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「その人は白いワンピースが似合う、とても可愛い女の子だったと言っていました。……僕の、おじいちゃんです」
私はゆっくりと、顔を上げた。
そして初めて直視することになるのである。――彼の瞳に映る、少女が着るような愛らしいワンピースを着た――老婆の姿を。
「もう時間は戻らない。自分はもう、あの人の待っている桜の木の下へ戻る権利を失ってしまった。本当に申し訳ない。……そう言い残して、おじいちゃんは先月亡くなりました」
「……そう、なの」
「この町の交番に勤務したいと言ったのは、殆ど俺のワガママみたいなものだったんです。もう殆ど面影はないけど、此処はおじいちゃんが育った町で……おじいちゃんの大切な人が生まれた町でもあるから。それに……この桜の姿を、最後まで目に焼き付けておきたかったんです。この木、立派に見えるけどもう根元の方がだいぶ老化して危なくなってるみたいで……もうすぐ、安全のために切り倒されることになってるらしくて」
「……そう」
バカみたいに、ぼんやりした答えしか返すことができなかった。
白いワンピースの似合う少女から、一気に玉手箱の煙を浴びて年を取ってしまったかのよう。そう、私達もある意味、報われない浦島太郎そのものだったのだろう。ほんの少し、歯車が違えば――私達は結ばれ、目の前の彼は二人の孫としてそこに存在していたのかもしれないのだから。
私が交通事故なんかに遭って入院しなければ。
彼が落盤事故に巻き込まれて、記憶を失ったりなどしなければ。
わかっている。たらればを言ってもどうにもならない。時代は止まってなどくれないのだ。いつの間にか昭和が平成になり、令和になって新たな時間を紡ぐように。
「いい加減。私も、夢から醒めるべき時が来たってことなのかしらね……」
わかっていた。
私がそうやって時を止めたまま歩き出さなければ――遠い場所にるであろう彼を、何より悲しませるのだということくらいは。
「ごめんなさいね、見苦しくて。……本当は、わかってたのよ。わかってたの。いくら待っていても、人ごみを捜しても……あの人が見つかることなんか絶対ないってことくらい、わかってた。それでも寂しくて、寂しくて……馬鹿なおばあちゃんだと笑って頂戴」
「笑うはずないです。……だって、それほどまでに素敵な恋をしたってことじゃないですか。羨ましいくらいです、僕には」
「あら、言ってくれるじゃない。まだまだ青いわね」
そろそろ行かなければならない。私は立ち上がると、悪くなってきた腰をとんとんと叩きつつスカートの砂を払った。
このワンピースを着るのも、今日で最後だろう。
否、最後にしなければならないのだろう。思い出を、正しく箱にしまって大切にするために。
「もう、このワンピースは、着ないわ」
それでも、せめて。ほんの少しだけ、夢の残り香を味わうくらいは許されるだろうか。
「でも、また此処に来てもいいかしら。……これからは、見つからない人を探すためじゃなくて……この町を守ってくれる、新しいヒーローさんに会いに来るために」
胸の痛みを振り切るように笑うと、彼は少しだけ泣き出しそうに頷いて――私の手を握ってくれた。
「ええ、喜んで」
九十年目の、夏。新しい時代が始まった、夏。
壊れていた私の時計も、やっと少しだけ針を進められそうだ。
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