第四章 春の嵐

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 るんるん気分で神社へと帰る。  空には雲ひとつない。風もない。 「湖面が真っ平らだ」 「さざ波ひとつないなんて、初めて見るね」 「波の音がしないと、ちょっとしずかすぎるかも」 「……ま、とにかく嵐を鎮めたって、はやくみちるさんに知らせなきゃ!」  と、階段をのぼり、鳥居にたどり着いたところで。  ぐらり、と世界がゆれた。 「地震!?」 「いや」  のどかは静かな声で言った。 「地面がゆれた感じじゃなかった」 「じゃあ何がゆれてるっていうの?」 「……空気?」  と、のどかは自信なさげにそう答えた。  でも、その答えはわたしにも納得のいくものだった。  ぐら、ぐらり。 「わっ!」  にわかに突風がふいた。  風がみずうみの上でうずを巻き、天にのぼっていく。  そして一気に積乱雲ができる。  真夏の入道雲のような、高くて重そうな雲が、天をつく。 「これって、もしかして」  真っ黒な雲からみずうみに落雷。 「きゃっ!」  風が絶えまなく吹いていく。 「これ、まずいわよね!」 「神気は見えないの?」 「見えてるけど!」  そこらじゅうに神気があふれている。  結び目もあちこちにあるし、空の上にはひときわ大きな神気のかたまりがぐるぐると渦まいている! 「こんなの御解ししようがないよ!」  と、そのとき。  ぽろろろん、と琵琶の音が響いた。  鳥居のかげから、金髪色黒のお姉さんが現れる。 「妙にさわがしいと思ったら、犯人はしずかちゃんでしたか」 「犯人って。むしろわたし、鎮めたほうですよ!」 「それが問題なのです」  と、お姉さんが琵琶を鳴らす。 「本当ならさっきの嵐で神気のエネルギーがいい感じに発散されるはずだったです。それが溜めこまれて、今や爆発寸前なのです」 「嵐は起きたほうがいいってことですか?」 「時と場合によるです。嵐は起きるほうが自然なのです。空気のストレス解消ですよ」 「なるほど。……というか、何でお姉さんそんな詳しいんですか? ひょっとして神仕えの一族? わたしたちの親戚? のどか、知ってる?」  隣を見ると、のどかは不思議そうな顔をしている。 「しずか。さっきから誰と話してるの?」 「誰って、そこのお姉さんよ」  わたしが指さす先を見たのどかは「そこ?」と首を傾げた。 「こらこら。感心しませんね。神さまを指さしてはいけないのですよ」  お姉さんが、不意にとんでもないことを言い出した。 「……え?」 「自己紹介が遅れましたです。ぼくは姫神神社の主祭神、市寸島比売命と申しますです」  お姉さんがぺこりと頭を下げた。 「あ、どうもごていねいに」  と、わたしも頭を下げる。 「えと、神さま? 姫神さま? 神さまなのってマジですか?」 「マジですよ」  えええええ!  この不良中学生のお姉さんが、神さまって!  っていうか神さまっているの? 見えるの? 不良なの?  今、わたしの信仰心が試されている。 「さて、それじゃうちの子の不始末を片づけますですかね」  姫神さまはそう言って琵琶に撥を当てた。  ぽろろん、ぽろろろん、と優しい音色がひびく。 「この音、何かに似てるような?」 「さざ波の音だね」  と、のどかがつぶやく。 「聞こえるの?」 「うん。しずかでいい音だね」  姫神さまの演奏が続く。  引いてはかえし、押しよせては戻り、ちゃぷちゃぷ、さらさらと決まったリズム。  淡海町に来てから、昼も夜もずっと聞いている音色。  しずかなうみの音。  と、あたり一面を覆いつくしていた神気が少しずつ薄くなっていく。  風は弱まり、みずうみの上にそびえ立っていた黒い雲も、綿あめが溶けるように消えていく。  ぽーん、と姫神さまが奏でた旋律の余韻が消えるころには、もう空は青くなっていた。  風がそよそよと湖面にさざなみを残していく。 「荒ぶるでもない。凪ぐでもない。これをしずかというのです」  姫神さまはそう言って琵琶を弾く体勢をといた。 「覚えたかしら」  頭に手の置かれる、あの感触がした。 「ぎゃあああああ!」  まちがいない! この握られぐらいはみちるさん! 「大事なことだから、脳みそにすりこんておきなさい」 「ぎゃあああああ!」  しずかな空に、わたしの悲鳴だけが響きわたった。
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