【夏休みのお泊り1】

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【夏休みのお泊り1】

 成績はそこそこ優良な春彦と和雪は補習を受ける必要もなく、終業式だけ顔を出すとお互い何事もなく夏休みを迎えた。駅までの道を歩きながら、和雪が徐に口を開いた。 「夏休みって言っても、先輩は受験だから予定は殆ど勉強ですよね」  どことなくしゅんとしている和雪を微笑ましく思いながら、春彦は頷いた。 「まあ、さすがにな。沢谷は高校初の夏休みなんだから、俺のことは忘れて満喫しろよ」 「……忘れて、なんてできるわけ……」 「ん?」 「何でもないです」  首を振ると、気を取り直したように和雪は春彦を上目で窺った。 「そんなお忙しい先輩に、一つだけお願いがあるんですけど」 「なに?」 「久しぶりに、うちに泊まりに来てくれませんか? 一日で構いませんから」 「それは構わないけど……ご両親は?」 「母がせっついてるんですよ。久世くん、今度はいつ来てくれるのって。だからうちはいつでも歓迎です」  以前、五月の中旬ごろ春彦は和雪に請われて沢谷家を来訪し、和雪の部屋に泊まったことがあった。きっかけは例のパーカーを母親が汚れているからと洗ってしまったことで、意気消沈していた和雪を慰めるためその日のうちに家で着ていたプルオーバーを届けてやったのだが、どうしてもと引き留められてその晩は手料理を振る舞われた挙句に和雪のベッドで眠ることになった。  いつもの添い寝とは違う環境に春彦は少し緊張したものの、和雪は横たわって春彦の上着をつまむとすぐに眠りに落ちてしまい、その穏やかな寝顔につられるように春彦も眠ってしまった。  翌朝、いつまでたっても起きて来ない二人を母親が部屋まで覗きに行くと、シングルのベッドにすっぽり収まる形で寄り添った二人がすやすやと寝ていた。それがまるでかつて二段ベッドの上段に並んで寝ていた我が子二人を見ているようで、「白斗が帰って来たみたい。似てるわけじゃないのに、おかしいわね」と、母は後に和雪にだけうきうきした口調でこっそり語った。  その感想は和雪にとって複雑だったが、春彦が沢谷家で歓待されること自体は悪いことではなかった。母親を味方につけて誘えば、春彦もより来やすいだろうと踏んだ。その読みは当たっていて、春彦はそれならと遠慮がちに承諾した。 「予備校の夏季講習がない日なら、俺はいつでも大丈夫。直近だと土日なら確実だけど」 「じゃあ、今週の土曜で良いですか? 学校で会えないから、できれば昼から来てもらえると嬉しいです」  駅に着いて立ち止まりながら訊ねると、春彦は頷いた。 「うん。それじゃ変更があったら、メールしてくれ」 「はい。先輩は、何もなくてもメールくださいね」  中々メールを寄越さないことをちくりと皮肉られると、春彦は苦笑して肩をすくめた。 「……分かったよ、それじゃ土曜日にな」  和雪の頭を軽くポン、と触ると、春彦は強い日差しの中へ再び一人で帰って行った。その背中をどこか切なげに見送った和雪は、最後に触れられた頭の感触を惜しむように頭に手をやりながら改札に向かった。 *** 「まあまあ、いらっしゃい。寂しかったわー久世くん。もっと頻繁に遊びに来てくれても良いのよ?」 「ど、どうも。お邪魔します」 「母さん、失礼だから」  十二時少し前の太陽が最高潮の時間に、沢谷家を訪問した春彦を母親が満面の笑みで出迎え、圧倒されている春彦を和雪が庇うように母親から引き剥がした。 「先輩、先に部屋に行っててください。俺、飲み物と昼ごはん持って行きますから」 「あ、だったら俺も手伝う。それとこれ……土産のアイス。保冷材入ってるから溶けてないと思うけど、すぐ冷凍庫入れて」 「まーそんな、こちらがお招きしたんだから気を遣わなくて良いのに」  話を聞いていた母親が振り返って手を出そうとするのを、和雪は冷静に阻止した。 「母さんはいいから、それよりお盆出して。本当、騒がしくてすみません先輩。俺一人で大丈夫なんで、先輩は部屋で涼んでてください」  きっぱり言われてしまったので、春彦は大人しく引き下がることにして二階に上がった。廊下は暑かったが、ドアを開けた瞬間に冷気が流れ出てきて、ひどく心地良かった。 (生き帰る……)  思わずほっとすると、ベッドに見覚えのある上着が置かれていることを確認して照れくさいような気持ちになった。あれ以降、和雪の母親との折衷案で定期的に服を入れ替えてから洗濯するのが習慣になったため、どの上着が今こちらにあるのか持ち主の春彦にも時々分からなくなる。今はこれだったっけと改めて納得していると、廊下に足音が近づき、続いてカチャカチャと食器が軽く触れ合う音がした後に扉が開いた。 「お待たせしました、先輩。冷やし中華、嫌いじゃなかったですよね」 「ああ、サンキュ。外暑かったから、冷たいものがありがたいよ」 「先輩ってわりと暑さに弱いですよね」 「冬生まれなのに、おまえは意外と平気そうだよな……」  少し羨ましそうに言うと、気の持ちようじゃないですかねと適当なことを返された。それから二人で冷やし中華を食べると、終わった器を下げた帰りに和雪が春彦の土産のアイスを二つ持ってきた。 「適当に選んできちゃいました。マンゴーとブルーベリーヨーグルト……どっちにします?」 「土産だから、先に選べよ。俺はどっちでも」 「じゃあマンゴーにします。先輩はブルーベリーで」  スプーンと一緒に手渡され、礼を言いながら受け取ってひんやりした一匙を早速口に運んだ。 「はー……夏はやっぱこれだな」 「先輩、せっかくだし一口どうぞ」 「え」  普通にスプーンを差し出されて思わず固まったが、誰が見ているわけでもないことを思い出してぱくりと食べた。独特な果肉の風味が口に広がり、素直に美味しいと思った。 「美味い」 「俺もそっち、一口ください」  可愛らしく口を開けてねだられ、どぎまぎしながら和雪を真似してスプーンを差し出した。 「ん……こっちも美味しいですね」  ぺろりと唇を舐める仕草に何故かドキリとして、思わず目を逸らした。そんな春彦の反応を、和雪は何かを確認するようにじっと見つめていた。
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