第四章 六桁

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第四章 六桁

 二月。空の色は紅です。風はありません。  しかし体育器具庫の裏は寒いです。  コートの前を閉めます。  器具庫の向こう、グラウンドから若い声が漏れ聞こえます。  煙草が短くなりました。踏みつけて火を消します。  窓から覗きます。器具庫の中は暗いです。  窓際に人がいます。  和葉さんです。  器具庫の壁が震えます。重い金属音が響きます。  入り口に人影が現れます。夕陽を背負っています。  秀人くんです。  微かに人の声が聞こえます。くぐもっています。  窓を開きます。ゆっくりと。静かに。 「お待たせ」 「ううん」  秀人くんと和葉さんが言葉を交わします。 「来てくれてありがとう。はっきり確かめたかったの」  和葉さんの声がいつになく明瞭です。 「わたしを特別にはできないんだってこと。ちゃんと言ってくれたら、ちゃんと諦められるから」  お腹から声が出ています。勇気の賜物です。  秀人くんの体腔にまで響いていることでしょう。 「僕、今まで気づいてなかったんだ」  悲痛な声です。 「僕は普通じゃないから、きっと君を傷つける。だから今のままでいればいいんだと思ってた。言い訳にしてたんだ。変わらないことが人を傷つけるなんて、考えもしなかった」  和葉さんが首を振ります。括った髪が左右に揺れます。 「一緒に傷つこうよ」  真剣な言葉です。気持ちのこもった声です。  秀人くんは黙り込みます。  しばし後、秀人くんがその名を呼びました。 「美桜ちゃん」  和葉さんは秀人くんの上履きに手紙を仕込みました。美桜さんと同じレターセットで。字を似せて。 「秀くん」  和葉さんは声を似せました。顔の形が同じなのです。出し方が同じならば同じ声が出ます。  秀人くんが前に進みます。  二人の距離が零に漸近したところで、秀人くんは動きを止めました。 「和ちゃん、なの」  和葉さんの肩が震えます。 「何で分かったの」 「だって、笑い方が、」  和葉さんが飛びつきました。  無理やり顔を押しつけます。  秀人くんの全身が固まります。  初めてはさくらんぼ風味でしょう。  器具庫の入り口に人影が現れます。  肩までの髪を括ったセーラー服の少女です。 「和ちゃん」 「お姉ちゃん」  窓の隙間からすすり泣く声が聞こえます。
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