歩くんの夏風物詩

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 毎年、夏になると思い出すことがある。  小学校低学年の夏休み期間、稽古が終わり家に帰っても誰もいない時に”ソレ”は現れた。  白いワンピースに髪の長い女の人が、俺と兄の部屋の片隅に立っていた。  俺の家は、兄、俺、母さん、父さんの四人家族で女性は母さんしかいないが、その女の人は顔が前髪で隠れてしまい見えなかったが、多分二十代くらいの若い女性だ。  女の人は俺のことをじっと眺めているようだったが、特に何もしてこないということで俺の警戒心はあっさりと薄れ、女の人は部屋の風景の一部と化した。  どうして、何でいるのか、という疑問にはならず、女の人がそこにいることが当たり前になった。  ある日、稽古から帰ってきた俺は大会前の追い込み稽古に疲れて玄関先で俯せて動かなくなってしまったことがある。  このままではマズいと思いながらも、俺は襲い掛かる睡魔に勝てずに瞼を下ろした。  全身の倦怠感には抗えず、頭の中がふわふわと浮遊感のようなものを感じ、息苦しさも薄れていき、段々と心地よくなっていった。  真っ白になっていく世界の真ん中で、俺はあの”女の人”に出会った。 (あれ? 何で、ここにいるの?)  俺の疑問に、女の人は顔を見せないまま手を伸ばした。 (連れてってくれるの?)  女の人は首を振り、俺の手首を掴み、歩き出した。  俺の身体は無重力空間にいるかのようにふわふわと漂い、女の人がいなければどこへ行ってしまうのか分からなかった。  白い空間を延々と歩き続けると、徐に女の人は腕を引き、俺を自分の正面に立たせると、俺の肩を掴み顔を覗き込んだ。 『熱中症に気を付けなさい。水と塩分はこまめに取るの、自分が大丈夫と思ってもダメ。休憩時間度に飲むのよ?』  女の人は思った以上に優しい声をしていた。  触れられている肩が、どこかひんやりとしていて、女の人が自分とは”違う存在”ということを思い知らされた。 『身体は大切にね、私のように蔑ろにしちゃダメよ』  女の人に肩を押されて、俺の視界は暗転した。  白い世界から真っ黒な世界へ移された後、俺が瞼を開けたのは三日後の病院のベッドの上のことだった。
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