先ずは、敵を知るべし

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先ずは、敵を知るべし

 かくしてアカリは、一番見られたくない場面を見られた相手と同じゼミに所属することになった。  倉橋ゼミの新入生は三人。  アカリと蒔苗の他は、(たき)百合子(ゆりこ)という女子学生がいる。四年生は四人。男女半々でうち一人はシンガポールからの留学生だ。  来週にも歓迎会が行われる予定になっているが、何度かゼミに体験参加したことのあるアカリは既に全員と顔見知りだった。百合子も飲み会や同じ講義で顔を合わせることが多く、すでに見知った仲。というわけで、唯一の正体不明な相手が、よりによって蒔苗だったりする。  教授室前の廊下で出くわしたとき、アカリは逃げるように倉橋教授の部屋に飛び込んだ。あまりに動揺して前日の失礼な態度を責めることも、あらぬ場面を見られたことを口止めすることも、すっかり頭から飛んでしまったのだ。  だがしかし、このままにしておくわけにもいかない。アカリのような隠れゲイにとっては、望まぬところで性志向を公表されること——アウティングこそが最大の脅威だ。  少しずつ世の中の理解が進んできているとは言われるが、生まれてこの方そういう場所や出会い系サイト以外でお仲間に出会ったことはない。  割り切ってLGBTを商売道具にテレビに出ているような人々は極めて特殊な例だし、自分の性に自信を持ってプライドパレードに参加しているような人々もアカリにとっては遠い別世界の住人だ。  決してゲイだとばれてはいけない。世に紛れて、ごくごく普通の生活をしたい。そんなささやかな希望を叶えるだけでも、アカリにとっては日々の努力と注意が必要だ。 「にも関わらず、あの野郎!」  思い出すと再び怒りがよみがえる。  俺の平穏な生活を脅かしたどころか、さも気持ち悪そうにゲロ吐くなんて。  あんな性悪(しょうわる)そうな奴なんだから、放っておいたら面白おかしくあの日の話をばらまかれてしまうかもしれない。いや待て、もしかしたらそういう話をするような友達もいない孤独な奴という可能性もある。  だったらいいな。いや、きっとそうだ。何しろ同じ専攻同じ学年のアカリがこの二年間まったく気づかなかったくらい蒔苗は存在感がないのだから。  悶々と眠れぬ夜を過ごした挙げ句の結論は「まずは敵を知ること」。アカリはさっそく同じゼミに所属することになる滝百合子に電話をかけた。
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