第2話 小さな事件

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第2話 小さな事件

 ボクは朝寝坊した。  翌週になっても、あの大失敗が頭を離れず、ベッドに入ってからも寝つけない日もあったからだ。そして小学校に遅刻しそうになったので、河沿いの土手道を通って近道をすることに決めた。でも、あの時の叔父(おじ)さんのがっかりした顔を思い出すと、遅刻せずに小学校に行き着くことなんかより、神様に時間を戻してほしいと思わずにはいられなかった。  ドスン! 「なんだよ、あっぶねぇなぁ」  考え事をしながら歩いていたボクは、ぶつかった相手の顔を見て心臓が口から飛び出しそうなほど驚いた。 「おっ、大森くん。それに福塚くんまで……」  よりによってクラスで一番の乱暴者たちにこんな時間、こんな場所、しかもこんな沈んだ気持ちの時に出くわすなんて……。  たぶん、目の前で、ぼくの行く手をさえぎっている二人も同じように小学校に近道しようとしたに違いない。 「おい、モトヒコ! 人にぶつかっといて、あいさつもなしかよ」 「あっ。いや、おはよう……」 「なにが、おはようだよ。ケガしたらどうすんだよ!」  にやにや笑いながら、そうだそうだと、大森君の言葉にしきりにうなずいていた福塚君だったが、その表情が一変した。そして、血の気が引きはじめた顔のままゆっくりと後ずさりをしはじめた。 「おい福! お前もなにか……」  言い終わらないうちに大森君の表情も、みるみる青くなりだした。なにがなんだかわからないボクは、そのとき初めて背後から聞こえる低いうなり声に気づいた。そして、おそるおそる振り返ったボクの目に飛び込んできたのは、2匹の大きな犬だった。そう、シェパード犬。オオカミみたいな体はテレビで見るより大きくて怖そうだ。その2匹の犬は地面に落ちたリードを引きずりながら、ゆっくりとボクたち3人に迫ってくる。  ダメだ。(おそ)われる。そうは思ったものの、足がいうことをきかない。でも早く逃げなきゃ。でも……でも……。  その時だった。 『急に動いちゃダメだ!』  ボクの頭の中に声がひびいた。ボクと同じくらいの男の子の声だ。とっさに、なにも言えずにいるボクに、その声はなおも話しかけ続ける。 『その動物の目を見ながら、ゆっくりと後ろに下がるんだ。目を見ながらだよ』 「その動物?……犬のこと?」 『そう。犬だよ。ゆっくりと動くんだ。となりの友だちにも、そう伝えて。早く!』 「わ、わかった……」  隣でおびえている2人に謎の男の子の指示を小声で伝えると、ボクたち3人はゆっくりと、ゆっくりと移動を開始した。犬たちとの距離は少しずつ開いていったが、まだ安全とはいえなかった。犬たちは遠ざかっていくボクたち3人を、うなりながらも不思議そうにながめ続けている。  そして犬の姿が、じゅうぶん小さくなる前に、とうとう我慢(がまん)の限界にきてしまったんだろう。おびえた2人は大きな悲鳴を上げながら、土手から街の方へ一目散に()けだした。2匹の犬がその2人に反応して、大きな吠え声をあげながら猛然と追いかけだしたのはいうまでもない。 『あっ! 危ない!』 「ど、どうしよう?……」  体が凍りついたように動けないでいるボクのつぶやきに、声はすぐに(こた)えた。 『犬の注意をひきつけるんだ、モトヒコ!』 「えっ?! で、でも……」 『早くしないと、あの2人が危ない。早く!』  2人の乱暴者なんかどうにでもなれと心の片すみでは思ってはいたが、ボクは声の言う通りにした。両手を振り回して大声を上げ、犬たちの注意を引いたんだ。それは見事に成功した。でも、その成功は次にボクが(ねら)われることを意味していた。  ぐるりとこっちに方向を変えて向かってくる犬たちから視線を外すと、ボクは全力疾走を開始した。息が切れ、心臓が張り裂けそうだった。土手を2人とは反対方向に、ますます降りていくと大きな樹がある。あそこまで逃げ切れれば、なんとかそこによじ登って……。  しかしボクは、そのとき背中にドンと重い衝撃を受けた。そして1人と2匹はサッカーボールのように土手の草の上を猛烈なスピードで転げ落ちていった。                *  うっすらと雲を残した青い空が目の前に広がっていた。  ゆっくりと息を吸い込む。痛い。草の上で大の字になった体中が痛さで悲鳴をあげはじめる。その痛さに(あらが)うように、ようやく起きあがろうとしたボクは危機がまだ去っていないことを思い知った。ボクの上に大きくて黒い2つの影がおおい被さってきたからだ。鼻の頭にしわを寄せ、今にもボクに()みつこうと、うなり声を上げている2匹のシェパード犬。  今度こそもうダメだ。 『だいじょうぶ、(ぼく)がついてる』 「でも、すごく怖いよ……」  思わずボクは正直な気持ちを口にした。 『犬たちの目をしっかり見て!』 「えっ?……」 『さあ、早く!』 「で、でも……」 『時間がないんだ、早く!』 「う、うん」  ボクは頭の中の声の言う通りにしようと決めた。なぜかはわからないけど、信頼できそうに思えたから。  ボクは声の指示通り、目の前の恐怖を押し殺して、しっかりと犬たちの目をにらみつけた。  あれ?……。すると、どこか遠くの方から地鳴りが近づいてくる。なに?……これなんだ? 地震?……それとも気のせい?……いったい、なに?。  ドスン!。ドスン!。  大地に(とどろ)く音はボクの周りの空気を震わせるほど大きくなった。うなっていた犬たちも今では頭を上げ、警戒するように耳をピンとそば立てている。  そのとき耳をつんざく、ひときわ大きな吠え声があたりの空気を引きさいた。思わず両手で耳をふさいだ。ボクが恐る恐る顔を上げると、そこに信じられない光景を目にした。  目の前に校舎ほどもある恐竜が立っていた。ティラノサウルス。巨大で獰猛(どうもう)な肉食恐竜。大昔の陸の王者だ。  恐竜はボクと2匹の犬に小型自動車ほどもある大きな頭をヌッと近づけて舌なめずりした。ペットボトルを逆さまにしたような牙から絶えずヨダレが垂れ続けている。ボクの心臓が爆発しそうなほどバクバクと波打つ。食べられちゃう。きっと食べられちゃう。  ボクらは、ほとんど同時に悲鳴をあげた。 「うわーーーっ!!」 「キャン! キャン! キャン!」  ティラノサウルスは悲鳴に反応したかのようにグワっと大きな口を開けた。そして、おびえるボクたちを頭から一気にパクリと飲み込んだ。  どれくらい時間がたったんだろう。かたくひっついた上下のまぶたを引きはがすと見慣れた景色が飛び込んできた。恐竜の胃袋の中にしては、やけに明るいぞ。  どうやらボクは恐竜の朝ご飯にはならなかったようだ。  それどころか、あの大きな恐竜はあとかたもなく消え失せ、見えるのは土手のはるか向こうに逃げ去っていく2匹のシェパード犬の姿だけだった。 「いったい、今のはなんだったんだろう?……」  わけもわからないまま、ボクは立つこともできず、その場にしばらくへたりこんでいた。
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