花菱草に君を思う

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****  気付けば、見え透いたことを言う人しか、周りにはいなかった。  アルファは将来は社長や政治家や学者など、歴史に名前を連ねる人が多数その性別になるらしく、僕の学力テストの結果を見た人たちが、目を血走らせてきたんだ。  神童だとか天才だとか言われて、客寄せパンダにするために、意味のない試験を何個も何個も受けさせられた。そのたびにお菓子はくれるけれど、クラスメイトからは引き離されて、僕は辟易としていた。  運動はあまり得意ではなくて、誘ってくれたクラスメイトには悪いけれど、何度も何度も断って、図書館で大人しく本を読んでいる子供時代だった。  そんな中で、菜摘子だけは何故か違った。  マンションが同じというだけで、なにかにつけて一緒に行動していた。親が友達同士というのもあったのかもしれない。なにかにつけて一緒にいた。  性根がよくて素直、悪く言っちゃえば単純。とにかく彼女の言葉には裏がなかった。  成績がよかったら、周りからは「すごいね」「天才だね」と言うけれど、彼女だけは、にこにこ笑いながらこう言ったんだ。 「勉強してたもんねえ」  彼女の「すごいね」はただの褒め言葉ではなく、僕が勉強しているのを見てから言った言葉だと気付いたとき、僕は彼女を意識するようになっていた。  中学に進学したときには、見え透いたことを言う人が前以上に増えていった。どこかの塾が、進学率アップのために月謝を免除する代わりに受けてくれないかとか、なにかしらの教材をただであげるから宣伝してくれないかとか。  そしてその人たちは、なにかにつけて健康診断の結果を気にしていた。アルファに近付けば、たとえベータでだっておいしい思いができる。もしかしたら、余ったポストに滑り込むことができるかもしれない。そんな意図が見え透いていて、吐き気がしそうだった。そもそも高校に入らなかったら、二次性徴のチェックなんてしないのに。  一方、僕の周りに女子も増えていった。僕のなにを見て、「格好いい」「素敵」と言うのかがわからず、僕はスルーしていた。成績だったらともかく、他のことなんてなにひとつわからないのに。どう考えても、僕の性別がアルファだったときに、今のうちに唾を付けておこうという考えが見える。  ただ、僕の近くにいる菜摘子が、年々顔を曇らせていくのが気がかりだった。  彼女には笑っていて欲しかった。僕のことを天才とか言わないのは、彼女しかいなかったのだから。  だから、僕は健康診断を受けたとき、オメガだとわかったときは心底ほっとしたんだ。  馬鹿な連中がこれで離れてくれると。  実際に、見え透いた褒め言葉ばかり使っていた同級生も、明らかに下心ある目で見ていた女子も、僕を客寄せパンダに使いたかった大人も、軒並み離れて行ってくれた。  成績で黙らせたら、頭のいい連中はそれで黙ってくれる。数字は嘘をつかないから。だから頭のいい連中とだけ付き合っていれば、今後も問題なく過ごせるだろうと思っていたけれど。  僕よりも、菜摘子のほうが、今にも死にそうな目で見始めたのだ。  だから保健委員に立候補して、やったこともない合気道の鍛錬をしはじめたときには、さすがに僕も参った。 「別にいいよ」と言ったら、彼女は今にも泣き出しそうな顔をして首を振ったんだ。 「透くんに、なにかがあったら嫌だから」  その言葉に、僕はいったいどれだけ傷付いたのか、わからない。  守られたくなんてなかった。好きな子から同情されるなんてごめんだった。それがもし、「僕だから」だったらまだいい。  それがもし「オメガだから」だという理由だとしたら?  人が言うほど、オメガは弱くなんかない。発情期さえどうにか乗り越えたら、他の性別となんら変わらないし、アルファだって進学校や私立だったらともかく、公立にはそんなにたくさんいないのに。 「幼馴染がオメガだから」という理由だったら、僕は舌を噛んで死んでいたかもしれない。  ある日、発情期が来たとき、ショックだった。  突然どっと汗が噴き出し、鼓動が速くなったんだ。それと同時に、頭が馬鹿になってしまっていた。  体を埋めて欲しい。なにかが足りない。欲しい欲しい欲しい欲しい…………。  第二次性徴のときに、子供から大人になる変化がやってきたときとは違う衝撃を味わっていた。  今まで、普通に男として生活していたのに、今までの生き道を踏みつけられたような感覚だった。  理性なんて吹き飛んで、ただ動物的な本能しか考えられなくなっていた。息が苦しくて、酸素が頭を回らない。中庭の芝生に転がり落ちたときにチクチク刺さる芝生が、僕の劣情を呼び覚ました。最悪だ。でも、もうどうだっていいか。  僕は転がって必死に体の劣情を冷まそうとしていた。でも、普段と違って体は火照るばかりで、どんどんせり上がってきて、抑えられない。こんな外で発情している僕は馬鹿みたいだ。  自分の体なのにちっとも言うことを聞かないのに泣きたくなったとき、急に僕は好きな匂いを拾い上げていたんだ。今まで、ここまで強く匂いを拾えたことなんてなかったのに。  こちらまでやってきたのは菜摘子だった。ふわんと纏っているのは、知らず知らずのうちに毎日嗅いでいた、彼女特有の甘い匂い。  菜摘子は僕を今にも泣きそうな顔をして、肩に捕まらせたんだ。  欲しいなあ……欲しい。  ドロリとしたものが、彼女を見ていたら渦巻いてきた。  菜摘子の子供が欲しい、産みたい。欲しい。無理なのに。わかっているのに。  さっきまで、僕を襲っていた動物的な劣情が消え失せていた。代わりにやってきたのは、粘りを帯びた執着だった。  ベッドに到着したとき、懸命に誘ったけれど、彼女は泣くばかりでなにもしなかった。ただ、最後の最後で観念したように、革の首輪に噛みつくだけだった。キスのひとつすらない、拙い愛情表現だったけれど、僕にはそれで充分だった。  いつか、革の首輪を外すから、僕のうなじを噛み切って。  本当の番になれないなんて、臆病な君は言うだろうけれど、本当ってなんなの? 性別なんて馬鹿みたい。どうせお偉方はアルファの安寧しか考えてないんだから、他の性別のことなんて放っておいてくれるよ。  それでも世間が駄目だって言うんだったら、ふたりで手を取り合って逃げよう。  いつだって君は僕を見つけ出すし、僕は君を待っている。それはどこにいたって変わらないじゃない。  ねえ、菜摘子。愛してる。 花菱草の花言葉:私を拒絶しないで
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