1.きっかけ

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「お邪魔します」  そう言ってこの家に上がるのは、もう何度目なのか数え切れない。  玄関の靴箱の上には、ネズミのテーマパークで買ったグッズたちが所狭しと並んでいる。おばさんの趣味だ。 「アイスしまってくるね。エアコンつけといて」 「わかった」  キッチンへ向かう朔哉を見送り、俺は二階へ上がる。  家族の人たち、おじさんもおばさんも姉の凛子(りんこ)さんも仕事で不在だ。最近は朔哉が夕飯を作る日もあるらしい。  階段を上がって右側にある朔哉の部屋は日当たりがよく、一階よりも蒸し暑さを感じた。リュックを下ろし部屋の隅に置かせてもらう。  いつ来てもすっきりと片付いていて、白で揃えてある家具が爽やかだ。壁際にベッド、真ん中にローテーブル、反対の壁にはテレビ台。あとは収納棚がいくつかあるだけのシンプルな部屋だ。  ベッドとテーブルの間にはミントグリーンのかわいらしい座椅子が置いてある。ここが俺の定位置。俺専用。朔哉はベッドに座るか寝っ転がっていることが多い。  テーブルに並んでるいくつかのリモコンの中から白いのを手に取り電源を入れる。そして座椅子に腰を下ろした。落ち着く。よその家なのに、帰ってきたなという気がする。 「お待たせ。テレビつけないの?」  二階へ上がってきた朔哉は、氷を入れたグラスと飲み物、お菓子をいくつか乗せたトレーをテーブルにそっと置いた。 「つけるか。なんもやってないけどな」 「そうなんだよねー。配信の映画でも見る? なんかいいの出たかな」  呟きながらベッドに腰掛けると、テーブルの黒いリモコンを操作して動画配信サイトにアクセスする。めぼしい作品がなくて悩む朔哉には悪いが、正直今は何を見ても内容が頭に入ってこないだろう。  さっき会話がまだ頭の中をぐるぐるとまわっていた。 「そんなに気になる? 俺の好きな子」  プチン。突然テレビの画面と音声が消えた。黒くなった液晶に二人のぼやけた姿が映る。  座椅子に座る俺の背後から手を伸ばし、朔哉はリモコンをテーブルに置いた。 「俺に彼女できたら嫌だな、とか思う?」  急に呼吸がし辛くなって、心臓の動きまで早くなる。体が動かない。振り返るのが怖い。聞こえるのはエアコンの作動する音だけ。  朔哉と二人で恋愛の話なんてしたくない。 「俺は嫌だよ。総一朗に彼女できるの」 「……なんで」  なんとか声を絞り出すが、いつの間にかカラカラに乾いていた喉からは、風邪をひいたときのような変な声が出て、朔哉は小さく笑った。 「ジュース飲もっか」  そう言ってベッドから降りると、レモン味の炭酸飲料のペットボトルを開けてグラスに注いだ。炭酸の泡がシュワシュワと弾け、グラスの氷はカランと夏の音色を奏でた。
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