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1.きっかけ
「遠野くんが好きです」
――遠野くん。それは朔哉のことだ。
遠野朔哉は俺の幼なじみ。恥ずかしくて言葉にしたことはないが、大切な存在だと思っている。
朔哉に言われるまま昇降口で待っていたが、小雨がぱらぱらと降ってきたことに気づいて、また階段を上がり教室に戻ってきた。もう梅雨は明けたはずなのに。
自分の机に入れていた折り畳み傘を回収し、朔哉はなにをしているのかと隣の教室を覗こうとして、聞こえてきた声に体が固まった。
「私を彼女にしてもらえませんか」
まだ入学して三ヶ月程度しか経っていないのに告白されるなんて相変わらずだ。しかし朔哉は誰に告白されても受け入れることはなかった。十六にもなって初恋もまだらしい。
「ごめん。好きな人がいるんだ」
朔哉の声がそんなことを言った。盗み聞きの罪悪感なんてどこかへ吹き飛ぶ。
好きな人がいるなんて聞いていない。全身の毛穴がぶわ、と一気に開いていくのがわかった。
「そうなんだ。この学校の人? もしかして同じクラス?」
俺も知りたいことを質問してくれる、その声には聞き覚えがあった。
隣の、朔哉と同じクラスの、確か城戸とかいうきれいな子だ。肩の上で切り揃えた黒髪が脳裏に浮かぶ。
「それは内緒」
朔哉は優しく答えるが、そんなんじゃ納得できない。それは城戸も同じだったようで。
「その好きな人とはうまくいきそうなの?」
「いや、片想いだよ。もうずっと前から」
「遠野くんに振り向いてやらないなんて、どんな子かしら。気になるなぁ」
ずっと前から片想いをしている?
そんな話は聞いてないし、素振りも見せていない。俺が鈍感なだけだろうか。
それとも告白を断るための嘘だろうか。そっちのほうが現実的な気がする。朔哉の口から女子の話題が出ることなんてほとんどなかったから。
「なら、好きな気持ちは簡単にやめられないってわかってくれるよね? 私、諦め悪いんだ」
「それはわかるけど。どうして俺なの? 城戸さん、もてるのに、もったいないよ」
「まあ、最初はぶっちゃけ顔だったわよ」
正直な発言に、逆に好感度が上がってしまいそうになる。
「遠野くんは優しいよね。態度も話し方も。周りのことをよく見てるし。誰にだってそう。そんなところが好きで、嫌になった。私だけに優しくしてくれたらいいのにって思っちゃった」
好きになると独り占めしたくなる。頭では理解できても、実際にそうなったことがないからピンとこない。いつか理解できる日がくるのだろうか。
俺は音をたてないように注意しながら、その場を離れた。
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