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【夏休みのお泊り2】
「お風呂、いただきました。ありがとうございます」
カレーの夕食の後、勧められた風呂から上がった春彦が母親に挨拶して二階に上がろうとすると、ちょっとちょっとと引き留められた。
「どうせ、次に和雪が入ってる間一人で退屈でしょ? 少しお話してって、ね?」
「あ、でも……」
逡巡している間に二階に「和雪、お風呂空いたから」と声を掛けた母親は、冷蔵庫から炭酸水を出して氷と一緒にコップに注ぎながらリビングに招いた。
「はい、どうぞ」
「……どうも」
何とはなしに抗いがたいところは間違いなく和雪と親子だとしみじみ思いながら、春彦は諦めて引かれた椅子に座った。
リビングで母親と向かい合っている春彦を案じながらも和雪が風呂に入ると、母親は興味津々の体でにこにこと訊ねてきた。
「ねえ、あなたと和雪って、どういう関係?」
「どっ……」
あまりにもストレートな問いに飲んでいた炭酸水にむせると、しばらく咳き込んだ。
「ごめんなさい、驚かせてしまって。でも最近のあの子を見てると、まるで恋してるみたいにうきうきして。久世くんの話をしている時や今日みたいに一緒にいる時にそう感じるから、そうさせてるのってやっぱり久世くんなんでしょ?」
「……どうなんでしょうね」
「やだ、そこは自信持って?」
励ますように拳を握ってジェスチャーされて、春彦は少々情けない気持ちになりながら頷いた。
「……た、多分、そうだと思います。その、俺たち一応――」
「お付き合いしてる?」
「はい、すみません……」
「どうして謝るの?」
「だって、親の立場としてはやっぱり複雑ですよね? 俺と沢谷、男同士なわけで」
「まあ、普通ならきっとそうなんでしょうね。でもあれだけ重度の不眠症が完全にでないにしろ治っている上、自分の殻に籠っていたあの子がこんなに積極的に誰かと関わろうとすること。私と主人としては感謝の気持ちしかないわ。和雪を、好きになってくれてありがとう」
真摯な言葉と心からの笑顔が、ひどく面映ゆく感じられた。
「……そんなこと。ただ、俺も沢谷の人間関係は少しばかり気になってました。沢谷は、友達って?」
「いないわ。少なくとも、家に連れて来るような相手は久世くんが初めて。あれだけ重度の不眠症を抱えてるとね、学校の授業を受けるだけでも重労働なの。クラスメートとふざけたり会話する余力なんて残ってなくて、しかもいつも無表情に見えるでしょ。友達なんて、できるわけないわよね」
「勿体ない。可愛い顔してるのに……」
「そう! そう思うでしょ? ああもう本当に、久世くんは何もかも分かってくれて嬉しいわ」
がしっと両手で握手されて、春彦は勢いに圧されながら頷いた。その様子を、風呂から上がった和雪が目撃し慌てて止めに入った。
「ちょっと、いつまで先輩に絡んでるのさ。先輩すみません、部屋に戻りましょう」
「あ、うん」
「良いじゃない、少しくらい。母さんだって、前から久世くんともっとお話してみたかったんだから」
「先輩は母さんじゃなくて、俺に会いに来てるの」
「あら、冷たいわね。将来の息子になるかもしれないのに」
「! 何バカなこと……先輩、良いから行きましょう」
「お、おい」
強引に手を引っ張られて階段を上りながら、春彦は和雪の態度を妙に思いつつ声を掛けた。
「おい、何もそんな急がなくても良いだろ。お母さんきっと、おまえのことが心配なだけで……」
「べつに、心配されるようなこと何もありませんから。それより、すみませんでした。母が失礼なこと言って」
「? 失礼なことなんて、それこそ何もなかったろ」
「気を悪くされたのでなければ、それで良いですけど」
どこか歯切れの悪い様子で、和雪は固い口調でそう言うと部屋のドアを開けた。
髪を乾かして、他愛無い話をしているうちに和雪が小さく欠伸をしたので寝ることにした。ベッドに乗る前、和雪は春彦の麻のシャツを大事そうに取り上げてハンガーに掛けた。
「今日は本物の先輩がいるから、こっちはお休みで」
「なあ……それ、やっぱりないと眠れないか?」
「どうでしょう。試したことないので。俺にとっては、精神安定剤みたいなもので、あるだけで落ち着くし安心するんです。だから、眠る時にないと不安ですね」
「そうか……」
「どうしてそんなこと訊くんです?」
まっすぐに見つめられ、少々気圧されながら春彦は答えた。
「そりゃ、できたらそんなものなくても眠れた方が、おまえのためになるだろ?」
「……俺のため? 本当にそうでしょうか」
「え?」
意味深な呟きを思わず訊き返すと、和雪は何事もなかったように微笑ってベッドに寝ころんだ。
「何でもないです。さ、寝ましょ」
ポンポンと隣に招かれて、春彦は先程と併せての違和感にもやっとしながら横になった。しかしそれを打ち消すように、和雪がきゅっと縋り付いてきたのでそれどころではなくなった。
「さ、沢谷?」
「今日はくっついて寝たいです。ダメですか?」
「だ、ダメじゃないけど」
「良かった。それじゃ、おやすみなさい先輩」
「ああ、おやすみ……」
リモコンで電気を消すと、隣からはすぐに規則正しい寝息が聞こえてきた。そっとその表情を窺って、間違いなく眠っていることを確認しながら春彦は手を伸ばしてその頬に触れた。親指を睫毛を撫でるように滑らせ、最後に柔らかな唇に触れてから慌てて手を下ろした。
「おやすみ、和雪」
愛しい者の体温をすぐ横に感じながら、春彦も引き込まれるように穏やかな眠りに誘われた。
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