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これが夢でも構わないよ
――君がいいなら、私たちは君の思うままに生きよう。
侯爵夫妻が笑ってリズを許した。
――お姉ちゃまは、わたくしのお姉ちゃまでいてくださいな。
マルティナが無邪気に望んでくれた。
――リズ。
ヴィーが、呼んでくれた名前を守るために、勝負に出ることを、赦してくれた。
その危険を顧みず。それに、リズは答えねばならない。
だって、リーゼロッテは、もう、リズなのだから。姫君なんかにならない。
リーゼロッテは、ただのリズがいい。
「私は、リーゼロッテ・リズ・ティーゼ。侯爵家の養子で――由緒正しい庶民です!」
「――わかった」
王太子アルブレヒトが、流れるような動作で立ち上がり、居並んで動揺を隠せない様子の貴族たちを睥睨して見せた。とたん、威圧されたように張り詰めた空気が流れ――そうして、アルブレヒトは、静かに言った。
「リーゼロッテ・リズ・ティーゼは王族ではない。僕がここに宣言する。……これ以降、リーゼロッテ・リズ・ティーゼを王族の一員だというものがあれば、そのものは王族への不敬だとして罰する」
その言葉は、まさしく王のそれだった。
アルブレヒトの宣言に、貴族たちはそろって礼を取った。
――リーゼロッテは、勝ったのだ。
息をゆっくり吐いて、リーゼロッテは肩の力を抜く。
よかった。これで、もう、ヴィーがくれた家族と名前を――居場所をうばわれたりはしない。
そう、思った時だった。
「どうして!どうして!そんなことをおっしゃるのです!お姫さま!」
ロミルダが、狂ったような甲高い声で叫んだ。
「お姫さまは、王位にすらつける尊いご身分の方なのですよ!あのぼんくら王などとはくらべものになりません!貴族に暗示をかけ、お姫さまを奪った男を殺し――それでも、決心なさってくださらない!」
「暗示、だと」
アルブレヒトが静かに、しかしはっきりとつぶやいた。
追従するように、貴族の何人かが暗示、と口にする。
「私は、お姫さまではないわ」
つかみかかってくる老婆を押し返し、リズは言う。けれど、それがロミルダをますます刺激した。
「偽物!偽物!そう!わたくしのお姫さまも偽物だった!王位につかないなどと――わたくしを大切と言ったその口で、わたくしの輝かしい未来を閉ざした!わたくしは、乳母などで終わる女ではない!だから殺したのに!貴様も!貴様も偽物だと――!」
ロミルダが言っている言葉がうまく咀嚼できない。
いいや、理解したくない。だって、リズの両親が、この狂った老婆に殺された、その理由が、これだなんて。
「王になるのはわたくしのお姫さま!偽物!貴様は――貴様――!」
ロミルダが、懐からなにかを取り出した。ついで鞘から抜かれたその白銀がシャンデリアの明かりで橙色に輝いて、まっすぐにリズに向かってくる。
避ける時間なんて無かった。
リズは、自身の胸に吸い込まれる白銀を、目を見開いてみていた。
――あ、死んじゃう。
他人事みたいに思った。
――ごめんね。ヴィー。私も長生きできなかったよ。
君のいない世界で生きるのは、ちょっとしんどかったし、まあ、いいかな。なんて。
そう思った、リズの視界を覆ったもの――淡い金。
それに、とっさに反応することは、できなかった。
きいん!
高い音が鳴る。弾き飛ばされたのは、さきほどまでリズの心臓を刺し貫かんとしていた白銀の短剣だ。
けれど、理解できない。考えが追い付かない。
だって――だって――ああ――!
緑の目、薄い金髪。髪を一つに縛った紐は、リズがいつかプレゼントしたもの。
リズを抱き寄せ、利き手のレイピアでリズを守った青年は、緑の目を爛々と光らせて、ロミルダを睨んでいる。
「遅くなった、ごめんね、リズ」
優しいテノール。リズに向けられるその声――リズ、と呼ぶ声を、なんども夢に見た。
夢だとしてもかまわない――けれど、この温度は、夢ではなかった。
「ヴィー!」
そう呼んだリズの声に、緑の目が優しく細まった。
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