4.私と涼音さんの『ヨリモ深い』関係

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4.私と涼音さんの『ヨリモ深い』関係

 涼音さんとの約束の日、駅で待ち合わせて一緒に買い物をした。  何が食べたいか聞かれたので「カレー」と答えると、煮込み料理は無理だと断られた。 「それじゃ、唐揚げ!」  そう言うと「小学生みたいね」と言って涼音さんが笑った。  やっぱり笑った顔は泣いた顔よりもきれいだと思う。  涼音さんといると普段より子どもっぽくなってしまうようだ。ホームシックだから涼音さんを母親のように見ているのだろうか。  いや、母親にもこんな態度はとらない。  大学にいるときのように、無理して背伸びをする必要がないから、逆に子どもっぽくしてしまうのかもしれない。  子どもっぽい私の言動に涼音さんがあきれたように笑う、そんなやり取りが心地いい。  涼音さんが住んでいるマンションは想像よりもきれいでびっくりした。室内は片付いているというよりは物がないという印象だった。  マンションが賃貸ではなく分譲だと聞いてもっと驚いた。  料理は「ある程度できる」というより「かなりできる」と感じる。  横からのぞき込んであれこれと質問をする私に、涼音さんは苦笑しながら一つひとつきちんと答えてくれた。  そして出来上がった料理はどれも本当においしかった。  将来を見据えてマンションを買い、私の質問にも丁寧に答え、料理だって手際よく作ってしまう。  二十年の年の差はこれほどまでに違うのだろうか。でも、私が涼音さんの年になっても、涼音さんのような大人にはなれないような気がする。  だから食事も終盤に差し掛かったとき涼音さんに聞いてみようと思った。友だちにも家族にも聞けないことだ。 「突然、こんなことを聞くのもなんなんですけど……エッチって気持ちいいですか?」  涼音さんは口に含んでいたビールを吹き出しそうになり、慌てて手で口を押える。 「いきなり、ビックリしますよね。えっと、あのですね。彼氏がいるんですけど……」  自分で口にした「彼氏がいる」という言葉にチクリと胸が痛む。 「あんまりエッチしたくないなー、って。慣れてないからかもしれないけど、気持ちいいとかなくて。だから……」 「あのね」  涼音さんの表情が曇る。少し怒っているようにも見える。やはりこんな話題を出してはいけなかったのだろう。もう、涼音さんと楽しい時間を過ごすことができなくなってしまうのだろうか。 「年上だからって何でもかんでも熟知していて、適切なアドバイスをあげられるわけじゃないのよ」 「変なこと聞いてすみません。友だちには言いにくくて」  言い訳をしてみたが、涼音さんの表情は変わらない。  涼音さんが大人だから、涼音さんがやさしいからと甘え過ぎたのだ。後悔をしても時間は戻らない。  だが涼音さんはきちんと答えてくれた。 「私もあんまり経験が多いわけじゃないから。それに、セックスは好きじゃなかったし」 「そうなんですか?」 「あの頃は、この世から消滅すればいいと思ってたわね」 「そのときは、どうしていたんですか?」 「手と口の技術を磨いてさっさと終わってもらえるようにしてたわね」  涼音さんもエッチをしたくないと思っていたと知って少し安心した。私だけがおかしいわけではないのだ。  私の問いに正面から答えてくれたのもうれしかった。  それなのに涼音さんが私の知らない男とエッチをしていたことを想像すると、心にザラザラとした不快な感覚が押し寄せる。  自分から聞いたのにもう聞きたくなかった。 「セックスは身体だけじゃなくて頭でもするものだから、嫌だと思ってると余計に苦痛になるわよ」 「えー、どうすればいいんですか」  私は自分の中のザラつく気持ちを知られないよう、わざと軽い口調で聞き返す。 「そのことを相手にも伝えて、どうしたら気持ちよくできるか、試してみればいいんじゃない?」 「なんか、恥ずかしいですね」 「あとは、オナ……」 「ん?」  涼音さんの頬が赤く染まった。 「オナニーで、自分が気持ちよくなるところを把握してみるとかね」  目を逸らしてそう言った涼音の頬はますます赤くなる。  私はちょっと意地悪をしたくなった。 「オナニーですか。……涼音さんもするんですか?」 「す、するわよ」  照れる涼音さんの姿に胸が高鳴る。官能的な涼音さんの姿を思い浮かべて私は興奮していた。 「オナニーって、どうやって……」 「あー、もうおしまい。あとは自分で考えて」  涼音さんに話を打ち切られて私は我に返る。  私はどうしてしまったのだろう。  涼音さんは頼りになる大人で、一緒にいて楽しい友だちのような人で。だから性的な話に驚いて興奮してしまったのだろうか。  私は、その答えを導き出すことができなかった。 +++  涼音さんに「今日、遊びに行っていい?」とメッセージを打つと、「また?」と返事が来る。それでもすぐに「食材、何もないからご飯つくってあげないよ?」などとメッセージが入るから、本当に嫌がられてはいないのだろうと思う。  週に一回は涼音さんの部屋に遊びに行っている。多い時は週三回。 それに「泊まらせて」と言えば「仕方ないわね」と言いながら、私用のパジャマを用意してくれる。  本当は毎日でも行きたいが、さすがに迷惑かもしれないと何とか抑えている。  涙を見せた日から涼音さんは私がバイトをしているコンビニの利用を避けていたという。だが、一緒に食事をしてからはコンビニに買い物に来てくれるようになった。  ただ、私がちょくちょくご飯を食べに行くようになって自炊することが増えたようだ。だから、コンビニで買うものが雑誌やコーヒーに変わった。たまに、私が好きなデザートを二個買っていくこともある。  どうやらコンビニで買い物をする必要がなくても、私がバイトをしている姿を見かけると寄ってくれるようだ。  涼音さんが持ってきた商品をレジに通しながら、小声で「バイト上がりに行ってもいい?」なんてやっていると、なんだかラブラブのバカップルっぽくてニヤけてしまう。  涼音さんの家に行くのは涼音さんと一緒に過ごす時間が楽しいからというのが理由のひとつだ。もう一つの理由は生田さんと会う時間を減らすためだ。  私は涼音さんに言われた通り、やんわりとエッチが苦痛だということを伝えた。  すると「そうか、明日菜はオレがはじめてだもんな。大丈夫、慣れてないからだよ。オレに任せて」とうれしそうに言った。  それ以降、エッチの頻度が減るどころか、より頻繁に誘われるようになってしまった。  どうして理解してくれないんだろう。  エッチがなければ生田さんのことは嫌いではないのだ。それなのに会うたびにエッチを求められ、顔も見たくないと思うようになってきていた。  涼音さんは「この世から消滅すればいいと思ってたわね」と言っていたが私もまさにそんな気持ちだった。  涼音さんの言っていた「手と口の技術」も試してみたが、生田さんは余計に張り切ってしまった。  きっぱりと別れようと心に決めてバイトを終えると、コンビニの前に生田さんが立っていた。  立ち話で終わりそうな話ではない。仕方がないので、私のアパートに場所を移した。  別れ話をどう切り出せばいいんだろう。そもそも、別れ話をしようというのに部屋に入れたのは間違いだっただろうか。そう考えていたとき生田さんが言った。 「お前、浮気してるだろ」  そう言われて一瞬涼音さんの顔が脳裏に浮かぶ。 「浮気なんてしてないよ」  口にした後、浮気していると言った方がすんなり別れられただろうかと後悔する。でも、相手は誰だなどと根掘り葉掘り聞かれるのはごめんだ。  少なくとも涼音さんとの関係をこの男に踏み荒らされたくはない。 「お前、最近キレイになったもんな。それも浮気相手のためなんだろ」  生田さんが「お前」と呼ぶのが気にかかった。これまで私のことを「お前」と呼んだことはない。 「師匠に化粧を教えてもらったの」 「そんな話信じられないな。オレと会うのをずっと避けてたじゃないか」  確かに避けていた。  だから浮気をしているとなるんだろうか。自分が避けられるようなことをしたとは考えないのだろうか。 「それに、お前しょっちゅう家を留守にしてるよな」 「は?」 「気になって何度か見に来たから分かってるんだ。別の男の所に行ってたんじゃないのか」  男じゃなくて涼音さんの部屋だ。でもそれを説明するつもりはない。 「わざわざウチを見張ってたの? それってストーカーじゃない?」 「違う、オレはお前のことが心配で」 「心配? 違うよね? 浮気されてフラれるのが嫌なだけだよね」 「違う。オレはお前のことを大事にしてただろ!」 「私、ちゃんと言ったよね。エッチが辛いって。エッチしたくないって。それなのに、「大丈夫」とか何の根拠もない自信で、無理やりエッチし続けたでしょ。正直、うんざりだったの。もう、本当に勘弁してほしいの」 「なんで? 良かっただろ? オレはお前も良くなると思って」  どうして「良かった」と思えるんだろうか。もういい。もう終わりにするのだから取り繕う必要なんてない。 「あんたが良かろうが、私はイヤだったの」  さて、次はどんな反論をするんだろう? と身構えていると生田さんがポロポロと泣きはじめた。  泣くとは思っていなかったのでさすがに驚いた。驚いて潮が引くように冷めていく。 「オレ、お前が喜ぶと思って」 「それ、独りよがりだから」 「オレのどこがダメだったんだ」 「その独りよがりのところかな」 「お前だって気持ちよさそうだったじゃないか」 「その目、腐ってるの?」  三つ年上の生田さんのことを私よりずっと大人だと思っていた。  大人が泣く姿はあまり見たことがない。  涼音さんの涙を見て以降、はじめてのことだ。  涼音さんの涙はきれいだと思ったのに、生田さんの涙にはげんなりする。同じ大人の涙でも違うものだな、と思いながらぼんやりとその姿を眺めていた。  すると生田さんが豹変した。 「なんだ、このブス。ちょっとやさしくしたからっていい気になってるんじゃねぇぞ!」  男の人が怒声を上げるのはさすがに怖い。だがここは引けない。引いたらまた同じことを繰り返すだけだ。 「そうだね。こんなブスと付き合ってる必要ないでしょう。さっさと別れようよ」 「当たり前だろ、お前のことなんて飽きてたんだよ。せいせいした。これで明子とちゃんと付き合える。浮気なんてお前だけじゃないんだよッ」  明子という女性が実在しているのか妄想なのかは知らないが、ご愁傷様という言葉を贈りたい。  それにしても自分も浮気していたと宣言するのはどういった心境なのだろう。  まだ何か言いたそうだったが、最後に「バーカ」と言い捨てて生田さんは部屋から出て言った。  ホッと息をつき玄関の鍵を閉めると急に震えが出始めた。  私は血の気の引いた体を温めるためにお風呂に入る。  お風呂から出て冷静になると急に不安が押し寄せてきた。今にも生田さんが血相を変えて玄関から入ってくるような錯覚に襲われる。  今日は帰って行ったがどこで気が変わるか分からない。もしも腕力で押さえつけられたら抗うことはできない。  私は最低限の荷物だけ持って部屋を飛び出した。  曲がり角や電柱の影から生田さんが現れるかもしれないと思うと怖くて仕方がなかった。  はやく安心できる場所に行きたかった。  マンションに着くと辺りを見渡して人の気配がないかを探る。  マンションを見上げると涼音さんの部屋に明かりが見えた。私はホッとして、涼音さんの部屋に向かった。 「どうしたの?」  私の様子に涼音さんが目を丸くする。 「しばらくかくまって」 「だから、どうしたの?」  どう説明すればいいのだろう。あまり心配はさせたくない。 「実は、彼氏がキレて」 「喧嘩?」 「喧嘩というか、私が浮気をしているんじゃないかと疑われたというか」 「浮気、してるの?」 「してませんよ。してないと思いますよ?」 「なぜ疑問形なの?」  なぜ疑問形なのだろう。私は浮気をしたつもりはない。だけど、生田さんから見たら、浮気をしているのと同じに見えるのではないかと思った。  心を占める比重ならば、生田さんよりも涼音さんの方が断然に高いのだから。  そう考えながらエッチがきっかけで会わない日が増えたことを伝えた。 「それで、避けられてるのは浮気しているからじゃないかと思われたのね」 「最近きれいになったのは、男ができたからだろうとも言ってたけど」  きれいになったというのなら、それは男のせいじゃないけれど、涼音さんのおかげなのは間違いない。涼音さんにねだって化粧を教えてもらったのだから。 「師匠がいるって言ったんだけど、信じないんし」 「あと、どうやら彼、ウチの周りを見張ってたらしくて」  涼音さんと話しているうちに気持ちが落ち着いてきた。  どうしてあんなに怖いと思ったのか忘れてしまうくらいに涼音さんの側は安心できる。  生田さんが腕力にものをいわせたら、私と涼音さんが二人掛りでもどうにもならないだろう。それは分かっているのになぜだか安心できた。  涼音さんの側にいると私の心が強くなるような気がする。それはとても不思議な感覚だった。 「それで、いつもアパートに帰らずにどこにいるんだってキレちゃって」 「そのことに心あたりはあるの?」 「うん。涼音さんのウチでご飯を食べてゴロゴロしてる」 「それは、説明すればいいんじゃないの?」  涼音さんのことをあいつに教えたくない。  私は冷静になった頭で別のことを考えていた。それはどうしたら長く涼音さんの家に居続けられだろうということだ。  別れたことを伝えてしまったら二、三日様子を見て、あとは元の関係に戻ってしまう。  だからまだ別れられていないと装っておいた方がいい。 「いやぁ、これを機に別れちゃおうかなと思って。でも、今は頭に血が上ってるみたいだから。そんなわけで、責任をとって、涼音さんがかくまってください」  涼音さんは頭を抱えている。でもこの人はきっと断らない。 「本当に、それで彼とうまく別れられるの?」 「大丈夫だと思うけど。いざとなったら、涼音さんと付き合ってるってことにするから」  今の言葉を涼音さんがどう感じているのか、表情からは読み取れない。ちょっとくらいドキッとしてくれればいいのに。  だからもう一歩踏み込んでみる。 「多分、男のプライドってやつ? だと思うんで。エッチがうまくいかなかったのも、浮気も、私がレズビアンだから仕方なかったって思えれば、あきらめるよ」 「そんなに簡単にいくかな?」  やっぱり踏み込みが足りないのだろうか。どこまで踏み込むことができるのだろうか。 「あ、そうだ! いっそのこと、私、ここに住んじゃおうかな?」 「は?」  涼音さんの表情が少し変わる。 「ルームシェア。ここ、居心地がいいし、二人で食べた方がご飯もおいしいし」  ルームシェア、いい言葉だ。  もしも「同棲しましょう」と言ったら、一発でレッドカードだろう。でもルームシェアなら悪くてもイエローカード止まりだ。その裏に別の意図を隠していても。 「家賃もちゃんと払うよ。涼音さんにとってもいい話でしょう?」 「確かに、家賃はちょっとありがたい」 「ね、そうしよう!」  涼音さんが押しに弱いことはもう知っている。ここまで言えばもう断らないだろう。 「でも、涼音さんと私の関係って、なんなんでしょうね。友だちって感じじゃないし」 「友だちじゃないの?」 「うん。仲良しだと思うけど、友だちって言われるとちょっと違うかな。ほら、学校の先生とどれだけ仲良くしても、友だちにはなれない感じ?」  そう、友だちじゃない。友だちになりたくなんかない。涼音さんに友だち認定されないように先手を打っておく。 「すごく頼りになるけど、お母さんって感じでもないよね」  すると涼音さんがあからさまにホッとする表情を見せた。  そして私が次の言葉を問いかけようとしたとき、涼音さんの方が先にそれを言葉にした。 「それじゃ、恋人は?」 「あー、恋人って感じもないですよね」  即答してみせる。  だってその質問は私がしようと思っていたものだから動揺したりはしない。  今はまだ早い。  涼音さんが私に好感を持っていることはわかってる。でもそれは恋愛ではない。  今それを口にしてしまったら、涼音さんは逃げてしまうような気がした。  涼音さんは少しがっかりした表情を浮かべている。「恋人じゃない」と言ったことではなく、私が驚いて慌てる姿をからかえなかったことを残念がっているのだろう。  だから逆に涼音さんを慌てさせることにした。 「でも、チューくらいならしてもいいかな」  そう言って涼音さんに顔を寄せて触れるか触れないか程度のキスをする。  涼音さんは耳まで真っ赤になって手をバタバタと振り回した。  あまりにかわいらしいので思わずニヤけてしまう。  これでいい。  今はまだ、友だちでも、家族でも、恋人でもない関係でいい。  私がこうして側にいれば涼音さんは他の人と恋をしたりはできないだろう。  こうして近くで見張りながら一歩ずつゆっくりと距離を縮めていこう。  そしていつか、友だちよりも、家族よりも、恋人よりも、深い関係を築き上げるんだ。      おわり
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