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肆
元の喫茶店だった。
淨に降ろされ、周は倒れこむ様に椅子にもたれている。
戒がソーサーに乗ったカップを差し出した。
「カモミールです。少しは落ち着きますよ」
「あ・・・ありがとう・・・ございます・・・・」
やっとのことでそれだけ言ったはいいが、まだ体は思うように動かなかった。
「なっさけねぇなぁ、あの程度でダウンか?」
向かいの席に座った空が冷やかすように言う。
「周がヘタレだってことなんて、あった時からわかってたことだろうが」
カウンターに座った淨が、いかにも蔑んだような視線を向けてきたが、今の周には言い返す気力すらなかった。
「なぁ・・・・明日は学校行くんだろ?」
不意に目の前の空に学校という言葉を言われ、周は一気に現実に引き戻された。そのせいか、体も動く。
戒の入れたカモミールを一口口に含むと、ふわりと体が楽になったような気がした。
「・・・・・そうですね・・・・・」
ぽつりと囁くようにそう返事した周に、誰も何も言わなかった。
「そういえば・・・・三蔵さんは戻って来られないのでしょうか?」
三蔵だけが未だ戻らないことを不思議に思い誰に聞くでもなく、言葉にしていた。
「三蔵なら今はまぁ・・・・報告中ってことでしょうか」
___報告・・・・それは先ほどの顛末のことだろうけど、あんなこと・・・一体誰に報告するというのだろうか・・・・
聞けばまた、戒あたりが答えてくれるだろうとは思ったが、今日は既にキャパオーバーだ。これ以上、日常とかけ離れた話を聞かされたらきっと、どうにかなってしまうだろうと思い、それ以上は聞かずただ「そうですか・・・」とだけ答えた。
「あの・・・・」
周にはどうしても確認しておきたいことがあった。聞くのは恐ろしい。それでも、あの男の禊に立ちあった以上、知らなければならないと思った。
「あの男の人は・・・・どうなったのでしょうか・・・・さっきは餓鬼に・・・その・・・・食べられてしまったようですけど・・・・」
わかっていても、あの光景を実際に口に出すのには少し勇気がいった。
「あー、あれねぇ」
空がなんとも呑気な声をあげる。
「救えないもんは、救えないよ・・・・」
周の全身に鳥肌がたった。
「じゃぁやっぱり・・・・あの人は餓鬼に・・・その・・・・」
口ごもった周を遮るように淨が言う。
「別に肉体が喰われたわけじゃねぇよ。俺達があそこに呼び出したのは、あの男の魂。つまり霊体ってわけだ。それが喰われたんだよ。ってか、あのおっさん、既に人じゃなくなってたしなぁ」
「あの・・・魂が喰われた人は・・・・その・・・どうなるんでしょうか・・・」
淨の冷たい視線が周を捉えた。それだけで、周は身を後ろに引いた。その感情は言わば恐怖そのものだ。淨の瞳の奥には、時々他人をその視線だけでどうにかしてしまいそうな、そんな雰囲気がある。
奥から人の気配がして、見れば三蔵が元の怠そうな表情で戻ってきた。
周を見て、一瞬にやりと笑う。
その笑みがなんとも冷たく見えて、周はぶるっと身震いをした。
「あぁまぁねぇくーん・・・・」
のそりとカウンターに腰を下ろした三蔵が振り向かないままで周を呼んだ。視線は戒に向けられ、どうやらまた酒を欲しているようだ。
戒は先ほどの事なんて一切なかったかのような穏やかな笑みを浮かべ、三蔵と淨に酒を差し出した。
「くぁぁああああっ!」
酒に口をつけた三蔵が、旨そうに声を上げた。
「あ~ぁ、やっぱ一仕事終えた後の酒は旨いなぁ」
「あぁ?てめぇは一日中飲んでるだろうが・・・・」
淨からの嫌味も耳に入らない様子で、三蔵は半身で振り返ると周に流し目を送る。なんどされても、三蔵の流し目にはどきりとしてしまう。それだけの艶が三蔵にはあるのだ。
「また来てもいいけど、学校・・・・終わってからおいでねぇ~」
「え?ぁあ・・・・はい・・・・」
周がここに来た時、三蔵は終始寝ていたはずだ。それなのに、すべてを見透かすかのように、そう言った三蔵に周は素直に頷くしかない。
「今日はもう、遅いから帰った方がいい・・・・」
更にそう付け加えられ、周は素直にカバンを抱えて立ち上がった。
「はい・・・・あの・・・今日はありがとうございます」
「なぁ、周、また来いよな」
空がまるで次もまた、遊ぼうとでも言うかのように笑みを浮かべている。
カウンターの向こうでは戒が、柔和な笑みを浮かべていた。
三蔵と淨に至っては、背をむけたままだったので、どんな顔をしていたかはわからない。
「本当・・・・お世話になりました」
そう言って頭を下げると、周は一気に店を出て振り返った。扉を閉める瞬間、思い出したように叫ぶ空の声が聞こえた。
「淨ーっ!いいもんくれーっ!」
結局淨の言った”いいもん”とは、何だったんだろう・・・そんなことを思いながら、周は扉を閉めた。
「・・・・こんな店だったんだ・・・・」
雑居ビルの隙間の細い路地。
さもすれば見過ごしてしまうほどの、小さな入り口だった。この入り口を潜った先に、あのような空間が広がっているなどと誰が思うだろうか。店の前には小さな看板。灯りが灯っているものの、今にも消えてしまいそうな程に頼りない。
___喫茶 砦誘鬼
看板にはそう書かれていた。
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