35人が本棚に入れています
本棚に追加
3-1 正夢
三枝次美は、闇の中にいた。
(ここ……何処だろ)
右も左も判らない、真の闇。その中に、ぽつんと一人だけでたたずんでいる。
と。かすかに声が聞こえた気がした。何か、うめき声のような。
(誰かいる?)
そちらの方向に、そろそろと進んでみる。怖くないわけではない。が、同じところに一人で立っているより、マシだと思う。
演劇部の先輩達なら、きっと同じ行動を取るに違いない、と次美は思った。木野さんも、戸田さんも、河村先輩も、──そして多分、賢ちゃんも。
一歩。また一歩。見えない足元を、探るように歩を進める。
聞こえて来る声が、だんだんはっきりして来る。近づいている。
声が近づくに連れ、それはうめき声と言うより、何か違う性質のもののように聞こえて来た。荒い息づかいの合間に、こらえ切れずに出す切なげな声。
(え、これって、まさか)
情事の時のそれ。
次美は一人赤面し──そして、気づいた。この声が、女性のものではないことを。さらに、確かに聞き覚えのあるものだということを。
(……まさか!)
進む。暗闇の中を。
やがて。
闇の中で、白く浮かび上がるような何かが見えた。
(……!)
次美は息を呑んだ。
裸で絡み合う、二人の男。組み敷いている方の男は、あの焔と名乗った男だ。まるで相手を喰らう肉食獣のようにも見える。そして、組み敷かれ喰らわれて、荒い息をついているのは──
(賢ちゃん!!)
思わず叫びそうになるのを、次美は辛うじて抑えた。
何処へかさらわれた、彼女の幼馴染。次美が誰よりも好きだと言える存在。大江賢治。
その両手はだらりと床に落ち、両脚は開かされて抱え上げられ、男を受け入れさせられている。男の律動に合わせるように、口から声が漏れる。感情のない涙が流れる。
男が賢治の耳元に唇を寄せた。耳朶や首筋に舌を這わせる。それに連れて、賢治がこちらを向いた。
──目が合った。
賢治の目が、驚きに見開かれたのが判った。向こうもこちらが見えている。賢治の口が、声を出さずに動いた。ニ、ゲ、ロ、という形に見えた。ハ、ヤ、ク、ニ、ゲ、ロ。
次美は無言でうなずいた。賢治は男の方に向き直ると、すぐ近くにあった男の肩に噛みついた。
「可愛いことをしてくれるな」
男がそう言うのが聞こえた。次美は二人に背を向けた。そのまま、来た道を走って戻って行く。
「は……あっ、ああっ!」
後ろから、賢治の声が聞こえる。好きな相手が、今まさに犯されている声が。
知らないうちに涙が出ていた。涙をぼろぼろこぼしながら、次美はひたすら闇の中を走った。
気がつけば、朝になっていた。次美は、自分の部屋で目覚めた。まるで全力疾走したように、全身に汗をかいていた。
(夢……?)
それにしてはリアル過ぎた。賢治の姿も、声も、表情も。あれは本当のことだ、と自分の感覚が告げていた。夢の中で流していた涙が、起きてもなお止まらなかった。
「賢ちゃん……」
名前が、口をついて出た。
しばらく、次美はその場で泣き続けていた。
大江賢治捜索用のLINEグループに、三枝次美からの一斉送信が流れたのは、その朝のうちだった。
☆
皆が集まったカフェに現れた次美は、河村朝子に伴われていた。泣きはらした赤い目をしている。
「次美……どうした?」
ただごとではなさそうな雰囲気に、友則が普段より柔らかい声音で訊いた。
「夢を……見たんです」
今にも泣き出しそうな様子で、次美は答えた。
「賢ちゃんの……夢。……あの、焔って人と、一緒に……いて……」
「ここへ来る前に、少し話を聞いたんだけど」
朝子が補足する。
「どうも次美ちゃん、大江君がレイプされているところを夢で見てしまったようなの」
「それは……キツいな」
「夢だけど……多分あれ、本当です」
次美は言葉を絞り出した。
「賢ちゃんの方もわたしが見えてた。あんなことされながら、わたしに『逃げろ』って言ってくれた。わたしはなんにも出来ずに、賢ちゃんを置いて、逃げるしかなかった」
再び、次美の目から大粒の涙がこぼれる。
「賢ちゃんの声が、逃げてるわたしの後ろからしてた。あいつにやられてる声。もっとやられるの判ってて、わたしを逃がしてくれた……」
「もういいよ、次美。それ以上言わなくてもいい」
友則は優しい声でそう言うと、真剣な表情で縁や風太郎を振り向いた。
「ゆかりん、あっしー。これ、もしかして手がかりなんじゃないのか」
「そうね──彼女の夢が、何かの偶然で大江君の精神とシンクロした可能性はあるわ」
縁は考えながら答えた。
「三枝さんの夢が大江君とつながり、彼のところへ引き寄せられた──ということですね」
「なら、夢の残滓を辿れば、場所が判るな」
風太郎と春樹も言う。
「出来る? 春樹さん」
「恐らく。場所に残る記憶を読むのと要領は似ていますから」
「まだ七日目だ、夜まで時間はある。次美を逃がしたってことは──賢はまだ自分を保ってる」
「賢明な判断ですよ。焔に気づかれれば、例え“夢”であっても、三枝さんはただでは済まなかった筈ですから」
まだ間に合う。今なら。一同の顔に、希望の光が灯った。
「武田さん。……頼む」
友則はまっすぐに春樹を見据えて言った。
「判った」
春樹は短く答えた。縁が涙を流している次美の肩に手を置き、目線を合わせて語りかけた。
「次美さん。あなたには辛いことだと思うけど、あなたが見たその夢を、なるべく詳しく思い返して欲しいの。これは、賢治君を見つけるのに必要なことなのよ。いいかしら?」
次美は泣きぬれた目を上げた。縁の目を見つめながら、次美はきっぱりと答えた。
「はい。……よろしくお願いします」
──この少女も彼らの仲間なのだ、と縁は感じた。弱々しく見えても、存外に強い。縁は春樹に目をやった。春樹はうなずいた。
目を閉じ、次美は昨夜の闇を思い返した。あの闇を通して、再び賢治とつながりたいと願った。春樹は半目でそんな次美を視ていた。視点だけが春樹の体を離れ、彼女の記憶とシンクロする。彼女の夢。目的地に通じる闇。それを越えた先にあるもの。場所は? 何処にある?
「──視えた」
全てを見通す眼を持った男はつぶやいた。
最初のコメントを投稿しよう!