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第2話 里見哲也
里見哲也とは腐れ縁だ。
家が隣同士で、幼稚園から小学校まで一緒のクラスだった。それが中学校にあがって、初めて別のクラスになった
子供の頃は、あたしの方が背が高くて活発で、何をやってもあたしの方が上手くできた。いじめられてたら助けてやったし、勉強だって教えてやってた。
あたしの子分、それが悪ければ、弟みたいなものだったのに。小学校高学年くらいから背丈も追いつかれて、哲也は、だんだん生意気になってきていたんだ。
中学で別のクラスになると話す機会も減って、それぞれの部活で行き帰りの時間もあまり合わなくなっていった。
わずか一年で背丈も追い抜かれて、見た目だけでなく中身も違っていくようで。鼻垂れの哲也とは別人のように思えた。そうして、だんだん離れていくのかなって思っていた。
中2で、また同じクラスになるとは。
哲也には悪いけど、最悪だ。なぜなら、女子には必ずクラスのボスがいて、うちのクラスのボスはバレー部の山本沙希。綺麗な顔立ちだけど、きつい性格だ。言いかえれば純粋一途で、哲也のことを好きらしい。
そのせいで、あたしはクラスでは浮いた存在だ。沙希が何か言ったわけじゃないけど、ボスの好きな男子と仲良くする空気の読めない女ということだろう。
別に哲也のことが好きなわけじゃなし。うまく距離をおけばそれでいいのだろうけど、なんであたしが気を使わなきゃならないのか。
妙に意固地になって、これまで通りを貫いた結果、クラスで話しかけてくるのは、丸っこくて可愛らしい手芸部の雲井美奈だけになった。
美奈は、クラスのボスとかグループとか関係なく、おおらかで敵を作らないタイプ。その笑顔を見ているだけで世界平和が達成できそうな子だ。
陸上と美奈があればそれでいい。
だから、その日の出来事も、あたしにとってはどうでもいいことのはずだった。体育館の改修工事で、バスケ部やバレー部が休みだったその日。
陸上部では普段通りの練習をこなしていた。
ところが、髪をまとめていたヘアゴムが切れてしまい、教室へ取りに戻ったら、そこには哲也と沙希がいたんだ。
不意を突かれた沙希の顔は真っ赤で、これから告白しようとしているに違いなかった。ひどいタイミングでドアを開けたものだ。
「あ、ごめん、すぐ出てくから気にしないで」
予備のヘアゴムを探して引き出しをがさごそやっていると、沙希が突っかかってきた。
「そんなのできるわけないじゃない。なにさ、見張ってでもいたんじゃないの? 彼女ヅラしないでよ」
どんと肩を押された弾みに、引き出しの中身が飛び出て床に散乱した。沙希を、キッと睨みながら、
「あたしは!」
と言いかけて、その先が続かない。
「あんたは? あんたは里見くんのなんなのよ」
「……うん、そうだね。なんでもないや」
まばたきをすれば涙が滲みそうな気がして、目を見開いたまま、散乱した文房具を片付け、ヘアゴムを握りしめた。立ち上がったあたしが一歩踏み出すと、沙希がびくっと体を震わせたけど、あたしは何をする気もない。
ふわふわとした足取りでグラウンドへ向かう。後ろから哲也の呼ぶ声が聞こえるけれど、立ち止まらず。練習に戻り、後輩の日菜に、ぼうっとしてないで、しっかりしてくださいとまた怒られた。
帰り道のこと。
途中にある買い食いポイントの商店街で、哲也が待っていた。小学生の頃から値段が変わらないコロッケを頬張りながら。あたしの姿を見ると、もぐもぐと、口の中の物を急いで飲み込み、残りのコロッケを差し出してきた。
「コロッケ食う?」
「……いらない」
本当にこの馬鹿は、という気持ちが表に出ていたのか、立ち去ろうとするあたしを真剣に呼び止める。
「涼子、待ってよ」
「なに?」
「ごめん」
「なにがよ?」
「こないだのボール、あと今日のこと」
あたしな、はあ、と溜め息をついた。
「ボールのことは、ぼうっとしてたあたしが悪いし、今日のことも、どっちかというとあたしが謝るべきじゃない? なんで謝られてるのか意味わかんない」
「なんとなくさ。ジュース飲む?」
「奢り?」
「パックの方なら」
「しょぼいなあ」
「奢られるのに、文句言うなよ」
紙パックのジュースを、ちゅーちゅーと吸いながら家路をたどる。家も近くなってきたころ、
「ねえ」「なあ」と声が被った。
あたしが、なに? と聞き直すと、哲也は、
「あ、お、俺さ。いや、やっぱいいや。涼子の方は、なんだった?」
「うん? あたしさ、こないだ神待ち掲示板を使ってみたんだ」
「ぶっ! マジか?」
「なに吹き出してんのさ、汚いな」
「神待ちって、要は出会い系だろ? 泊めてもらう代わりに、その……」
「セックスするやつ」
「そ、そ、そ、それ……」
「あのね、本当に会いに行ったりしないわよ。ただ、なんとなくさ」
「やめとけよ、そんなの」
「いいじゃない、いまなら若いってだけでちやほやされるんだもの。面白い人がいてさ。サマーボーイって名前なんだけど。この人だったら会ってもいいかも」
「ばっちり騙されてんじゃねぇか。会うのはダメだって」
あたしはただ、ネットで面白い人に出会ったって話をしたかっただけなのに。胸の中のもやもやが急に膨れあがって、それが口をついて出てきた。
「うるさい! あたしはあんたの何? あんたはあたしの何なのよ。あたしの勝手じゃん!」
「ああ、そうだな。わかった。悪かったよ! もう言わねぇから好きにしろよ」
気まずい沈黙のまま家に着いて、哲也は、こちらを見もしないでドアをパタンと閉めた。
あたし、なにやってんだろ。
携帯電話をいじりながら、自分のバカさ加減に悲しくなった。なんで、顔も名前も知らないサマボのことで哲也と喧嘩しなきゃならないんだ。そう思う内に、指先が勝手にメールを送っていた。
ウ〈ねぇ、サマボは何やってる人?〉
サ〈うーん、あまりプライベートは言いたくないんだけど。大学講師、また塾講師ということにしておこうかな〉
ウ〈そういうことにしとくって、なにそれ。変なの〉
サ〈どうせ確かめようがないでしょ。それより久々だね。またプチ家出したくなっちゃった?〉
ウ〈まあね。今日、友達とケンカしちゃった〉
サ〈いいじゃない。ケンカできるっていいね〉
ウ〈よくないし。あいさつもせずに別れちゃったんだよ〉
サ〈そっか〜。あいさつは大事だよ〉
ウ〈そだね〉
サ〈明日、いつものようにあいさつしてみな〉
ウ〈うん。わかった。ありがとう〉
次の日の朝、少し早めに家を出て、例の買い食いポイントへ行くと、すでに哲也が来ていた。
「おはよう。哲也、早いじゃない」
「ん、おはよう。たまたまな。今日は朝練があるからさ」
「ふーん。ま、そういうことにしといてやるよ」
「なんだよ!」
哲也の背中をバンバン叩きながら学校へ向かった。途中で、うちの野球部が走っているところを見た。
「ねぇ、哲也。うちの野球部、強いの?」
「ああ、今年は全国大会へ行けっかもな」
「ふーん。青春だねぇ。夏だねぇ」
「おばはんクセェな」
「んだと、テメェ」
哲也の脇腹を突ついてやる。あう! と変な声を出した哲也と顔を見合わせて笑う。空には厚い雲が湧き、強い日差しが雲を裂いて落ちてきていた。
本格的な夏が近づいて来ている。
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