歩くんの夏風物詩

2/2
前へ
/2ページ
次へ
「……ということがあった」  話を締めくくり、俺は温くなったお茶を飲む。  朝、登校するときに買ったペットボトルのお茶は残り三分の一しかなかったため、一気に飲み干し空にした。  胃がビックリしないのはいいが物足りなさを感じる。 「……ねえ、歩ちゃん。それって、つまり幽霊に会ったってこと?」 「ゆうれい? ……分からない。あの女の人がいた事実しか知らない。兄や母に尋ねることもしなかった。当たり前だったから」 「いやいやいや、普通は聞けよ! 家に見知らぬ人間がいたら「お母さん、あの人誰?」とか聞くだろ!」 「……なんで?」 「なんでって」  口籠る黒田に、俺は首を傾げた。  家に見知らぬ人間がいたとしても、害意がないのなら放っておけばいい。  もし、何かあれば兄や母が注意やら助言やらをしてくれるだろうと客観視していた。 「う~~ん、歩ちゃんの警戒心の無さには色々と問題があるよね。幽霊云々よりも、歩ちゃんの方にひやっとしたよ」  ロウはズズッとパックのマンゴージュースを飲み干し、空気を吸って箱をベコッと凹ませた。 「いいか、歩。もし、寮生活で見知らぬ人間がいたら、俺かロウに相談してくれ。絶対に見て見ぬフリはするな!」  ビシッと人差し指を立てる黒田に、俺は頷く。 「分かった」  黒田はホッとした風に息を吐いた。  たまに、自分は周りとは全く違う観点で物事を判断して行動するのだが、その度に周りの人間を不愉快にさせることがしばしばある。  注意されても、自分では何が悪いのか分からないため、首を傾げたり質問を返したりしているのだが、たいていの人間は気味悪がったり、迷惑そうに眉を顰めては、何も教えてくれず遠ざかっていくだけだった。  だから諦めていた。  人に期待するのも、考えることも。  自分の内側に閉じこもり、妙齢になったら働いて淡々と生きていく。  それだけで十分だと思っていたのにーー。 「俺、購買で飲み物買ってくるけど二人は?」 「はーーい! 僕はアイスが食べたいです! 庶民代表二つに分かれる奴!」 「ああ、あれな。歩は?」 「歩ちゃんは僕と半分こしよーよぉ」  二人が、俺を一人にしない。  側にいてくれる。  話しに乗ってくれる。  色々なことを教えてくれる。 「ありがとう」  俺が頬笑みを浮かべると、二人はキョトンと瞬きをして頬を紅潮させた。 「うわあっ! 歩ちゃんの笑顔! 激レア笑顔だよ!!」 「歩、そんなにアイスが食べたかったのなら一本くらいは買ってやるぞ?」 「ええーーーっ! 黒ちゃん、歩ちゃんだけ~~?」 「お前は金持ちだろ。ついでに買うのはワンコイン以下のソーダ味アイスだ」 「あーー! あの、当たり付きの? 僕も一回、食べてみたかったんだよねぇ」 「やっぱり、集ること前提かよ。……歩?」  ジッと二人のことを見つめていると、黒それに気付いた黒田が心配気に声を掛けて来てくれた。  嬉しかった。  心が温かくなり、まるで春の陽気の元で日向ぼっこをしている気分だ。 「一緒に、行く」 「そっか、自分で選びたいんだな?」  俺が頷くと、ロウも立ち上がった。 「僕だけ除け者は嫌だよ! 三人で買いに行こう!」  ロウが黒田と俺の手を掴んで引っ張ってくれる。  黒田は嫌がっているが、俺はロウの暖かくて柔らかな手の感触に不思議な気持ちがした。  同じ男なのに、育ちが違うだけで、身体全体が違う。  華奢で弱い彼は、誰かが守ってあげないと生きていけない風に見えた。 (けど、人は見た目だけじゃないのを、俺は知っている)  勉強も運動も人並みな黒田だが、料理の腕や家事はピカイチで、いつも男子寮の生徒を指揮している。  ロウも見た目は愛らしく弱く見えるが社会経験が豊富で、世の中の動きに過敏だ。対社会人にしても、対同級生にしても人当たりが良く世渡り上手なのだ。  そんな二人に反して自分はどうだろう。  勉強は人並みで、運動は人並み以上だがプロに離れないレベルの半端者。  いつか世界の端から爪弾きされてしまうのではないかと思う時がある。 (何もない俺、いてもいなくても良い俺)  誰からも必要とされないことは思った以上に怖いことだ。  人の温かさに触れてしまった以上、ひとりぼっちの世界にはもう戻れない。 (だから、あの人は俺の前に現れた?)  今、俺は寮生活をしているため、あの女の人に会うことはない。  あの人は俺の家の夏にしか現れないから。  けど、あの女の人は今もまだ俺の家にいるのだろうか?  たった一人でーーー。 「---っ、冷たい!」 「あはは、歩ちゃん。ぼーーっとしちゃって大丈夫? 熱中症?」 「マジか! 歩、すぐに会計済ませるから待ってろ。後、ロウ! 会計済ませてないアイスで遊ぶな! 溶けるだろ!」 「えぇ~~、だって、冷たくて気持ちいいんだもん」  プンッと顔を背けるロウから、黒田はアイスをひったくりレジへ向かった。  俺の頬に水滴が残っていることからも、ロウが俺の頬にアイスをくっつけたのだと分かった。 「それにしても、歩ちゃんの手って、ひんやりしてて気持ちいいね。 もしかして冷え性?」  手持ちぶさになったのか、ロウは歩の両手を握って体温を確認している。---もとい氷嚢代わりにしている。 「……ロウの手、温かい」 「うん。僕って子供体温みたいで、いつも温かいんだあ。特に眠くなる直前がスッゴクあったかくなってね。嫌になるよ」 「どうして?」 「だって、大人はみんな、僕を子ども扱いするネタの一つにするし、それに手が冷たい人の方が心が温かい人って言われるじゃん。その逆の手が温かい人は心が冷たいって。………まあ、本当だけどね」  一瞬だけ、ロウの横顔に陰りが見え、俺はロウの横髪を掻き上げた。  染めた訳ではない金色のふわふわした珍しい髪。  ロウは弾けた風に顔を上げ、俺を見つめてくる。 「ロウは冷たくない。手が温かい人は、心から優しい人。俺は手が冷たいから、優しくない」 「そんなこ」 「けど、ロウが『心が温かい人』って言ってくれたの嬉しかったから、俺は心が温かい人で、ロウは心から優しい人だ」  瞬間、またロウの頬が赤くなった。 「……天然タラシめ」と何か小さな声で呟いていたが、俺の耳には届かず首を傾げると、ロウは「なんでもない!」と言い、俺の手を離した。 「お待たせ~~。って、二人ともどうかしたか?」 「何でもないよ! そんなことより、僕のアイスは?」 「ほらっ、大切に食べろよ。こっちは歩の分だな」  手渡されたアイスは、パッケージに小学生が描かれたものだ。  よく兄が食べていたような気がする。  俺は袋を開けて、アイスを齧ると、キンッと冷えたアイスが舌で溶けて身体全体冷を促すようだった。 (甘い、な)  口の中がひんやりとしているのに、この場はとても暖かくて居心地がいい。  俺はアイスを食べながら、今この場にいる幸せをしみじみと感じるのだった。 END
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加