届けるは愛の文

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頬に冷たい汗が伝い、両手で握りしめたナイフがカタカタと震えだす。 怖い。緑のあいつが怖くてたまらない。 あのままでは確実に御者は助からない。馬車を囮にし、もと来た道を一直線に走れば俺だけは助かるだろう。善意などに駆り立てられ命を失うわけにはいかない。 見ず知らずの他人より我が身だ。そうやって今まで生きながらえてきた。ぐずぐずとしてはいられない、そうと決まればすぐ動け、馬車に背を向け走り出せ。でもどうしてだろうか。 「……動かない」 不思議だ。脳ではわかっているのに、走り出そうとした両足はまるで駄々をこねる子供の様に踏ん張って動こうとしない。なぜかは自分が一番わかっていた。わかっているからこそ自分に呆れた。とんだ馬鹿で、とんだお人好しだった。俺の体は言った。「馬車を救え」 と。 鞄と上着を草むらに投げ捨て、一直線で馬車へ向かって走りだす。体は嘘のように軽く、今なら何でも出来るような気がした。 コンマ一秒ごとにヤツとの距離が狭まる。御者が俺を視認する頃には、ヤツも荷台に触れようというところまで来ていた。このままでは間に合わない。そう思った俺は咄嗟に手の甲を自らのナイフで削いだ。脈打つたびにとくとくと血が溢れる。ゴブリンは血の匂いに敏感だ。これで嗅ぎ付けてくれれば狙いが俺に代わるはず。 そう思ったのも束の間、あろうことかゴブリンは馬車を追い抜き見たこともないスピードでこちらに迫ってきた。作戦は成功だが喜んでもいられない。ゴブリンとの距離百メートル、緊張で昼食のハムサンドが這い上がって来ようとするのを必死に堪え、ヤツを待つ。残り五十メートル……十メートル……。
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