花菱草に君を思う

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****  次の日から、私の一日は丸っきり変わってしまった。毎日送り迎えをしていたというのに、透くんの家に着いたら、おばさんに謝られてしまった。 「あの子、お父さんに送ってもらうと言って、もう出て行っちゃったの。菜摘子ちゃんに言ってなかったなんて思ってなかったんだけど……」 「え。でも。なら帰りだけでも……」 「帰りは先生に送ってもらうと言っててね。あの子もどうしてそんなことを急に言い出したのかわからなくって。もうすぐ発情期だっていうのに」  避けられている。  そうとしか思えなかった。  なんで、どうして。私はおばさんに「わかりました、ありがとうございます」とだけ言って、のろのろとした足取りで学校に向かった。  ちらりちらりと周りを見る。  ベータは一般生徒で、マジョリティー。どこにでもいて、皆普通にスキンシップをしてしゃべっている。  アルファはどうしてもオーラが違う。なにもしていなくっても目立ってしまい、皆から尊敬の眼差しを受けている。  そして、オメガ。革の分厚い首輪が見えて、見ないようにしていてもどうしても目に付いてしまう。人数で言ってしまえば、クラスにいるかいないかだけれど、嫌でも目に入ってしまうのは、私が保健委員だからかもしれないし、透くんを探しているからかもしれない。 『もし僕をオメガだから守りたいっていうんだったら、悲しいけど僕はもう菜摘子と一緒にはいられない』  透くんの言っていたことが、頭にこびりついて離れない。  私は馬鹿で、どうしようもなくて、それが彼を怒らせてしまったんだとしたら。  謝らないと。スマホのアプリでメッセージを入れる……既読が付かない。  電話を入れてみる……取らない。  だとしたら、直接探さないと。  その日はどうしても鍛錬に集中できず、先生に怒られてばかりだった。私は何度も何度も謝りながら、休み時間ごとに透くんを探す。  教室に向かったけれど、進学クラスの人たちは小首を傾げていた。 「今日は来てないけど」 「……ええ?」 「あいつも変わり者だからなあ」  クラスの人たちにお礼を言ってから、私は必死で心当たりを探した。  でも。普段はすぐに見つけることができる透くんを、どうしても見つけ出すことができなかった。  図書館も。  保健室も。  意を決してシェルターを開けてみても、やっぱりそこでも透くんの姿は見つからなかった。  予鈴が鳴るまでに探し出さないといけないのに。泣き出しそうになりながら、私が透くんを探していたところで。 「あの。番の人を探してるんですか?」  そう声をかけられて、私は驚いて振り返る。  昨日見かけた、長身の女の子だった。相変わらず番の人に噛まれたあとが、しっかりとうなじに見えている。  番って……私は小さく首を振った。 「いえ。私はただのベータで、番をつくるなんてできませんから……幼馴染を探してたんです」 「そうなんですか? 単純に、私はオメガとベータの番だと思ってたんですけど」  彼女にそう指摘されて、目を白黒させてしまう。私が彼の地雷を踏んづけてしまったから、とうとう愛想をつかされてしまったっていうのに。  私が俯いてしまうと、彼女はたおやかに言う。 「よく勘違いされがちなんです。オメガは弱いから、守らないといけないって。たしかに私たちにはベータやアルファにできないことがたくさんあります。どうも筋肉が付きにくいみたいで、重いものも全然運べませんし、すぐ疲れてしまいますから。それに発情期を抱えているから、その時期になったら、どうしても人肌恋しくなって、その時期はとてもじゃないけど人に見せられないですしね」  そんな話は、たしかに透くんも言っていたように思う。  彼女は既に番がいるし、発情期を共有してくれる相手がいる。だからひとりでも堂々としていられるのだろう。  ……透くんは、どうだったんだろうか。  私は吐き出すように、声を出す。 「私は……幼馴染に嫌われてしまったんだと思います。彼にオメガとして見るんだったら一緒にいられないって言われて、いなくなってしまいました」 「……おふたりがよく図書館を連れ添って歩いているのを見ていましたけど。だから、珍しいけど仲のいい番なんだなと思って見ていました」  私はきょとんとして、彼女を見た。私が気付かないだけで、どうも彼女は番のアルファの子と、よく私たちを見かけていたらしい。目を引く透くんの容姿だったら、一発で覚えているだろうけれど。私のことまで覚えているなんて。  でも、私はなにかと理由を付けては、透くんの傍にいただけ。透くんが許してくれたからだ。彼から拒絶されてしまっては、私だって彼と一緒にいられないのに。  いつだって、透くんが最優先なのに。  途方に暮れている私に、彼女はおっとりとした口調で続ける。 「あくまで私の主観ですけど。オメガはどうしても、パーソナルスペースが広くなってしまうんです」  意味がわからないまま彼女を見ていたら、彼女は言葉を続ける。 「私は、あのオメガの人は、あなたにだけはどこまでもパースナルスペースを許しているように見えました。多分ですけど、あなただからなにをしても許すけれど、もしそれがただのオメガは弱いから守るって責任感だったら、傷付くから嫌だったんじゃないですか?」 「え……今まで、そんなこと一度も言ってなかったのに。どうして突然……」  私は今更になって、透くんの最初の発情期のことがフラッシュバックした。  体中から汗を噴き出して、私に助けを求めていた。  私の子供が欲しいと泣いていた。  それはてっきり、アルファが欲しいのにいないと泣いているのかと思っていた。アルファがその場にいないから私に助けを求めていたんだとばかり思っていた。  でも彼女の指摘を考慮したら、意味が全然変わってしまう。  まるでこれじゃあ、私がアルファだったらよかったのにという意味になってしまうじゃないか。  ……透くんがあの一日をなかったことにしてしまった理由って、もしかしてこれのせいか?  そのとき、唐突に頭に浮かんだのは、花菱草の花畑だった。まだ性別なんてあってないような時代の、一番幸せだった頃。  私は名前も学年も知らないオメガの子に、頭を下げた。 「……ありがとうございます、私。幼馴染がどこにいるのか思い出しました。迎えに行ってきます。あの、あなた名前は?」 「私ですか? 二年の南天(なんてん)です」 「南天さん、ありがとうございます」  お礼を言ってから、私は駆け出していた。友達にアプリで【学校をサボるからノート取っておいて】と飛ばしておいて、そのまま走っていた。 ****  小さい頃に出かけた花菱草の花畑。  朧げな記憶を頼りにスマホで検索をかけたら、どうにか電車で行ける地図が出てきた。  それを頼りに電車を乗り継ぎ、どんどん山へと登っていく。  透くんはおばさんやおじさんにどんな嘘をついて、電車を乗り継いでいったんだろう。どうしてこんな場所に行こうとしたんだろう。  そして私も、こんな面倒臭いことになっているのに、どうして必死で電車を乗り継いでまで追いかけようと思ってしまったんだろう。  ……そんなの、大昔から決まっていた。彼の性別のことなんか全部無視してしまったら、答えはひとつしかないじゃないか。  目的の駅が見えてきて、私は電車を降りた。  坂道しかない道を、制服で必死に駆け登っていくのを、周りは怪訝な顔で見ていたけれど、私はその視線を無視して、ずんずんと歩いて行った。  やがて。見覚えのある山吹色が視界に広がった。山吹色は、風に揺られて波をつくっていた。  今日は平日で、遠足シーズンからも外れている。  人気がほとんどない花畑の中心で、制服の男の子が、ぽつんとたたずんでいる。あの小さかった頃の記憶が、頭を駆け抜けていった。  私は彼に向かって、ずんずんと歩いて行った。 「透くん……!!」  彼は振り返らなかった。それにひるみそうになったけれど、私はなおも声を張り上げる。 「私、あなたがオメガだから守りたいなんて思ったこと、一度もない! ただ、私は諦めが悪かっただけなの!」  あれだけ透くんをもてはやしていた人たちが、勝手にいなくなってしまったのを、私はずっと歯がゆく思っていた。  オメガだから。アルファじゃないから。なんでそんな身勝手に持ち上げた挙句に、落とすような真似をするのか。  そして、私自身も怖かった。  ……彼がいつか、アルファの番になってしまうということが。  性別が決まったくらいで諦められるほど、私たちは長い時間一緒にいた訳ではないんだ。 「あなたが、好きなの……! あなたが誰でも構わない。あなたがなんでも構わない。私はあなたの番になれないけど、いつか離れてしまうかもしれないけど、それでもあなたがいいの……!!」 「……馬鹿だなあ、菜摘子は」  何故か、透くんはからかうような口ぶりで、そうぽつんと呟くと、ようやくこちらに振り返った。  彼は久々に見た、満面な笑みを浮かべていた。 「性別ってなあに? 番ってなあに? アルファやオメガ、ベータってそんなに大事?」  そう言って、私の眉間に指を突っ込んだ。また気付かないうちに、眉間に皺が寄ってしまっていたらしい。透くんは歌うように続ける。 「僕は最初から、菜摘子がいいのに。アルファが僕を欲しいと言ってもいらないのに。菜摘子の子供を産めないことは残念だけど、菜摘子が僕の子供を産むことはできるじゃないか」  唐突に聞かされた言葉に、私は赤面した。一度だけ色めいた透くんの発情期のときでさえ、そんな雰囲気はなかったのに、そんなことを言われてしまっても。  私がそろりと透くんの隣に座ると、透くんはぷちりと花を一輪抜いて、私の髪に差し込んでくる。 「僕とずっと一緒にいてよ。最初から僕は、君以外にうなじを許す気はないよ」 「……私で、いいの?」 「なに言ってるの。何度も言ってるじゃない。僕は菜摘子でいいんじゃなくって、菜摘子がいいんだよ」  そう言って花菱草を差した私の髪を、彼は撫でた。  必死で守っていたつもりだったのに、結局守られていたのは私のほうだった。私が不安で押しつぶされないようにしていたのは、透くんだったんだ。  オメガとベータは、どんなに好き同士でも、発情期のときの彼のフェロモンを垂れ流すのを止めることはできない。彼がどんなに欲しいと言っても、私では彼の欲しいものを与えられない。  一番欲しいものしか、あげられない。  それでもいいって言うのなら、彼の手を取って、どこまでも一緒に行こうと、そう誓ったんだ。
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