ、人払いの結界は生きている。
結界など物ともせず、男は二人に近寄った。道行く者達は気づかない。
「おまえ……何者だ?」
ここで自分達に気づく者が、只者であるはずがない。
男は全てを見通す視線を焔に向けた。
「警察だよ」
武田春樹は答えた。
「聞いたことがある──武田の婆さんの孫が刑事になっているとな。おまえがそうか」
「芦田焔。おまえには営利目的等略取の容疑がかかっている。あと、ここに転がってるセンセイへの暴行罪の現行犯だ。話を聞かせてもらおうか」
「暴行については、果たして証明出来るかな? 目撃者は一人もいないぞ」
人払いの結界の中で起こったことだ。周りにいる通行人は、誰もこちらに気づいていない。
「略取の方は、まだ任意の段階だろう。ならば、拒否する権利もあるわけだな。──それでもまだ連行すると言うなら」
焔の眼が冷酷な光を帯びた。ざわり、と焔の周囲の空気が揺れた。春樹の背中に冷たい汗が流れた。自分には、芦田風太郎程の力はない。対抗出来るであろう風太郎は、地に伏している。
殺られる。そう感じた。
と、不意に不穏な気が消えた。
「やめておこう」
焔は言った。
「殺すのも面倒だ。……おまえは目が利くようでもあるしな」
焔は春樹に背を向け、そのまま空間に溶け込むように姿を消した。
(……隠形、か)
武田はほっと息をつくと、風太郎を抱え起こした。
「大丈夫か、センセイ」
「……武田さん……すみません」
風太郎は弱々しく声を上げた。まだ命はある。
「煽られてんじゃねえよ、あんたらしくない」
「大江君のことを言われて、思わず頭に血が上りました」
いつもの眼鏡もかけていないのに、口調が通常モードに切り替わっている。自らの精神にリミッターをかけなければならないくらい、消耗しているということか。
「そこに俺の車がある。まずは病院行くぞ」
春樹は風太郎に肩を貸して車まで連れて行き、中に放り込んだ。
(それにしても……)
車を出しながら、春樹は先程対峙した男のことを考えていた。
(見逃された……か)
“芦田”の一族の者であれば、俺の力量は計れていただろう。俺など、殺す程の存在でもなかったということか。だが……。
何となく引っかかるものを感じながら、春樹は車を走らせた。
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