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駅は帰省の人々でごった返していた。
この駅がこんなに人ごみであふれるのは、この時期くらいだ。ぼくは父さんとはぐれないよう気をつけながら、人と人の間をすり抜けて進んでいた。
「康明、ちゃんとついて来てるか?」
父さんは時々、ぼくを振り返りながら確認する。迷子になるような歳じゃないよ、と言いたいけれど、この人の多さでは本当に迷子になってしまいそうだ。
「下りのお客様はこちらに整列願います。二列になってお待ちください。次の列車はすぐにまいります」
駅員さんがメガホンを持って声を張り上げていた。これも毎年の光景だ。
「お疲れ様です」
父さんが顔なじみの駅員さんに声をかけた。
「毎年、この時期はこうですからね。慣れてますよ」
駅員さんは笑った。
「それでも、働いている皆さんは大変でしょう。列車だけじゃなく、船も飛行機もこの時期はいっぱいだ」
「そうですね、この時期だけの特別便が何本も出ます。でも、こちらでも働き方を見直そうという動きはありまして。帰省をしない方々の中から、アルバイトを雇っているんですよ」
言われてみると、行き交う帰省客の案内や整理をしている中には、明らかに駅員さんの制服ではない人たちがいる。
(この人たちは、帰る故郷がないんだろうか)
そう思ったのが、顔に出ていたのかも知れない。
「帰れない方も、帰りたくない方もいらっしゃいますよ」
駅員さんは微笑んで言った。
「どちらがどちらをうらやんだり、哀れんだりするものでもありません。人それぞれです。ですが、アルバイトに応募されて来た皆さんは、自分は帰らなくとも他の方々の帰省を手助け出来ることに喜びを感じている方ばかりですよ」
駅員さんの言葉に、ぼくはちょっと恥ずかしくなった。その通りだ、人には人の事情がある。それはぼくがどうこう言うことではないし、言えるものでもない。
列車はなかなか来なかった。駅に集まっている人々も、退屈しのぎにあちこちでおしゃべりをしている。
「今年も暑いですなあ。年々暑くなっているようですよ」
「温暖化の影響ですかね。こっちはそういうのはあまり関係ないと思っていましたが」
「どこもそんなに変わりませんよ。こうして行き来も出来ますし。結局は、どこもつながっているんですよ」
「うちの故郷は、年々人口が減っていましてね。今に、帰っても誰もいなかった、ということになるかも知れません」
「私の村は、何年も前にダムの底に沈みました。毎年、帰省した連中と一緒にダム湖を眺めながら過ごしてますよ」
「うちのところは、私がいた頃とはすっかり様子が変わってしまいました。まるで他の町にいるようで、帰省しても落ち着きません」
「まあ、世の中は変わって行くものですからね」
「これも時代の移り変わりというものでしょうな、きっと」
「あら、あなたは初めての帰省なの?」
「はい。……何もかも嫌になって自分から飛び出した故郷ですけど、それでもお父さんやお母さんが待ってるかと思うと、やっぱ帰った方がいいのかなって。──でも、まだ少しだけ帰るのが怖いんですけどね」
「大丈夫よ。他の人が何と言ったって、ご両親はきっとあなたの帰りを待ちわびてるわ。喜んで迎えてくれるわよ」
「……だと、いいんですけど……」
「康明、切符はちゃんと持ってるだろうな?」
父さんがぼくを振り返って訊いた。
「もちろんだよ」
ぼくは切符を入れた胸ポケットをそっと押さえた。この時期だけ発行される、特別往復乗車券だ。これを失くしたら、戻れなくなってしまう。
毎年、何人かは帰省したままこちらに戻って来ない人がいるのだという。気持ちはわからなくともない。帰省したら懐かしい顔にもたくさん会えるし、何よりも楽しい。でも、その楽しさは限られた日数だけ帰省出来るからで、居座ってしまったらそれはそれで面倒なこともあるだろう。
だから、ぼくは名残惜しくても必ずこちらに戻って来る。みんなとも、絶対会えなくなるわけでもない。そのうち必ず会える日が来る。それがわかってるから、少しだけ我慢するんだ。
「皆様、お待たせいたしました。ただいま、特別列車が到着しました。列に並んでいる方から、係員の指示に従って順番に乗車をお願いいたします」
アナウンスが聞こえた。乗客たちが少しずつ動き出し、列が進んで行く。
「たのしみだなー!」
列のどこかから、幼い子供の声がした。
「ぼく、かえったら、パパとママにあうんだ!」
改札を抜け、父さんと一緒に空いている座席に座る。しばらくして、ポォー、と汽笛の音がした。この列車は別に蒸気機関車ではないのだが、気分を出すためにそれらしい装いをしている。客車や座席の作りも、どこかレトロなデザインになっていた。
「発車しまーす」
車内アナウンスが告げる。がたん、というわずかな振動とともに、列車はゆっくりと動き始めた。徐々にスピードを上げて行く。
「母さん、元気かな」
もうじき会える母さんの顔を思い浮かべながら、ぼくは言った。
「去年行った時には、そろそろこちらに来る用意を始めようかと言ってたぞ」
「母さんが? まだ全然来るような感じじゃないだろ」
「だからさ。元気なうちにいろいろ用意しておくんだとさ、いきなり何かあっても困らないように。……孝子さんや晃にもいらん手間をかけさせたくないんだろう」
孝子と晃。その名前を聞くと、今でも胸が痛む。いきなり大黒柱がいなくなって、苦労をかけさせてしまった。
「帰ったら、すぐに孝子さんたちの顔を見に行くんだぞ」
「わかってるよ」
これは毎年、帰省のたびに繰り返される会話だ。言われなくても、ぼくは真っ先に孝子と晃の元に行くのだけれど、父さんは父さんなりに孝子と晃のことを気にかけているのだろう。──ぼくが、思ったより早くこちらに来てしまったせいで。
列車は駅を出てすぐに鉄橋に入った。これから、広い河を渡るのだ。隣の道路には同じように帰省の乗客を乗せたバスが走っている。河には船が、空には飛行機が。中には、昔ながらに馬に乗った人までいる。人それぞれだ。
レールの向こうに灯りが見えた。迎え火や灯籠、提灯など、あちらの人々が目印として灯している灯りだ。ぼくらにとっては、何よりも美しい光だ。列車はそちらに向かってひたすらに走る。
懐かしい人々の顔を思い浮かべながら、ぼくは一心にその光を見つめていた。
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