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小さい頃は、世界の理不尽さに気付きもしなかった。
町内会の遠足に出かけたときだった。
山吹色の花畑に到着し、私は興奮して走り回っていた。
「すごい! きれい!」
その透明感のある艶やかな花に目を輝かせて興奮していたら、一緒に来ていた透くんがゆっくりと教えてくれた。
「花菱草がたくさん咲いてるね」
「はなびしそう?」
普段から透くんは大人しく、運動場でしているドッチボールやバスケットボールに参加することなく、分厚い本を何冊も何冊も読んでいる男の子だった。
でも誰もが一目置いていたのは、成績はものすごくよくて、物覚えもいいからだ。ときどき先生が漢字やことわざの使い方を間違っているのを指摘して、先生が真っ赤な顔で辞書を引き直すことすらあった。
誰もかれもが「しんどうだ」「てんさいだ」ともてはやしていた。彼はきっと「アルファ」なんだろうと囁かれていたけれど、私からしてみれば透くんは透くんだったし、なにがそんなにすごいのかがよくわからなかった。
私は透くんよりもかけっこが得意だった。
透くんは私より算数も国語もよくできた。
それだけの違いで、何故大人が興奮するのかが、いまいちわからなかった。
今日も分厚い本で得た知識を、彼はなんの気なしに披露してくれる。
「花の形が花菱紋に似ているから、花菱草。ほら、これが花菱紋。似てるでしょう?」
そう言ってお守りを見せてくれた。紫の布には白い模様が描かれている。たしかにこの花畑一帯の花を上から眺めたら、同じ形に見えるかもしれない。
「本当だ、似てるね!」
「うん。なっちゃんによく似合うね」
そう言って透くんは、ぷちんと花菱草の花を抜くと、私の髪に差し込んでくれた。
今思えば、透くんはずいぶんと気障なことをしていたのだけれど、私からしてみれば、仲のいい男の子が髪飾りをくれたという感じでただ嬉しくて、私も同じように花菱草の花を取って、彼のうなじまで伸びた眺めの髪に差し込んでいた。
透くんは困ったように眉を下げる。
「僕には似合わないよ?」
「そんなことないよ。透くんにも似合うよ」
あの頃の私には、男も女も関係なく、アルファもベータもオメガも、どこか遠くの国の話だった。
ただ、好きな人がくれたものを返しただけ。
まだ恋愛のれの字の知らない私の中では、ただ透くんはたくさんいる好きな人というカテゴリーの中にいるひとりだった。
あの頃の私は、まだ世界の不条理も理不尽さも知らない子供で、一番幸せだったこの記憶を繰り返し繰り返し夢で見るようになるなんて、思ってもいない大馬鹿者だった。
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