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弐
「あの・・・・あの人、お会計とかいいんでしょうか?」
「あぁ?いいんだよ、別に」
淨が面倒そうにそう言ってから、周の向かいの椅子にごろりと横になった。
会計がいらない喫茶店なんて、そもそも喫茶店として成立しない。
不思議に思っていると、奥から間の抜けた声が聞こえてきた。見れば、もうひとり誰かがいた。両手を伸ばし、大きな欠伸をしている。
「あぁ~、よく寝た・・・・戒、酒くれる?」
戒は穏やかな笑みを浮かべ、グラスに透明の酒を注ぎ奥へと運んだ。男はそれを一気に飲み干す。
「っかぁーっ!やっぱり、現世の酒は旨いっ!」
そう言って立ち上がると、周を見た。
「君・・・・だれ?」
「えっ?・・・・あの・・・僕は・・・・土方周と・・・・」
「あー、戒ー、もう一杯ね」
既に聞いていない。周が苦笑いを浮かべていると、カウンターに腰を下ろした男が再び振り返る。
「ところで・・・・、君、誰?」
___いや・・・だから、あなたが最後まで聞かないから・・・・
そんな抗議の言葉を言えるはずもなく、周はしゃんと立ち上がった。
「あの、僕は土方周といいます」
「ふーん・・・・周・・・くん・・・ね」
なんとも緩い風体の男だ。少し伸びたぼさぼさの髪に、垂れた目。淨や戒よりも、いくらか年上だろうか。なにより目をひくのはその服装だ。和服___浴衣かとも思ったが、よく見れば少し違う。ウエストから下には両サイドに深いスリットが入っている。下には袴のようなものを履いているらしかった。そして男には不思議と艶があった。男の周でさえ、その少し垂れた目でちらりと流し目を送られれば、どういうわけかどきりとしてしまう。そんな色気が男にはあった。
「周君、彼は三蔵。僕たちの言わば、マスターですよ」
戒が助け舟を出すように、紹介してくれた。
「ここのマスターでしたか・・・・すみません。少しここに居させてもらってます」
そうって丁寧に頭を下げた周であったが、頭を上げた時、既に三蔵は周に背を向けていた。
___なんて、自由な人たちなんだろう・・・・・
所在なさげに再び腰を下ろした時だった。
「で、君もあれ・・・・見ちゃったわけ?」
あれ・・・とは、一体なんのことだろうかと、周がきょとんとしていると、三蔵がグラスに入った酒をごくりと飲んでからいう。
「餓鬼だよ、餓鬼」
「あぁ・・・・えぇ、そう・・・みたいです・・・・・あの、僕霊感とか全然ないんですけど、どうしてそんなのが見えちゃったんでしょうか・・・・」
俯きつつもそう言った周であったが、なかなかその返事が返ってこない。また無視されているのかと思い、顔を上げると三蔵と目があった。
何を言うわけでもない。三蔵はじっと周を見ていた。
「えっと・・・・・なんでしょう・・・・・」
耐え切れなくなった周が、たどたどしく言うと、三蔵は「別に・・・」と一言言っただけで、再び背を向けてしまった。
ここに居させてもらってる立場ではあるが、周はここで会った四人の男に半ば呆れていた。みな自分よりかは大人だろうが、その行動態度は到底大人らしくない。唯一、戒だけはまともに見えるが、あとの三人が酷すぎて感覚がマヒしているだけかもしれないと思えてくる。それに・・・・この喫茶店は、本当にまともな喫茶店なのだろうかと疑念が湧いた。
先ほど、体中に気味の悪い餓鬼をまとわりつかせた男が来たものの、他に客は来ていない。店内は薄暗く窓もない。まるで洞窟の中にいるようだ。
周は先ほど出してもらったグラスの下に敷いてあるコースターを手にとった。
____砦誘鬼・・・なんて読むんだろう・・・・
読み方こそわからないが、喫茶店の名前に鬼の文字など普通使うだろうか。
「あの、戒さん・・・・これ、なんて読むんですか?」
コースターを手にカウンターの中にいる戒に声をかける。
「あぁ、それはね。さいゆうきって読むんだよ」
「さいゆうき・・・・?」
周は首を傾げた。
「何かおかしいかい?」
そう聞いて来たのは、三蔵だった。相変わらず酒を呑み続けている。
「いえ・・・そういうわけでは・・・・」
「ここは、悪鬼を誘う砦なんだよ」
「えっ?」
幾分低い声で囁かれ、周はぶるりと身震いをした。
「君もさっき見ただろう?体中に悪鬼を纏った者を・・・・」
___先ほどの客の男のことをいっているのだろう・・・・
「はい・・・あの、餓鬼ってのを沢山つれた人・・・のことでしょうか」
「そうだね。自らを制御でくなくなり、煩悩に飲み込まれた者はやがて悪鬼を体中に纏うことになる。ここはね、そうした者達が訪れる場所なんだ・・・」
ごくりと喉を鳴らした。緊張で指先の感覚がない。
「君も・・・偶然とは言えこの場に誘われた者のひとりかな?」
三蔵の視線がすっと周に向けられると、周は硬直した。三蔵の視線には、人を絡めとるような、そんな雰囲気があった。
「えっと・・・あの・・・・僕は・・・・」
まさか自分にもあのような者が憑いているのだろうかと、喉がカラカラに乾いたその時、入り口のドアが勢いよく空いた。
空が帰って来たのだった。
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