この手が届いたことが、泣きそうなくらいに嬉しかった

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この手が届いたことが、泣きそうなくらいに嬉しかった

「お姫様、やんちゃなのもほどほどになさいませ」  我を取り戻したように、老婆が笑って双子を振り返る。  赤毛の双子が、こころえたようにリーゼロッテを押さえつけんとこちらへ一歩、踏み出してーーリーゼロッテはぐっと目を閉じた。  逃げることはできない。  それは、わかっている。だけど、心まで屈してやるものか。  鼻の頭からだらだらと血を流した男が、あー、あーと泣きながら声を上げている。  老婆に打たれ、倒れこみ、そうして、もう一度リーゼロッテのもとへ歩んでくる。  その間も、リーゼロッテは手足を動かそうとしたけれど、やはり動かなくて。  男がリーゼロッテに覆いかぶさる。  押しのけるべき腕は動かせやしない。  リーゼロッテは、せめて最後の抵抗に、口を大きく開いた。 「ヴィー!」  老婆が笑う。無駄な抵抗だと思っているのなら、そう思えばいい。  これは、リーゼロッテが折れないための魔法の言葉だ。  折れないためのーー大好きな言葉。  リーゼロッテは、こんなときになって、ようやく自覚したのかもしれない。  ーーヴィー、私ね、君のこと、大好き。  負けないための力があるとすれば、それはクロヴィスへの愛だった。  折れないように、支えてくれるものが、クロヴィスへの恋だった。  たとえばリーゼロッテが汚れてしまったとして、この心だけは明け渡したりはしない。  ーースカートがめくられて、リーゼロッテの太ももがあらわになる。  ねえ、ヴィー。  ーー男の手が、リーゼロッテへ伸びる。  絶対に、君にまた会うから。だからね。  今度はちゃんと笑える気がする。  こんなにひどい目にあったんだもの。ヴィーのそばならどれだけでも幸せになれるよ。  だからね、ヴィー。君に、会えたら、ちゃんと笑えたら。  私のこと、抱きしめてね。  ーー瞬間。  窓ガラスが窓枠ごと弾け飛び、突進してきたなにかに男が吹き飛ばされた。  はらりと、馬の尻尾みたいになびいた、薄い金髪。葉っぱにまみれた紺のコートが、リーゼロッテの身体を隠すように被せられて。  ああーーああーー。  リーゼロッテは、自分が泣いてしまうんじゃないかと、そう思った。  涙が出ないことはわかっている。わかっているけれど。それを許したって構わないくらい、リーゼロッテは安堵した。 「ヴィー……」 「リズ、遅くなって、ごめんね」  クロヴィスが、リーゼロッテに微笑みかける。  歪な笑みに、怒りに燃えた目。  それでも、リーゼロッテは手を伸ばした。  何度も何度も、届かなかった手。  伸ばそうとして、リーゼロッテの腕は動かないけれどーーその手は、その手は、はたして、クロヴィスに届いたのだ。  クロヴィスが、リーゼロッテの手を取って、ぎゅっと握ったから。  やっとこの手が届いた。 「ヴィー、ヴィー」  それしか言えないみたいに、リーゼロッテは繰り返したのだった。  
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