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第13話 夕日の決闘
『モトヒコ!』
「モトヒコ君!」
『モトヒコ!』
「モトヒコ君!」
あの声はイクミちゃん?……そしてもう一人の声はリトル?……そうだ、リトルだ。2人ともボクの名前を呼んでる。いったい、どうしたんだろ?
頭の中のもやもやが晴れるにつれて、目の前に、もくもくと発煙筒の煙を吐き出しているトラックが見える。しかもドアが開いたトラックは傷だらけで横倒しになっている。
「イクミちゃん……」
「リトル……」
ボクの顔を心配そうにのぞき込む2人の顔を見た途端、すべてを思い出した。
「よかった!」
思わず涙ぐんだイクミちゃんに、リトルは『火事場の馬鹿力だったね』と微笑みかける。でも久し振りに姿を見せてくれたリトルは、とても疲れているように見える。
イクミちゃんにトラックから引きずり出されて横たえられていた草地から立ち上がったボクは、リトルの顔を改めてまじまじと見た。言葉が出てこなかった。それでも、やっと口を開くと「リトル」とつぶやくような一声をしぼり出せた。リトルは照れくさそうに、はにかんだ。
今度こそ言える。今だから言える。たった今まで溜めてきたものが、その言葉がボクの口から出かかった瞬間、パーンという鋭い銃声がリトルの体を貫いた。
*
驚いた3人が振り向いた先に銃を構えた黒背広がいた。片手で頭を押さえ、ふらふらとボクたちに近づいてくる。
「なんなんだ、お前は?……」銃がリトルに向けられている。「向こうが透けて見えるじゃないか。お前は幽霊か、それとも幻なのか……」
『そんなものじゃないよ』
「だまれ!」
銃が再び火を吹き、リトルの体を通り抜けた銃弾が地面に当たってパッと土くれを吹き上げた。
「やはり、幻だな……。そうか、わかったぞ。私の部下たちを惑わせたのも、これだったんだな」
そのとき、黒背広の側に大きな2匹の犬が現れた。犬たちは威嚇するようにウーッとうなっているが、黒背広は平然と犬たちを無視した。
「ふん。私は部下たちのように惑わされはせんぞ」
「悪いことは、もうやめなよ」とボク。
「なんだと?」
『そうだよ。あなたの友だちも、きっと悲しんでるよ』
いつの間にか、リトルの姿が外国人の少年のそれに変わっていた。所々、穴の開いた古びた服をまとった、やせ細った少年の姿に。
「ば、バカな……」
黒背広の陰気な表情がひきつった。そして彼が一歩後ろに退くごとに、リトルは二歩前進した。見知らぬ少年の姿を借りたリトルと黒背広の距離が縮まった。黒背広は顔色を失い、かすかに震えているように見えた。そんな黒背広にリトルはドロだらけの手をゆっくりと差しだした。
「や、やめろ……」
『昔は、そんなじゃなかったろ』
「やめろ。そんな目で私を見るな……」
『さぁ、そんな危ない物は捨ててくれ。ぼくらは友だちだろ。また、いっしょに遊ぼう』
「『友だち……』だと?」
『そうだよ』
「だったら、どうして私にウソをついたのだ。お前だけ、どうして先に死んでしまったのだ。貧しくても、兄弟のように、いっしょに生きていこうと誓い合ったではないか!」
後退がぴたりと止み、黒背広の顔は赤黒く歪みはじめた。
「よくも……」黒背広は怒りのために声もしわがれ、体も震えている。「お前は……よくも私に、こんなものを見せてくれたな」
銃の引き金が引かれそうになった時、2匹の犬が黒背広に躍りかかった。幻だと思っていた犬たちに襲われた黒背広は驚きのあまり、反撃もままならずに服をぼろぼろにされていく。でも、黒背広の怒りはこんなことでは収まらなかった。犬の牙と爪から体を巧みにすり抜けると、今度は銃口を犬たちに向けた。
「この犬コロめ!」
そのときだった。ボクとリトルは拾った石を渾身の力を込めて黒背広に見舞ったのは。
石は矢のように、びゅっと風を切ると、黒背広の顔に当たってサングラスを粉々に砕いた。
「ぎゃっ!」
黒背広は短い悲鳴を上げると、凶器を取り落として草の上にドスンと大の字にひっくりかえって伸びてしまった。
ボクたちの勝利だった。
*
「ありがとう、コモコリ。リトルの呼びかけで、よく来てくれたね。助かったよ。さぁ、叱られないうちに、おばあさんの所へお戻り」
2匹の犬は、ボクとリトルに元気よく「ばうっ」とあいさつすると、いつかのようにリードを引きずりながら、仲良く土手を駆け上がっていった。
「リトルは大丈夫?」
イクミちゃんのその言葉を背中に聞いた途端、ボクはリトルの手をとって一目散に駆け出した。その手は透けて見えていても本当に存在するかのように暖かかった。
イクミちゃんがボクを呼ぶ声がだんだん小さくなる。土手の上まで来ると、不意に涙が出てきた。路の向こうから走ってくる何台ものパトカーの姿がにじんで見える。涙を拭ってリトルを見ると、目の下に深いくまができて、まるで病人のようだ。
イヤだ。こんなこと絶対にイヤだ。
でも、その瞬間がやってくることが避けられないこともわかっていた。
闇雲に走るうち、土手にある大きな樹が見えてきた。ボクはその下に着くと、リトルをおぶり、はるか頭上の一本の太い枝まで一気に上り詰めた。コモコリたち2匹のシェパード犬に追いかけられたとき、登れなかった樹だ。
ボクはゆっくりとリトルを太い枝に座らせると幹に背中をもたせかけてやった。
「リトル……」
ボクはやさしく声をかけた。必要なら何度でも声を掛けるつもりだった。
「モトヒコ……」
リトルは静かに微笑むと、両手の人差し指をそれぞれゆっくりと回し、そして英語のVの字になるように合わせた。ボクも同じ仕草を返した。母さんから教わった、いつも一緒だという手話。そんなボクらの顔を夕日がオレンジ色に染め上げた。
『きれいだね……』
「うん」
『今日はいろいろあったね……』
「そうだね」
『いろいろあって、ちょっと疲れちゃったよ……』
「ボクもだよ。ねぇ、リトル」
『なに?……』
「ボク、きみに謝んなきゃ。いっぱい謝んなきゃいけなかったんだ。ごめんよ」
『いいよ、そんなこと……』
「どうして?」
『だって、ボクらは一番の友だちだろ……』
一陣の風がボクの顔をなでつけた。
沈みゆく夕日に引き伸ばされたビルの影が、河むこうの土手を覆いはじめるころ、ボクは誰もいなくなった樹の幹をずっと見つめ続けていた、涙でなにも見えなくなっても。
「おやすみ、リトル……」
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