3-1 正夢

1/1
前へ
/21ページ
次へ

3-1 正夢

 三枝次美は、闇の中にいた。 (ここ……何処だろ)  右も左も判らない、真の闇。その中に、ぽつんと一人だけでたたずんでいる。  と。かすかに声が聞こえた気がした。何か、うめき声のような。 (誰かいる?)  そちらの方向に、そろそろと進んでみる。怖くないわけではない。が、同じところに一人で立っているより、マシだと思う。  演劇部の先輩達なら、きっと同じ行動を取るに違いない、と次美は思った。木野さんも、戸田さんも、河村先輩も、──そして多分、賢ちゃんも。  一歩。また一歩。見えない足元を、探るように歩を進める。  聞こえて来る声が、だんだんはっきりして来る。近づいている。  声が近づくに連れ、それはうめき声と言うより、何か違う性質のもののように聞こえて来た。荒い息づかいの合間に、こらえ切れずに出す切なげな声。 (え、これって、まさか)  情事の時のそれ。  次美は一人赤面し──そして、気づいた。この声が、女性のものではないことを。さらに、確かに聞き覚えのあるものだということを。 (……まさか!)  進む。暗闇の中を。  やがて。  闇の中で、白く浮かび上がるような何かが見えた。 (……!)  次美は息を呑んだ。  裸で絡み合う、二人の男。組み敷いている方の男は、あの焔と名乗った男だ。まるで相手を喰らう肉食獣のようにも見える。そして、組み敷かれ喰らわれて、荒い息をついているのは── (賢ちゃん!!)  思わず叫びそうになるのを、次美は辛うじて抑えた。  何処へかさらわれた、彼女の幼馴染。次美が誰よりも好きだと言える存在。大江賢治。  その両手はだらりと床に落ち、両脚は開かされて抱え上げられ、男を受け入れさせられている。男の律動に合わせるように、口から声が漏れる。感情のない涙が流れる。  男が賢治の耳元に唇を寄せた。耳朶や首筋に舌を這わせる。それに連れて、賢治がこちらを向いた。  ──目が合った。  賢治の目が、驚きに見開かれたのが判った。向こうもこちらが見えている。賢治の口が、声を出さずに動いた。ニ、ゲ、ロ、という形に見えた。ハ、ヤ、ク、ニ、ゲ、ロ。  次美は無言でうなずいた。賢治は男の方に向き直ると、すぐ近くにあった男の肩に噛みついた。 「可愛いことをしてくれるな」  男がそう言うのが聞こえた。次美は二人に背を向けた。そのまま、来た道を走って戻って行く。 「は……あっ、ああっ!」  後ろから、賢治の声が聞こえる。好きな相手が、今まさに犯されている声が。  知らないうちに涙が出ていた。涙をぼろぼろこぼしながら、次美はひたすら闇の中を走った。  気がつけば、朝になっていた。次美は、自分の部屋で目覚めた。まるで全力疾走したように、全身に汗をかいていた。 (夢……?)  それにしてはリアル過ぎた。賢治の姿も、声も、表情も。あれは本当のことだ、と自分の感覚が告げていた。夢の中で流していた涙が、起きてもなお止まらなかった。 「賢ちゃん……」  名前が、口をついて出た。  しばらく、次美はその場で泣き続けていた。  大江賢治捜索用のLINEグループに、三枝次美からの一斉送信が流れたのは、その朝のうちだった。      ☆  皆が集まったカフェに現れた次美は、河村朝子に伴われていた。泣きはらした赤い目をしている。 「次美……どうした?」  ただごとではなさそうな雰囲気に、友則が普段より柔らかい声音で訊いた。 「夢を……見たんです」  今にも泣き出しそうな様子で、次美は答えた。 「賢ちゃんの……夢。……あの、焔って人と、一緒に……いて……」 「ここへ来る前に、少し話を聞いたんだけど」  朝子が補足する。 「どうも次美ちゃん、大江君がレイプされているところを夢で見てしまったようなの」 「それは……キツいな」 「夢だけど……多分あれ、本当です」  次美は言葉を絞り出した。 「賢ちゃんの方もわたしが見えてた。あんなことされながら、わたしに『逃げろ』って言ってくれた。わたしはなんにも出来ずに、賢ちゃんを置いて、逃げるしかなかった」  再び、次美の目から大粒の涙がこぼれる。 「賢ちゃんの声が、逃げてるわたしの後ろからしてた。あいつにやられてる声。もっとやられるの判ってて、わたしを逃がしてくれた……」 「もういいよ、次美。それ以上言わなくてもいい」  友則は優しい声でそう言うと、真剣な表情で縁や風太郎を振り向いた。 「ゆかりん、あっしー。これ、もしかして手がかりなんじゃないのか」 「そうね──彼女の夢が、何かの偶然で大江君の精神とシンクロした可能性はあるわ」  縁は考えながら答えた。 「三枝さんの夢が大江君とつながり、彼のところへ引き寄せられた──ということですね」 「なら、夢の残滓を辿れば、場所が判るな」  風太郎と春樹も言う。 「出来る? 春樹さん」 「恐らく。場所に残る記憶を読むのと要領は似ていますから」 「まだ七日目だ、夜まで時間はある。次美を逃がしたってことは──賢はまだ自分を保ってる」 「賢明な判断ですよ。焔に気づかれれば、例え“夢”であっても、三枝さんはただでは済まなかった筈ですから」  まだ間に合う。今なら。一同の顔に、希望の光が灯った。 「武田さん。……頼む」  友則はまっすぐに春樹を見据えて言った。 「判った」  春樹は短く答えた。縁が涙を流している次美の肩に手を置き、目線を合わせて語りかけた。 「次美さん。あなたには辛いことだと思うけど、あなたが見たその夢を、なるべく詳しく思い返して欲しいの。これは、賢治君を見つけるのに必要なことなのよ。いいかしら?」  次美は泣きぬれた目を上げた。縁の目を見つめながら、次美はきっぱりと答えた。 「はい。……よろしくお願いします」  ──この少女も彼らの仲間なのだ、と縁は感じた。弱々しく見えても、存外に強い。縁は春樹に目をやった。春樹はうなずいた。  目を閉じ、次美は昨夜の闇を思い返した。あの闇を通して、再び賢治とつながりたいと願った。春樹は半目でそんな次美を視ていた。視点だけが春樹の体を離れ、彼女の記憶とシンクロする。彼女の夢。目的地に通じる闇。それを越えた先にあるもの。場所は? 何処にある? 「──視えた」  全てを見通す眼を持った男はつぶやいた。
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!

35人が本棚に入れています
本棚に追加