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【風邪の見舞い】
翌日、和雪が部室に現れなかったことで春彦は悪い予感が的中したことを覚った。
(あいつ……)
言うことを聞かなかった後輩と、無理にでも傘を押し付けなかった自分の両方に腹を立てながら、一年D組の担任に事情を確認しに職員室に出向いた。
「沢谷くん? 風邪でお休みってお母さんから連絡あったけど、どうして?」
三年生が現れたことに、ぽっちゃりめで人の良さげな女性教諭は少し不審そうに春彦を眺めた。
「沢谷は、部活の後輩なんです。ちょっと伝達事項があるから、住所教えて欲しいんですけど」
割と普通の理由に、女性教諭は納得したように手を打った。
「あら、沢谷くん部活なんてやってたんだ。ちなみに何部?」
「『読書研究同好会』です」
「あー……ものすごく、らしいわ。あの子、徹夜しながら本読んでそうだものね。ほどほどにしなさいって、あなたからも伝えてちょうだい」
万年寝不足な顔をしている理由を、女性教諭は勝手に自分の中でそうして結論づけたらしい。不眠症であることをわざわざ明かす必要もないと、春彦は素直に同意して和雪の住所と彼への言伝をいくつか渡されながら急いで校舎を後にした。
***
「ここか」
和雪の家に着くと、念のため表札をもう一度確認してからインターホンを鳴らした。
『はい』
すぐに応じた女性の声に、母親だろうと予想しながら口を開いた。
「あの俺、沢谷くんと同じ学校の久世と言います。担任の先生からの預かり物と、お見舞いに来ました」
『まあまあ、わざわざすみません』
玄関がガチャリと開いて、出て来た柔和な雰囲気の中年女性は、ふわりと微笑った顔の目尻と髪色が和雪に似ていると思わせた。緊張している春彦をどこか物珍し気に観察しながら明るい声で笑った。
「初めまして、和雪の母です。久世くんだったかしら、和雪とはもしかして学年が違うの?」
制服の色違いに気づいた母親の言葉に、春彦は首肯した。
「あ、はい。三年です。沢谷くんとは部活動を一緒に」
「部活? あの子、そんなこと一言も言ってくれなくて……何の部活?」
「えっと……」
本日二度目の説明をしながら、春彦は招き入れられるまま沢谷家の玄関に足を踏み入れた。
「昨日はずぶ濡れで帰って来たものだから、きっとそのせいで風邪をひいたのね。カーディガンも脱いで、それで鞄をくるんで抱えるようにして。よっぽど大切な物でも入っていたのかしら」
母親の証言に、春彦は呆れながら聞こえないようにため息を吐いた。
「あの子の部屋、二階なの。さっき様子を見に行ったら、珍しくちゃんと眠ってるみたいだったからそのまま寝かせてきて……」
廊下から階段へ案内しながら、自分の言い回しの不自然さに気がついて母親は口を噤んだ。
「あ、不眠症のことなら、沢谷くんから聞いてますので」
和雪がフォローすると、彼女は驚いたように振り返った。
「あの子が、あなたに自分で? まあまあ、高校に入ってからずいぶん楽しそうだと思ってはいたけれど、きっと久世くんのおかげだったのね」
「いや、そんな……」
気恥ずかしくなりながら否定すると、母親はにこにこしながら先導して階段を上って行った。二階に着くと、廊下の手前の部屋を示して軽くノックする。ふにゃふにゃと力ない返事を合図に扉を開けると、中に向けて声をかけた。
「和雪、具合はどう? 久世くんがお見舞いに来てくれたわよ?」
「くぜ……久世? って、え、先輩!?」
がばっとベッドの上で勢いよく起き上がった和雪は、突然の動作にふらついてすぐに後ろに倒れた。
「馬鹿、寝てろ」
急いで近寄って布団をかけてやると、扉を閉めてごゆっくりと声を掛ける母親の方を向いて会釈した。二人きりになると、予想通り自分のパーカーと添い寝している和雪を軽く睨んだ。
「まったく、被って帰れって言ったのに。カーディガンまで脱ぐってどういうことだよ」
春彦の珍しくきつめの口調に、和雪は熱で赤い顔のまましゅんとした。
「だって、せっかく先輩の匂いがするのに。雨で濡れたりしたら、台無しになっちゃうから」
「おまえな……」
そんな物より体の方が大事だろう。そう叱ってやりたかったが、自分のパーカーを大事そうに抱き締めている和雪を見てしまうと、それ以上責めることもできず春彦は口調を和らげて訊ねた。
「それで、効き目はあったのか?」
「はい。本物の先輩ほどじゃないし、風邪薬のせいもあったかもしれないけど、夕べは良く眠れました」
「そうか、それは良かったな」
自然に手を伸ばして頭を撫でると、和雪は気持良さそうに目を閉じた。まだ高めの体温に痛ましさを覚えながら、春彦はあまり長居をしてもと担任から託された伝言とプリントを手渡して立ち上がった。
「もう、帰っちゃうんですか?」
熱で潤んだ目が引き留めるように揺れていたが、春彦はきっぱりと手を振った。
「とにかく、今は良く寝ることだよ。早く治して、また部室に来い。待ってるからな」
「……はい、今日はありがとうございました。先輩、あの」
「うん?」
「これ、貰ってもいいですか?」
熱のある頬に押し当てながら両手で必死に握り締めている姿に、とてもダメとは言えなかった。それどころか、パーカーの代わりに隣で今すぐ抱き締めてやりたい衝動にさえ駆られて、春彦は慌てて後ろに下がりながらわざと素っ気なく言った。
「好きにしろよ。じゃあまた学校でな」
「はい」
扉を閉める直前の、和雪の笑顔を脳裏に焼き付けながら、春彦はゆっくりと階段を下りて行った。
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